すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

「安心」と「福祉国家の一面」義母の脳梗塞から

2019-09-10 | ノルウェーの福祉

「そろそろリップス摘みに来てね!」と言おうと思っていた矢先のこと。

義母さんが倒れた!?

8月29日夜8時過ぎ、お義父さんからの電話。
「お母さんが倒れて、今、救急車を呼んだ」と。

私たちもすぐに駆け付け、
運ばれる母の意識がなく、体が傾いた様子に察しがついた。

「脳卒中だ」。

相方さんと義妹さんは病院へ、私は足の不自由な父と家で留守番。
義父は義母が倒れる瞬間を見ており、
すぐに電話したし、救急車の到着、対応も迅速。
これ以上早い対応はなかった。

よい結果を祈りつつ、待つこと4時間。
「血管内の血栓は、全て取れた。
しかし、2個の大きな血栓があったため、
既に脳に損傷があり、身体に後遺症が残る」。

私は、脳内出血と脳梗塞を患った父母の経験から、
これから起こることを想像した。

しかし、私には想像できなかった
家族の団結と医療システムの経緯を見ることになる。

ええ? もう始めるんですか?

翌日、義母に会う。

右半身麻痺、食べることができない、喋れない。

母の姿に泣き崩れた父、
車を飛ばし夜中に着いた妹さん夫婦を含め、
もう一人の妹さんと私で、医者から話を聞く。

その後、カフェで家族会議。

その日は、
一人の妹さん夫婦は、一人暮らしになる父のサポート申請など父のことを、
私ともう一人の妹さんで母に付き添うことになる。

たまたま私が一人でいる時、言語療法士が来て治療を始める。

しかし、母は、まだ自分で頭をもたげることもできない。

これで、もう始めるの?
と驚いていると、彼女は私に説明を始め、
「やってみて」と言う。

え?私?

しかし、母の嚥下リハビリにも携わった経験が私にスイッチを入れる。

「上手じゃない」とニッコリ。

また翌日も彼女は、
たまたま私が一人の時に来て、次の方法を伝授。
家族ができると、少しでも刺激の機会を増やすことができるからだ。

母が、顎を動かし、つばを飲み込んだ。
「やったー!」と喜ぶ私に、母もニコッ。

笑顔が出た。これも大きな変化。

もう一つ驚くことに、2日目から身体のリハビリも始まった。

椅子に座れて、椅子からベッドに歩いて移動するではないか!
右側は麻痺しているのに。

ちなみに義母は、84歳。
もちろん、個人の状態によるのだろうが、
この治療の進め方の早さに驚いた。

「明日、救急車でリハビリセンターに移ります」

入院7日目、医者から説明があるというので家族が揃う。

「明日、リハビリの為にFinnsnes(トロムソから車で3時間、船で1時間 半)に移ります。
 そこが彼女にとって最適なリハビリ場所だ。
 新たに脳梗塞発症の時には、トロムソで治療をする(救急ヘリコプターでトロムソまで10分)」。

どうして? トロムソにリハビリ施設はないの?
誰が決めたの? 家族が選べるんじゃないの?

そんな私に、相方さんは淡々と答える。

「彼女に最適なリハビリを受けられる場所が、
たまたまトロムソじゃなかったんだ。
先生が決めた。そこは病院の管轄だから。

病院には患者がどんどん入ってきて、ちゃんとリハビリできない。
ここはあくまでも治療だけで、
リハビリは別の場所で施されるんだよ」。

なるほど。

「病院でリハビリを受け、退院後の施設を家族が決める」
という日本と、システムが違うのだ。
病院の仕事の中で、
「治療」と「リハビリテーション」が早い時点で区別されるのだ。

● 父発熱

Finnsnesは、妹さんの家から近いので、お父さんも妹さんの家で暮らすことになった。

ところが、出発当日父は熱を出し、父は母より遅れていくことになる。

妹さん二人が、母の服などを用意して船で、

母は救急車でFinnsnesまで移動。

私が救急車の母を見送り、相方さんと父のフォローをすることになる。

● 環境でこんなに違うんだ!

妹さんたちがリハビリセンターに先に着き、母を迎える。

外の景色が見える自分の部屋で
目つきがはっきりした母の写真が妹さんから送られてきた。

2枚目には、
皆が集まるリビングでテレビのニュースに見入る母の姿。

翌日送られてきた動画では、
編み物の得意だった母が左手で毛糸を繰ろうとしている。
病衣でなく、自分のピンクのセーターを着た母は、イキイキと見える。

環境でこんなに違うんだ!

写真だけでも、たった2日のこの変化に驚く。

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お父さんの熱も下がり、体調も戻ってきて、
安心してこれを書いています。

義母が倒れてから、最も近くに住む私たちが、
毎日父のところに行っていたのですが、
時間差で見舞いに行く家族から電話があり、
毎日、父を通して、母の進化を共有している感じ。

そのお陰で、長く病院におれない父にも、
母の様子がよくわかり、皆が笑顔でおれました。

当初こそ泣いたものの、前向きに相談しながら、
手分けして取り組む家族。
自分の父母の時のこととも思いだし、
泣けてくる私も、彼らから大きな安心をもらいました。

また、私の介護経験が生きたこと、
私の話す言葉が母に通じたこと、
私の手を左手で何度もギュウと握ってくれたり、
ニコッとしてもらえたこと、
私自身が「家族の一員」「役に立ってる」という実感を持てたこと。
トロムソに来て、初めての貴重な体験でした。

そして、これが、発症後10日にもかかわらず、
すでにリハビリセンターにも満足し、家族は安心して過ごしています。

さらに、この入院費用から全て無料です。

まだまだこれからですし、新たな脳梗塞の可能性も忘れてはいけません。
義母が、いろいろな面で、ラッキーであったことにも感謝です。

しかし、この10日間で、幸か不幸か、

「福祉国家」と呼ばれる国の一面に助けられたのも事実です。

来週は、私たちがFinnsnesに行くことになっています。

どんなお母さんに会るんだろう? 
リハビリセンターにも興味津々。
うーん、待ち遠しい。

病室に活けた薔薇は、我が家でまだ美しく咲いています。

コメント (2)
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