KAORU♪の「気ままなダイアリー」

KAORU♪が見つけたステキな風景、出会ったおもしろいできごと、おいしい料理などを“気が向いた時”にご紹介します。

「光の中のスリランカ」第五話“言葉を超えて”

2012年02月09日 | 旅の物語

短い時間なのに、とても長い時間を
過ごしたような気分になったのは
天使たちと一緒だったからだろうか?

まるで竜宮城にでもいたかのように、
時間の感覚が少し違うような感じがする。

走り出す車には、私のスーツケースと
一緒に思い出も満載だ。

古都KANDY(キャンディ)を目指して
運転するのはスプートニクメンバー、
スリランカ人のKさん。


Kさんは、空港から始まって
スプートニクの事務所に行くときや、
クルネーガラのエレファントロックにある
大きな仏陀の像を見に行くとき、
いつも送り迎えをしてくれた。

でも、かならず数人と一緒だったので
挨拶以外に会話をする機会がなかった。

突然2人になって、この先ずっと
英語で会話をしなきゃいけないことに
気がつき、初めて一瞬だけど心配になった。


相手の言っていることは聞き取れるのだろうか?

言っていることがわかってもらえるのだろうか?


毎回、ふっと不安が頭をよぎる。


そして、いつもおしゃべりが始めると
そんな余計な心配は必要がないぐらい
自然に会話がすすめるようになった。


運転してまもなくして
「日本人はどうしてそんなに皆
しゃべれないの?」と聞いてきたのはKさんだ。

「あなたはパーフェクトだけど。」と

言われたので「NO!NO!」と
大きく首を横に振ったのだが

「ううん、大丈夫!」とKさんは言う。



日本に戻って、その話をしてみた。

息子の友人、
コロンビア人のリカルドと会話をしている
私の姿を見て
「オレもそう思うよ。
お母さんは、コミュニケーションが
パーフェクトっていうことなんだよ!」と
TATSUROはコメントする。


会話のテクニックや文法の
パーフェクトさではない。

それに関しては、まだまだ未熟で
中学生英語レベルだけれど、
コミュニケーションという視点でみると
なんとかキャッチボールが
できるようになってきた感じである。



英会話教室の先生やスタッフによると
マルタの短期留学から帰ってから
“Confidence(自信)”がぜんぜん違うのだそうだ。

自分では気がつかなかったけれど、
その自信が「HELLO!」ひとつからわかるのだという。

そんなものなのだろうか。

確かに、ひとりでもなんとかなった。という
やり遂げた感は味わったと思う。

「自信」とは自己を信頼する気質、
人間が自らの能力、知識、信念などを
信頼している精神の状態を意味する。

…と辞書にはある。

たとえよくわからなかったとしても
パニックで頭が真っ白になったり、
その場から逃げ出したりしなくても
根気強く何度か聞いてみれば
どうにかなるだろう。

そんな自負が、どうやら
備わったようなのだ。


“会話レベル”が上がった、というよりも
“会話恐怖症”から開放されたのだ。


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なぜ、私たち日本人は英語が話せないのか。



オーストラリアから帰ったばかりのTATSUROによると、
自分の経験も踏まえて考えてみると

日本ではコミュニケーションの重要性よりも
文法の正確さを求められる授業中心に
問題があるのではないか、という。


テストで間違うと「×(バツ)」をつけられる。

みんなの前で英語を話し、間違うと先生から指摘される。
周囲は間違いだけには詳しくなる。
そして、みんなの前で「×(バツ)」を
つけられたくない、と思うようになってしまう。


「三単元には“S”」がつく。

「一人称や二人称のIやYouは“Do”を使うけど、
三人称単数のHeやSheには“Dose ”」


そんな、難しい日本語がミックスされることで
よけい英語を理解しにくくしているんだ。という。

ホント、そう思う。

過去完了とか、過去分詞とか、
英語専用の日本語をまず、どういう意味だっけ?と
日本語から日本語に訳して考えないといけない。

さらに英語にあてはめるから
ごっちゃになってわけがわからなくなってしまう。

「リカルドなんか、上級コースだけど
いまだに“He don't…”とか平気で言うけど、
それでもアイツ、一番上のクラスなんだ。
そんなもんなんだよ。

日本人なら、そこで、あ!“dosen't”使わなかった。
違う!ってすぐ間違えに気がつくだろ。

会話は言いたいことや伝えたい気持ちが大切なのに
日本では間違えずに話すこと、を重視しているから
しゃべれなくなっちゃうんだよ!」と分析する。


私も、
英語を使う機会が少ないから、という理由よりも
もっと重大なコトがあるような気がしていた。

それは、ほとんどの日本人がとる
リアクションにヒントがある。


「英語?ぜんぜんしゃべれない!
苦手!苦手!まったくわかんない~!」
と極度にしり込みする姿勢が
共通しているような気がするのだ。


かくいう私でも、
私より上級者のしゃべれる人の前では
きっと無口になってしまうと思う。
なるべくその人にまかせて、
聞く耳を閉じて、日本語訳を待ちたいし、
ヘタに間違った英語を話したくないし
ヘンなことしゃべりたくない心境に陥ってしまう。


たとえば、いままで勉強したことのない語学が
わからなくても、これほど恐くはないだろう。

シンハラ語?アラビア語?スワヒリ語?
だって、本当にわからないんだもん。
だから、恐怖とかを感じることもない。

なのに、英語はみんな恐くなっている。


なぜか。

きっと、「×(バツ)」をつけられすぎて


私たち日本人は


「英語“失語症”」になっているにちがいない。



日本語を忘れているだけだったら、
「あれ?なんだっけ?忘れちゃった~!思い出せない~!」で
笑ってすむのに


英語になると、急に真顔になる。

試験の「×(バツ)」が
無意識のうちに浮かび、罪悪感やら劣等感に
さいなまれてしまうのではないだろうか。


学生時代が突如フラッシュバックして

記憶の扉をパタっと閉めてしまうのだ。



これ以上、劣等生になりたくないから。


思い出せない以上に、
「×(バツ)コンプレックス」がさらに
覆いかぶさって、
会話を楽しむ、コミュニケーション手段から
ますます遠のいていく結果となって
しまっているのではないだろうか。


だから、やっぱり
教育現場を見直して欲しい。

コンプレックスからは脱出した今だからこそ、

本当に、心から願う。


せっかくこの時代に生まれ、
しかも数年間、勉強までしたのに。



さまざまな国のたくさんの人々と
会話を楽しむことの
このうえないおもしろさを、

もっと多くの日本人に味わってほしいと
思うからだ。


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「今までどんな国に行ったの?」とKさんに聞かれ、
あらためて数えてみた。

「アメリカ本土だけでも7回?ぐらい。ハワイ4回かな。
それからグァム、サイパン。
タイ、マレーシア、中国、バリ、イタリア、
カナダ、マルタ、オーストラリア、台湾、
そしてスリランカ・・・
10カ国以上かな?。」

と言うと

「Wao!」と驚き、

「日本はリッチカントリーだから
ビザを簡単に出してくれるんだよね。
スリランカは貧しい国だから、
そう簡単に海外に行けないんだ。」という。

「日本人が海外の旅先でそのまま働こう、って
いう気にならないでしょ?
日本に帰って働いたほうがお給料がいいから。

でも、貧しい国では
そのまま海外で働いた方が稼ぎがいいから
帰らない場合も多いんだよ。
だからなるべくビザを出したくないから、
取得するのが本当に難しいんだ。」と教えてくれた。


旅行代理店だけでなく、駅や、スーパーなど
あらゆるところで目にする
世界中の海外旅行用パンフレット。

私たちは、それを日常の光景のひとつとして
何も思わず眺めていたり、通り過ぎたりしている。

でもそれが“豊かな国”の象徴であることと
結びつけて意識することはあまりない。


長引く不況や経済不安のなかで、
“リッチカントリー”と言われても
なんだか、ピンとこない。

シワだらけの指を「ビューティフル!」と言われても
英会話を「パーフェクト」と言われても
すかさず「NO!NO!」と返答してきたが、

でもそれだけは、「NO!NO!」と
返答することができなかった。

これだけ円高がすすんでいる背景のひとつに
日本の景気が良いのではなく、
他国の状況が悪すぎるのだ、と聞いたことがある。

それに比べたら日本は安定しているから
円が結果的に強くなってしまうのだとか。

でも、私たちすべてが
リッチだという認識を持ち合わせていない
ところにギャップがあるのだが、
それでも誰もが、「景気が悪い」とは口にしても

「日本は貧しい国だから」と、他国の人に
向かって言うことは、まずない。


****************************

次はどこの国に行こうかな。

と考えるのが私の楽しみのひとつだけれど、
それこそが、日本に住む恩恵であり

この時代だからこそできることなのだ。


そう思うと、日本に生まれたことが
本当にありがたいと思えてくる。

まして、その家庭環境に今いられることも
本当に感謝である。


****************************





2時間近くのドライブを終えて、
午後5時前にKANDYにある
「HOTEL TREE OF LIFE」に到着した。


部屋はなんと、「オーシャンビュー」ならぬ
山の上の「ジャングルビュー」。

高台から緑色に輝く木々が眼下に広がり、
夕陽が黄金色に染まっていく。






ついたらさっそく
「アーユルヴェーダ」の施術。

まずはドクターの問診からスタート。
さまざまな質問と、脈診を受け
セラピストに診察結果を報告していた。

そして、その処方によって私の体にあった
オイルで全身トリートメント。
その後、薬草の浮かんだハーバルバスと、
ハーブの香り豊かなスチームバスで
体の中から、疲れが取れてリラックスできる。


夜はプールサイドで、
生演奏を聞きながらのディナータイム。
キャンドルの灯と夜風が心地いい。

今まで張り詰めていた心と体が
少しずつほどけ始めていた。


明日は「ネイチャーウォーク」で
周囲を散策して、それからまた
「アーユルヴェーダ」を受けよう。
額に温かいオイルをタラタラと垂らしていく
念願の「シロダーラ」。


期待に胸を躍らせて
早めにベッドにもぐりこんだ。


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早朝、小鳥たちのさえずりで目が覚めた。

カーテンを開けると、太陽が
森の上に光を降り注いでいる。

大きく伸びをして、
眼下から立ち上る新鮮な空気を
全身に吸い込んだ。

またひとつ、こわばった体の芯が
ほろり、とゆるんでいくようである。





朝食前にフロントに
ネイチャーウォークはどの道を歩いたら
いいのか聞いてみたら、
ガイドが案内します。
朝食後に迎えに行くから待っていてほしい。という。


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さわやかな早朝の空気とともに
いただくブレックファーストを
たっぷり食べた後、
動きやすい服装に着替えて、ガイドさんが
来るのを待った。

手にはガイドブックを持って、
迎えに来てくれたのは、
名前は覚えることができなかったが
初老のベテランネイチャーガイドさん。

少し歩いただけでもうすでに
案内が始まった。

「これはクローブ。スパイスに使うでしょ?」
とガイドブックのページを探しては
一回一回、丁寧に見せてくれる。



【ペッパーの実】


ホテル出入り口、門の脇に建つ
車番の小さな小屋の傍らに
足を止め、ピンク色の肉厚の花を
地面から拾い上げて見せてくれた。





「これはサルマル。
中心の白い部分が仏陀。その周囲の小さな白い部分は
仏陀を取り囲む民衆。」と言って
そっと手渡してくれた。

見上げると、つる性の枯れ木に突然
花だけがポッっと咲いて
まるで荒地に明かりが灯っているような花。

  






甘くて、やわらかな、心やすらぐ香り。

あたり一帯も甘くてやさしい香りに包まれている。

ホテルの外に出て、公道を歩き始めると
ガイドさんは道行く地元の人々と
挨拶を交わしながら、何気ない場所で立ち止まり
上を見上げて木の葉に手を伸ばす。

そして植物の名前を教えてくれたり

木々の間に戯れる蝶や
真っ青な空を飛ぶ鳥たちを指差しては
私に話しかけてくれる。

紅茶畑を通り過ぎ、
紅茶工場の脇を歩く。


【紅茶の白い花】


赤い砂煙の舞うトラックが行きかう山道を
登り、細い路地に入ると民家が点在していた。


スリランカの人々の暮らしが
息づいている。


土の上の道ばたに広げられた布の上には
豆のようなものが干されていたので
思わず立ち止まり、これは何?と聞いたら

「コーヒー」だと教えてくれた。
「初めて見た~!」と言うと

「少し待ってて」と言い残し、どこかに言ってしまった。
しばらく佇んでいると、栽培している民家から
コーヒーの実がついた小枝を持ってきてくれた。




「日本には来たことがある?」と聞いたら

「英語を読んだり書いたり
できないからまず入国できないから、日本には行けないよ」
とガイドさんは言う。

あんなに普通にしゃべれるのに、
英語のせいで日本に来れないと思っているなんて、
英語の話せない国にとっては
なんともムズがゆい話だけれど、

そのあたりの状況をうまく説明することができなかった。





 


口数少なくて、寡黙だけれど、
その後姿がなんとも言えず味があって
なんともいえずイイ。

思わずその背中をカメラに収めてみた。



空には高く昇りはじめた太陽。


自然と共に歩くことの幸せを感じながら
2時間近くのハイキングを終えた。


****************************


汗ばんだまま、急いでアーユルベーダサロンへ
直行しさっそくトリートメントがスタート。


念願のシロダーラでうっとりし、
スチームバスでまどろむ。


シャワーを浴びて着替え終えると
ハーバルティーと黒砂糖が用意されていた。


そして、ドクターが現れて隣に腰をかけて
「どうだった?調子はどう?」と
いろいろと様子を尋ねてきた。

「I felt so good!」と答えると



それはよかった。と言ってくれた。

そして続けて

「淋しいことを考えたらいけないよ。
悲しいことを考えちゃダメだよ。

いつも楽しいことだけ考えて
笑っているんだよ。


“I’m strong!” “I’m healthy!”って思い続けるんだ。

そしていつだって

“I can!” “I can!”って信じるんだよ。

それが必ず現実になるから。」と
おだやかな笑顔のドクターはアドバイスしてくれた。

心の奥深くにじんわりと染み入る言葉。


“I can!”っていいな。

日本語で“私、ぜったい出来る!”って
思ってもあれこれよけいなことを
考えてしまう。


それってホントかな?
そうはいってもね・・・。
だって現実ムズカシイしね・・・。

そんなさまざまな条件は関係なく



シンプルに“I can!”だけをイメージして
自分自身に言い聞かせる。

ムダなもの一切をそぎ落とした言葉。



日常生活に戻った今でも

迷いそうになったとき、
後ろを振り返りそうになったとき、
未来にわけもなく躊躇しそうになったとき、

心の中でつぶやいてみる。



“I can!”




そうすると、なぜか
できるような気がしてくるのだ。


いつかは叶うような力が
湧き上がってくるのだ。




中学生の英語の授業で習った
この2つの単語から。



遠いところに存在していた英単語が
ぐっと距離を縮め、
力強い「言霊」となった瞬間だった。


****************************



その言葉を思い浮かべるとき、

同時に、
朝もやに包まれた森の中の時間を思い出す。

「HOTEL TREE OF LIFE」の快適で最高のホスピタリティ。

心地よいひとときとともに。



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