ひじきの煮物、だいぶ味がしみこんで
あともう少しで出来上がり♪
なぜか知らないけれど、
大のひじきの煮物好き。
幾たびか日本に行って覚えたんだと思う。
あー、もう少し日本から買ってきたら良かった。
今回は伊勢志摩のひじきにしてみたけれど
まっすぐで太い。芽ひじきは細かすぎるし。
青森に伺った時に買ってきた
青森産が太めで芽ひじきよりも
ちょっと長いのが美味しい!と言っていたのに
4月の青森で買いそびれて残念。
9月にニューヨークに来る
千恵子さんに買ってきてもらおう、と
思いながら。
ひじきにこんなに産地や
いろいろな種類があるなんて
知っていたような、
けど気にも止めていなかった。
Hijuki ヒジキをライスの上に乗せて
食べるのが好きなんだ。と、毎回ごはんに
ひじきの煮物をたっぷりのせては喜んでいる。
あー、これこれ!Oishiオイシ ‼️と嬉しそう。
でも、ある時
ふと不安になったらしく、
ん?この食べ方であっているの?
突然、あらためてマジメな顔で聞かれて
はた、と返事に詰まってしまった。
え…?合ってるか?と聞かれると
カンペキに間違ってはいない。
だって白いごはんと一緒に口に入れるもん。
でも、“ひじき まぜ ご飯”はあっても
“ひじきの煮物 のせ ご飯”が
メニューにあるか、と言われたら
私の知る限りではないし。
それが大好物!という話も聞いたことがないし。
なんとなく、
スッキリと返事をしない様子を見て
本当に良いの?この食べ方は変じゃない?
うんうん、だ…大丈夫、大丈夫。
いや〜、日本人の中にいると
考えたこともない球が
時々飛んでくるのがおもしろいところ。
最初から、
文化が違う、ということは
その人なりもまったく違う、と
最初から心得ているくらいのがちょうどいい。
単一民族的な感覚だと、
わかってくれてあたりまえ。
なんでわかんないの?
なんでわかってくれないの?
普通こうでしょ?と
イライラしたり、悲しくなったり。
けれど、ここで生きていくにはそうはいかない。
日本の常識やそこから抱えるストレスを
人種のるつぼに持ち込んだら
身がもたないのだ。
国であろうと文化であろうと
人種であろうと、最初から
別の存在であることを大前提にしていれば、
違いを知った時に驚きとともに
楽しい気持ちになる。
そして、その中から
共通項を見つけた時の喜びはひとしお。
言うなれば「たし算的発想」だろうか。
「ひき算的な見方」や「減点法」だと
だんだん不安がふくらみ重くて辛くなるばかり。
これだと上限100点からマイナスにひいていく。
0から1つずつ積み上げいったほうが
ずっと嬉しい気分が増えていく。
こちらは上限などなく、無限大で天井知らず。
今日のひじきも美味しく出来ているといいな♪
それは、日本にいる時に
息子にいつもご飯を作っていた
子育て中のお母さん時代の気持ちと変わらない。