縁側の日
月に一度
中道和久さんをお招きして開いています。
認知症に関心のある人、
どなたでもどうぞ!
●11月5日より
今日の参加者は、中道さんを入れて11人。
昨年の6月に始めてから16回目です。
この日の初めに、中道さんがこう言われました。
「ここの会は、
頭のトレーニングなどをするよりも、
自分たちの話をして、
みなでいいアイデアなどを考える会にした方がいいみたいやなぁ」。
参加者は、「認知症」当人よりも、
家族に認知症がいる人やケアマネージャーさんという人が
占めるようになってきています。
そこで、この日は、
おのおのの「その後の話」を聞かせていただきました。
終わってから、中道さんが私にこう言われます。
「いやー、今日のおばあちゃんの話、ええ話やったわー」。
どうも中道さんが「睡眠」について考えていたことを実証するような話だったらしいのです。
どんな話だったかと言いますと・・・・
●「あんたが、変わったんとちがうの?」
今、私の母は、「穏やかで可愛らしいおばあちゃん」と言われています。
うちの家族曰く、
「あんな可愛らしいおばあちゃんになるとは、意外やったなあ」。
母は、どうしてそんなおばあちゃんになれたのでしょうか?
参加していた母に聞いてみました。
娘:お母さんは、何か自分で心がけていたことがあったの?
母:・・・? あったやろか・・・?
皆さん:^_^;
すると、中道さんが私に聞きました。
「あんたが、変わったんとちがうの?
きっと、何かをきっかけに変わったはずやと思うよ」。
自分の変化は、少しずつ起こっていたと思います。
しかし、確かに大きく変わる出来事がありました。
●三日三晩眠り続けた母
母は、食事を食べようともせず、
ひたすら眠り続けたことがありました。
それは、ほぼ三日続きました。
日頃から何があってもご飯だけは欠かさない人ですので、
それは、かなり「異常」。
医者に行こうと言っても、
「医者に行くより寝ていた方がいいわ」と言って、
また眠りについてしまうのでした。
体重34kgのやせた体です。
それはそれは、ひやひやで目が離せませんでした。
●走馬灯のように・・・
ところが、面白いことがわかってきました。
母は、眠っている間ずっと夢を見ているようなのです。
目が覚めた母にどんな夢を見ていたのか聞いてみますと・・・
どうやら、子どもの頃から順に見ているようなのです。
まるで走馬灯のようではありませんか。
そして、こう言うのです。
「ああ、あの人はええ人やったなあ。
私はええ人に出会わせていただいてきたわ。
私の人生よかったわぁ」。
私は思いました。
この人はこうやって逝ってしまうのではないだろうか・・・・
もしそうだとしても、
自分の人生をこのように肯定し感謝して逝けるとしたら、
それは、幸せではないだろうか。
かかりつけのお医者さんに相談したところ・・・
「そういうこともあるかも知れません」。
●生きているだけでいい。
ひやひやしながらも私は何処かで覚悟をしていたのでしょう。
私も母と一緒に暮らし始めてからの日々を振り返っていました。
「デイサービスにいかなければ、もっとぼけてしまうのではないだろうか?」
「母にも人生を最後までよりよく生きてほしい」
「母の夢であった歌集を作ろう」
「寝てばかりでは、頭がぼける。何とかしてやらねば・・・・」
そんな気持ちで私は一生懸命でした。
でも、本当にそれが母のためにいいことだったのだろうか?
84年という人生を尊重することになっていたのだろうか?
母の「今」を大事にしていることになっていたのだろうか?
もしここで母が人生の幕を閉じるとしたら、
あの時間が母にとって最後の時間ということになります。
しかし、とても幸せとは言えないように思えてきたのです。
人それぞれあるように、人生もいろいろ。
私が「こうありたい」と思うことを母も望むとは限らない。
私がよかれと思っても、必ずしも母にもよいとは限らない。
もし、命があるのなら、もっと好きなようにさせてあげよう。
生きているだけでいいじゃないか。
生きていれば、母もよく生きようとしているに違いない。
それをもっと信じてみよう。
そんな気持ちになっていたように思います。
●目覚めた母は、「感謝の人」に
三日目、母は点滴を受け、一瞬動き出したものの
また眠り、そして、復活したのです。
まるで人相が変わっていました。
つぶらな眼になり、
それは、仏さんに近づいたような顔つきになっていたのです。
それからです。
母が、事あるごとに「ありがとう」と言ってくれ、
以前のように怒らなくなりました。
眠りの中で、一体母に何が起こっていたのでしょう?
「ありがとう」
「いいえー、私の方こそありがとう」。
そんなやり取りが二人の間に増えていきました。
それは、私にも母にも穏やかで幸せな気持ちを与えてくれました。
すると、また
「ありがとう」
「いいえー、私の方こそありがとう」。
と言いたくなることが増えてくるのです。
並行して、母は穏やかになり
くよくよしていたのが、明るくなることが出てくるようになったのです。
●デイサービス、お風呂を受け入れた!
間もなく、
母はずっと拒否していたデイサービスに行くようになり、
全く入らなかったお風呂に
デイサービスでなら入るようになりました。
私の方も、母がいくら寝続けても
「これが、母のリズム」
と安心して眠かせておくことができるようになりました。
事実、眠りから覚めると母の頭は、はっきりするのでした。
●眠りが脳を整理する
自分で眠るのと「薬で眠る」のとは違うでしょうが、
脳の中でどう違うかはわからない。
ただ、
眠ることで体も脳も休ませてあげることができる。
その間に、脳が自動的に何かを整理してくれている。
それは頭にも体にもよい方向に向かわせてくれる作用である。
そんなことを中道さんは、長い経験から抱いてきたところ、
母の話は、それを裏付けるような事例だったというわけです。
「眠っているから、頭がぼける」とは一概に言えない。
私もそうは思っていましたが、
「眠りの効用」とまでは考えていませんでした。
そう考えると、なるほど、確かに面白いお話でしたね。
人間とは、なんと巧妙にできていることか・・・
そして、そうそう柔な存在ではない。
そんなことを実感する一件でした。
しかし、これで一転して常に平和になったわけではありません。
徐々に徐々に・・・その中で大きな出来事だったということですので
あしからず。
縁側の日を一足先に退席した母は・・・、
ガ~~、ス~~、ガ~~ ・・・
よくお眠りになっておりました。