2008年9月4日(木)より
縁側の日・三回目。
中道和久さんをお招きして
月に一度開いています。
7月に続き、
今回も私の母が参加。
前日の会話
娘:お母さん、明日「縁側の日」やけど、来る?
母:縁側の日? なんやったやろ?
娘:お母さん、楽しかった!って言ってたよ。
母:そう? ほな、行くわ。
確かに覚えはないのでしょうが、
一つ返事をする母は、
どこかに間違いなく残っている記憶と
無意識に呼応しているように思えます。
●えっ、お姉さんがいたの?
今日は、まず母の話で始まりました。
母には、姉がいたというのです。
幼くして疫痢で亡くなった姉が・・・
えっ、そうなの~~~!
初耳でした。
「疫痢で子どもを死なせてしまった・・・」
その親の思いから、
生ものを食べさせてはもらえなかったし、
古いものは食べないようしつけられたとか・・・。
なるほど・・・それで納得しました。
「ややこしいものは食べんに限る」
母は、少しでも古いと、すぐ捨てるのです。
私には、「もったいない!」と不可解でした。
神経質なのか、自己防衛力の強い人なのか・・・?
と思ったりもしていました。
しかし、「同じ過ちを二度と繰り返すまい」と
両親が母に授けた力、
自分で自分の命を守る力だったのですね。
●「拝みわらし」のゆえん
幼少期、寺の公園で毎日遊んでいた話も出ました。
その時、母親から言われていたこと。
「遊ぶ前には、
『遊ばせてもらいます』と拝むように。
遊び終わったら、
『ありがとうございました』と拝むように」。
それを母はいつも実行していたのだそうです。
近所での密かな呼び名は、『拝みわらし』。
祖母が、
信仰心の厚い人だったとは聞いていました。
でも、ずっと背負った思いもあったのですね。
この度、
亡き祖母を、愛しく、せつなく想いました。
今母が生きていること、
今私が生きていること、
祖母のおかげを改めて感じるのでした。
母は言いました。
「寝る前に、いろいろなことを思わないで、
『なむあみだぶつ』と息が続くまで言い続けると
ぐっすりねむれるんやわ」。
これもきっと、母が母親から授かった智恵でしょう。
●問いかけてくれる他人がいる場。
どうして、こんな話になったかと言いますと・・・
「おばあちゃん、ご兄弟いらっしゃるんですか?」
この問いがきっかけだったのです。
私なら、絶対に聞かない問いです。
他人とただお喋りするだけでなく、
問いかけてくださる方がいる場の貴重さを実感しました。
●あなどるなかれ、認知症!
母の話しぶりには、皆さん驚かれました。
同じことを繰り返すことなく、
また質問とずれることなく、
イキイキとしゃべり続けたのですから。
同じ話を繰り返し、
庭にぼ~と力なくたたずんでいた
以前の母を知っている人は、
驚くでしょう。
中道さんは、こう言われました。
「生活のあり方によって、
認知症の症状はいくらでも変わるんやな」。
そして、
「認知症になりにくい」と言われていることを
まとめた資料をいただきました。
●
「認知症」って、なんだろう?
「アルツハイマー型認知症」の診断と脳の萎縮は、
必ずしも一致するとは限らない。
脳が萎縮していても、
認知症の症状がない人もあるし、
脳の萎縮がなくても
「アルツハイマー型認知症」と診断される場合もある、
ということでした。
参加者のケアマネージャーの方の言葉。
「認知症の方の変化を見ていると、
認知症ってなんだろう?と思わずにいられない」。
私も同感です。
「おばあちゃんは、
どんどん善くなってきているんだよね」。
そう言われても首をかしげてしまいます。
人と話すときの様子は、
明らかに良くなっています。
でも・・・
直腸脱では、
「大便がしたくなってきた」の連呼。
「大便ではなく、腸だ」と何度言っても
そこから抜け出すことはできません。
以前は、美容院に送っていくと、
一人タクシーで帰ってきました。
それもしていません。
食事の準備はもちろん、
毎日の仕事だった洗濯干しもしていません。
大好きだった草取りもやめました。
デイサービス、ショートステイでは
起きていることができるのですが、
家では、
一人で自主的にすることはなく
ほとんど眠っています。
私がいればできることでも、
一人ではできないのか、しないのか・・・。
ただ、言えることは・・・
以前のように不安にとりつかれることなく、
穏やかに過す時間が増えている、
ということ。
認知症って何なんだろう?
固定観念で見ないためにも、
いつも持っていたい問い。
そう思いました。
最後に
「笑顔の効用~体心を若々しく保つ~」を
皆で音読して終わりました。
なんとも学び多き時間です。