すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

3年目の“Bare Hyggelig!” に手も心も温まる

2020-02-21 | ノルウェーの文化

トロムソに来て3年、ほっこりエピソード

今月で、私がトロムソに引っ越してちょうど3年、
ほっこりする出来事がありました。

その週はトロムソに雪がたんと降り、
このバスも10分ほど遅れていた。
発車間もなく、対向バスにバックすると・・・
ザクゥ・・・バスの前角がゆっくり雪にのめり込み、
ドアがぐにゅ・・・
バスの運転手は焦りいろいろ試みるが、
残念ながらドアは故障した模様。
結局、乗客は次のバスに乗り換えることになった。

職場に遅れる連絡はしたし、
トロムソではよくあることだ。
問題は、その後である。

手袋がない!
ほ~と雪の力に見入っていた晴子さんは、
ぼ~と手袋を置いてきたらしい。

苦手な電話も止むを得ず

今年に入って既に、
お気に入りの帽子、手袋を続けて失くしていた晴子さん、
苦手な電話で問い合わせることにした。

ところが晴子さんには音声を聞き取るのが難しく、
何度も聞き直して番号を選ぶのに、
ついに誰も出ない。

電話に時間がかかり、
歩くつもりだったSpråkkafe(ノルウェー語でお喋り会)には、
バスで行くことにする。

運転手さんが、覚えてくれていた!

バスが来ると、
なんと昨日と同じ運転手さんである。
「昨日は大変でしたね」と思っている(言えてはいない)と、
彼女が、晴子さんに話し出した。

「あなた、昨日手袋忘れたでしょう。
忘れ物預かり所に届けてあるから、
時間のある時に取りに行ってね。

24番バスで病院で降りて、
会社までは歩いて行けるから」。

昨日の彼女はパニックっている様に見えたが、
あの手袋が晴子さんの物だと覚えていたのだ。

運転手さんの親切は、まだまだ続く

Språkkafeの後、車庫に行く。
晴子さんにしたら、ちょっとした冒険である。

半信半疑の晴子さんは、24番のバスの運転手さんに尋ねた。

「24番でなく、20番だよ」。

やはり。
晴子さんの耳か記憶力か、いずれにせよ当てにならない。

20番の運転手さんにも、晴子さんは念のため聞く。

「合ってるけど、病院から歩かなきゃいけない。
34番なら、終点の病院から車庫に行くから、
乗せてもらえるよ」。

まるで病院からの道も知らない晴子さんを見抜いたような心配りだ。

そして、34番の運転手さんに事情を話す。

「OK! すわってたらいいよ」とニッコリ。

終点の病院を過ぎると、
「いつ失くしたの?」と聞くので、
昨日今日の話をすると大笑い。

「ここから入って二階だよ」。

降ろしてくれたのは、入り口の真ん前であった。

2階でも迷う晴子さんは、
「Hittegods(忘れ物預かり所)に行きたいんですけど」
と今朝覚えたての単語を絞り出す。

この彼がまた、忘れ物箱の前まで案内してくれる。

沢山の忘れ物の中から、
晴子さんの手袋は「待ってました!」とばかり現われた。

トロムソの運転手さんたちに、
手だけでなく心まで暖めてもらい、
晴子さんは帰路に着いた。

「Bare hyggelig!」とは?

この2週間後、あの時の女性の運転手さんに当たり、
「手袋もらってきましたよ」とお礼を言うと、
「Bare hyggelig!(バーレ ヒッゲリ)」とニッコリ。

「Bare hyggelig!」とは、「どういたしまして」。

もう少し詳しく言うと、
“bare”とは、「ただ、それだけ」、
“hyggelig”とは、「幸せな、心地よい、喜ばしい、嬉しい、親しみのある・・・」。

私が「Tusen takk(ありがとうございました)」と言うと、
どの運転手さんも「Bare hyggelig!」とニッコリしてくれました。

「Bare hyggelig!」

軽やかに言ってもらうほど、
ますます心温まる言葉です。


 
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共通語は、何だろう? (その2) ~ 大人の学校で出会った未知の世界 ~

2018-06-19 | ノルウェーの文化

 ●Voksenopplæringとは、どんな学校?

 私が通っているノルウェー語学校はVoksenopplæringと言います。

トロムソの行政が運営する「大人の学校」です。
その中の「ノルウエー語コース」に通っているのです。

 移民がトロムソで働いて暮らしていくのをサポートするために、

「ノルウエー語の習得」

「ノルウエーの社会知識(歴史や福祉など)」

の授業を提供しています。


 ノルウェー人と結婚した者は、税金を支払って無料で、

危険な状態にある国から避難してきた人たち(難民)は、
授業料、生活費の援助を受けて、

そのほかの人は、有料で受講することができます。

 後には、就職活動、労働に関する授業もあるようです。

    タイ人の踊り (今年度最後のフェスティバルで)

●アラビア語が共通語になっている!

 初日の説明会で通訳語別に分かれたところ、

「英語」はの人は、わずか。
力に応じて変わってきた「私のクラスメイト」の出身国だけ数えても、
25か国を超えるのです!

 

   生徒の持ち寄り料理は、多種でインターナショナルにズラリ! (今年度最後のフェスティバルで)

  食堂のシェフ、今日はお勉強?(今年度最後のフェスティバルで)

中でもアラビア語を話す人が多いのには驚きました。

 シリア、イラク、イエメン、サウジアラビア、ソマリア、スーダン。

イスラム経典を読むためにアラビア語を学んできた人もいます。

 国が違えど、彼らはアラビア語ですぐに話し友だちもできるのです。

 

また彼らの話し方は、
「喧嘩しとる?」と思うほど勢いがあり、
当初は圧倒されるばかりでした。

 

「世界は、英語だけが共通語じゃないんだ」。

 

この現実は衝撃的でした。

 もちろん彼らの中には、高い英語力を持った人もいますが、

ほとんどの人は英語は話せません。

 

とにかく「アラビア語強し」なのです。

 

ちなみに日本人は私だけだったのですが、
この4月から二人になりました!

 ●英語圏の人は?

 それにしても、

どうしてこの学校では英語を話す人がこんなに少ないのでしょう?

 

これは法律で、アメリカ、シェンゲン国の人には
「ノルウェー語の習得」が義務付けられていないからです。

 

やはりノルウェーでは英語で生きていける、ということでしょうか。

 

●ノルウェー語が共通語になると?

 ニュースでは、

何処かしらクラスメイトの母国の内乱の様子を目にします。

 

彼らが、いかに危険な境遇をくぐってきたか。
彼らの連帯感には
宗教・アラビア語を超えた強さがあるはずです。

 

また母国で不十分だった学習、技能を高校で学び直したり、
大学に行こうとしている人たちもいます。

 祖国を離れ

決して楽ではないこの道を歩いている姿には頭が下がります。

 

一方、宗教が理由なのか、私には全く理解できないことも多々あるのです。

 

いつか彼らとじっくりと話せるようになりたい。

 

その時の共通語は間違いなく、ノルウェー語です。

 

これは、「身内と話す」「仕事をする」以外に
私の大きな目標になりました。
全くいつのことかは、わかりませんが。

    ダンスで盛り上がるシリアの人たち


日本語を話す国って、日本だけなんですよね。

 その日本語だけで生きてきた私、

英語に拙い私なりに、
「英語の役割」を考えずにはおれませんでした。(つづく)

    

 

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憲法記念日に盛り上がるノルウェー人

2018-05-25 | ノルウェーの文化

 

町中、人に、国旗に、ブーナドがいっぱい!

5月17日は、ノルウェー憲法記念日.
ノルウェーで一番盛り上がる祝日です。

去年は、その盛り上り様に驚くというより、あっけにとられました。

家にも車にも国旗、

いろいろな所に国旗が飾られます。

子どもも大人もノルウェーの民族衣装ブーナド(bunad;地域によって違う)を着て
街を埋め尽くしています。
地域によってデザインが違い、自分に縁のあるブーナドを着るそうですが、
その種類の多いこと!

なぜこんなに盛り上がるの? 
ノルウェー憲法ってどんなものなの?

去年は、日本にない光景に?だらけの私でしたが、
今年は、冷静にお伝えしましょう。(^^)

5月17日にどんな歴史があるの?

ではでは、300年ほど前までタイムスリップしますよ。

当時スカンジナビアでは、
デンマーク、スウェーデンが主力を競っていました。
ノルウェーは長い間、そのせめぎあいの間で
支配される苦汁を味わっていたのです。

1814年、
ついに人民の独立願望が高まり、
「独立するぞー」とノルウェー独自の憲法を制定しました。

苦渋の経験があったからでしょう、憲法草案前文には
「人は生まれながらにして自由であり平等である」
とあります。

実際にノルウェーが完全に独立したのは1905年。
つまり独立までの90年間、
この憲法は、ノルウェー人の誇りであり支えであったのでしょうね。

204歳のノルウェー憲法は、
社会問題に応じた改正を重ねながら、守り継がれているのです。

なぜ、子どもがパレードをするの?

子どもが全員パレードに参加していることが、特徴的。

「弱きものを圧力から守る憲法」
「未来を作る子どもは宝」という意味で、
子ども参加のパレードになっているのだそうです。

現代の子どもたちがどのように理解しているのか? 

いつか聞いてみたいものです。

ダンスなら、言葉を超えて、肩寄せあえる!

この日の意味を紐解いたものの、
私の一番の楽しみは、民族ダンス。

上手に踊れなくても、ノルウェー語が喋れなくても、
誰とでも手をつないで肩を寄せ合って、笑顔になれる!

外から来た私には、この時間が一番尊かったなあ。

また、このダンスにはブーナドがよく似合うんですよ。

日本の生地でトロムソデザインのブーナド作ったら、どうかしら?(誰が作る???)

街から帰り

相方さんのお父さんお母さんの家でホ~ッとして思うのでした。

やっぱり・・・あの盛り上がりにはついていけやんわあ。

 

 

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“Jul”と“クリスマス”と“あかり”たち

2017-12-12 | ノルウェーの文化

 ●“Jul”、最も暗くなる冬至の祀り

  2017.12.7.朝8:16

最近の明るさ情報!
正午頃、まだ明るくなりますが、お日様は見えません。

では、いつが最も日が短く暗くなるのでしょうか?
 
それは冬至、日本もここも同じです。

今でこそ太陽が見えない理由がわかっていますが、
わからなかったらどうでしょう?

ここでは、
昔むかし、太陽の再来を祈る祀りが行われていたようです。

それを"Jul(ユル)"と言います。

家庭では、ご馳走を作り、暖を囲み語らい本を読み、
灯を愛おしみつつ、太陽の再来を心待ちにしたことでしょう。

静けさの中、音を楽しんだかもしれません。

●ニッセは、Julに忙しい!

"ニッセ"とは、北欧に住む小人の精霊。

私の家にもニッセがよく来ます。(いや、住んでいるのかな?)

探し物をしてなかなか見つからないと、
「ニッセの仕業だな」。
そして、ふいに見つかると、
「やっぱり、ニッセだな(にやり)」。

ニッセはいたずらをするだけではありません。
馬小屋に住むお茶目な働き者。

特に、Julの時節には、
子どもたちにプレゼントを運んでくれるのです!
(北欧に"サンタクロース"はいないのでした~!)

●クリスマスとJul

後にキリスト教がノルウェーにも伝来するのですが、
"Jul"とイエスの生誕時期がちょうど重なったんですねえ。
そこで、"Jul"は"クリスマス"も意味するようになったようです。

ノルウェー・英語辞典では、
"Jul"は"Christmas"と訳されています。

●心温めてくれる"あかり"たち

クリスマスの4週間前から、ここでも町はにぎわいます。

  2017.12.07.13:24

12月第一土曜日には
街の広場に立てられた木(Juletre)の点灯フェスタがありました。

  2017.12.02.16:12

カフェは、人を招くが如く柔らかな灯りを放ち、
おしゃべり好きな人たちでいっぱいです。

 

雪は足元を落ち着かせ、街灯の明るさを増してくれます。
雪雲は空に明かりを籠らせるよう。

晩に出た月が朝だけでなく昼過ぎまで照り、
また夜に出てくるのには驚きました。

    2017.12.7.昼12:00

オーロラが夕方4時前から現れることもあります。

個々の家はカーテンを閉めず、
留守中も灯りをつけたままにしてくれます。
可愛らしく中から外を照らし合うような灯りには、
歩いていても、バスから眺めても、ほっこりします。

窓ぎわにほんのりと光る星(Julestjerne)、好きだわあ。

そこで、我が家にもJulestjerneを買いました!

 

お陰様で、私も落ち込むことなく元気で過ごさせてもらっています。

皆さんもよき師走をお過ごしくださいませ。

       

 

 

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