すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

♪♪ 「コスモス」にアレンジ ♪♪

2011-10-28 | ほっとひといき

コスモスの写真に

「伝わったよ~」

などなどの反応を頂きました。

よかったぁ! うれしぃ!

 

そのお1人は、
ご自分のお気に入りの歌とつなげてくださいました。

その曲は、

「アンダンテ(作詞・作曲:新妻聖子)」

皆さん、ご存知でした?

私は全然知らなかったので、youtube で聞いてみました。

もう、涙出てきました。

だって、
コスモス見たときには気づかなかった私の思いを
代弁してくれているんですもの。

歌詞の出だしは・・・

♪♪♪♪♪♪

風にそよぐ稲の旋律
ここで生きていると叫んでいた

あなたと私、出会えたあの日
あなたも嬉しい気持ちでいたの?

思うようには生きてゆけない
何度も何度も転ぶけれど
見上げる空は眩しすぎるの

涙ぬぐって歩き出す・・・(つづく)

          ♪♪♪♪♪♪

新妻さんの歌声がまたいいんですよ~。

素敵なアレンジをありがとうございました\(^o^)/

よかったら、聞いてみてくださいませ(^^♪

映像は: http://www.youtube.com/

歌詞は: http://www.youtube.com/watch?v=QaS5mxX9Wng

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスモスが叫んでいる

2011-10-25 | ほっとひといき

 

コスモスにこんなにびっくりしたのは、初めてです。

   一本も枯れている花がない。

   みな満開。

   そして、小雨の中、風に激しくゆれているのです。

   まるで、何かに向って声を発しているかのように。

   そう、歌っているんじゃないの。

   思わず、息を呑んで

   携帯でとったんだけど・・・

   伝わるかなあ???

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生、2倍楽しめる!

2011-10-18 | つぶやき

●2011.10.17より

人生に「転換期」って、ありますよね。

そういうときって、
自分では気づいていなかったことに気づかせてもらえる。

そして、思うんです。

「ああ、私って、わかった気になっていたけど、
何にもわかってなかったんだ・・・」。

だいたい、そう思うことに出くわすんです。

そして、いっぱい泣くんです。

とにかく涙が溢れてくるのだから、しかたがない。

でもね、

そうやって、自分の気持ちに向き合い続けていると、

「ああ、そういうことだったのか」

と、今度はありがたく思えるときも来るんです。

そして、またまた涙が溢れてくる。

私の場合、今回もそうでした。

 

50歳にして、
過去に抱えた無自覚なものが、
まだこんなに出て来るんだもの。

まだまだ「転換期」は、何度も来るのでしょうね。

昨日、友人がいいことを言ってくれました。

「泣いている自分も離れて眺めてみるの。
あー、よう泣いとるわー、ってね。
そうすると、人生、2倍楽しくなるよ」。


なるほど、「役者」と「観客」の二役を同時にやるってことか・・・。

ほーう、確かに!
うーん、2倍になるわ!


昨日で、母の荷物は、ほぼ兄に引き渡すことができました。

さ、そろそろ新しい人生を踏み出しますか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

存在、すなわち愛

2011-10-08 | 素老日誌

10月07日(金)より

今日、カンファレンスが持たれた。

ケアマネージャー、
看護士長、
メディカルソーシャルワーカー、
兄夫妻、
私の6人。

母の現状を確認し、今後を決めた。

母は、兄の家で看てもらえることになった。

よくぞ決心してくれたと、兄、義姉に感謝する。

私や兄夫妻の気持ちも汲んで力を貸してくださる。

いかに頼もしい人たちに恵まれていたことか。

あらためて、しみてくる。

 

病室の母に報告する。

「お母さん、
今度はお兄ちゃんの家で暮らせることになったよ。
よかったなあ。

お母さんは、ほんとに幸せ者やなあ。

子育て、大成功!
人生大成就や!

お母さん、頑張ってきてよかったなあ」。

すると、
もう言葉を発することはないのかと思っていた母の口が開いた。

「う・れ・し・い」。

 

どんな状態になったって、
最期まで、
親は親であり、人は人なんだ。

また一つ、母は教えてくれた。

母といると、
「これを言葉でどう表現したものか」
と思う心境・空間・時間に出くわすことがよくある。

どんなに頭を思い巡らしても
私の乏しいストックに見つけることはできない。

あえて言うなら・・・

「存在、すなわち愛」・・・だろうか。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身も心もストーンと落ち着きました

2011-10-04 | 素老日誌

やっと私の心が決まりました。

念のため一週間様子を見ましたが、大丈夫。

もう迷いもなく、
心は穏やかになり、
どんどんシンプルになっていったような気がします。

「私がこの家で母を看るのはやめる」。

そして、昨日結石破砕後初めての診察でした。

「綺麗になくなっていますね。
腫れていた腎臓も正常になっていますよ」。

「えー!本とですかー?
うれしー!
ありがとうございます!」

私は、思わず先生の手をとってしまいました。(若い男性医!)

実は、治療後、
破砕された石が落ちるときに痛むと聞いていたのですが、
全く痛みはないし、
毎回トイレでどんな石が出てくるんだろう?
と楽しみにしていたのに、一向に見当たらない。
こりゃ、まだがんばっておいでるのかしら?

と思っていたものですから、
もう、びっくりしました。

本当にこれで身も心もすっきりしました!
ストーン(stone)と落ち着きました。

私に気持ちの整理をさせてくれて、
健康管理を見直させてくれて、
私の感情も持ち去るように
痛みも与えず、姿を消してくれた結石ちゃん。

なんとタイムリーな潔い救世主だったことでしょう。

ありがとう、結石ちゃん!

もう来てもらわなくても、私は大丈夫よ~!

 

あれからちょうど一月、

明日は、縁側の日です。

もちろんやります。

お待ちしていますね~!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然にゆだねて見えてきたこと

2011-10-04 | 教室

自然にゆだねると・・・・?

まあ、いろいろなことが頭に浮かんでくるものです。
そして、いろいろなことが見えてきたのです。

ショックと思える言動に隠れていた思い。
自覚していなかったトラウマ。
自分の思い込みと別にあった意味。
介護する者としていない者との違い。
語られない親や兄弟の愛情。
自分の幼さ、
せつなさ、
はがゆさ、
うれしさ、
ありがたさ

涙とともにたくさんのものが私の中から溢れてきました。
これらを受け止めるのも結構エネルギーがいるんだなあ。

そこで、「気分転換しよ」と思いついた先は、奈良。

学生のときは、よく行ってたんだけど、
結婚してから行ったことなかったなあ。

私の今の状況を受け止めてくださる方が、
「案内したげる」と連れて行ってくださいました。

お陰で、私は「ゆだねる状態」のまま、
喋りたいだけしゃべり、
美味しいものを食べ、
仏像のある空間に癒され、
どんどん気が軽くなっていきました。

写真は、猿沢の池の亀。

「なんなん? 亀って、泳ぐの速いなあ」
「そうよ、普段はゆーっくりのろまでも、
 いったん水に入ったら、スイッチが入るのよ」。

まるで、私のようだ・・・

スイッチは、もうそこまで来ている。

そんな予感を胸にビールで乾杯して帰ってきました。

私って幸せだなあ。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白鷺と曼珠沙華

2011-10-03 | ほっとひといき

あら~!

写真がうつってなかった・・・!

まあ、なんてこと!

これでどうでしょう・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羽ばたく姿をイメージして

2011-10-02 | ほっとひといき

 

読んでくださっている皆様

ここのところ、お話が重いですよね。
ごめんなさーいm(__)m

ちょっと一息。

今朝は寒いくらいでしたね。
朝の犬のお散歩のときに撮りました。

鷺、見たことありますか?

あの羽ばたく姿の優雅で清々しいこと!
それは撮りそびれちゃったんですけど・・・
あなたのイメージ力でカバーしてくださいませ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考えないで、自然にゆだねる

2011-10-02 | 素老日誌

自然に逝けるよう見守りたい。

母のような状態まで来ると
「母の意思」より、
家族の「悔いなき見送り方」に
ウェートがかかるように思います。

つまり、他人のサポートとは別に
「家族の共同作業」が欠かせない時期に入った
ということでしょう。

そこで、兄と相談しました。

今の寝たきりの母に胃ろう(胃に直接栄養を注入する)を施せば、
口を開けて声を出すこともなくなり、
口からの刺激もなくなり、
ただの寝たきりになるだろう。

それは、単なる「延命治療」に過ぎないのではないか。

私たちは、
「胃ろうはせず、自然に逝けるよう見守る」
ということで合意しました。

しかし、実際それができる所は、
身近で私たちが知る限り「在宅」しかないのです。

兄は私をサポートしてくれると言ってくれました。
「それなら私は頑張れる」。

そう答えたものの、その夜私は眠れませんでした。
どうしても私の気持ちが定まらないのです。

 答えは、自然にゆだねよう

この2週間を振り返ると
一つ一つ解決方法があり、
今度は間違いなく前より「楽」になるでしょう。

でも、これまでには抱いたことのない思いで
いっぱいになってくるのです。

自分を大事にしながら、
母も尊重していくことができるの? 
仕事も大丈夫? 
心からやりたいと思ってる? 
本当にあなたがしたいことは何?
何が引っかかっているの?
 
そこで、
ケアマネさんのアドバイスもあって、
「考えることも決めることもしない」
ことにしました。

体も心も休めながら、
私の日常を取り戻し、
自分のやるべきことをやっているうちに、
ふと答えがやってくるのではないか。

自然にゆだねてみよう。

 そう思ったのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする