すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

食べて、踊って、歌って、たーっぷり休養!

2010-10-30 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.18.(リハビリ日誌 31日目)


「豊吉さんが、ウツだ」と聞いて、
友人がお昼ご飯に呼んでくれた。

松茸ご飯をごちそうになる。
もう、幸せ~!

いろんな話ができて、気が晴れる。
友人とランチすること自体が、久しぶりだったなあ。

その後、バレエに行き、
今私が最も心弾む時間!
これも休みがちだったなあ。

整体の治療を受け、
体も心もすーっかり軽くなった。

その足で、レモンの里に行く。

「今日は休養するんだから、短時間で帰ってこよう」。

そう思って行ったのだが・・・

ちょうど夕ご飯の最中。
母は、夕飯をほとんど、吐き出している。
気持ちが悪いらしい。

それにしても・・・・

体が左に傾いていない!

力が入るから、傾いかないのだろうし、
傾いていないから、また力も入るだろう。

何か母の体の中のものが、
これまでとでぐっと変わっているような気がする。

これは、とてもよい兆しだ。

食卓を片付けて、
倉田さんのハーモニカの演奏を聞かせていただいたり、
ハーモニカに合わせて歌ったり。

私も「今こそ!」と遠慮なく大きな声で歌う。

私のストレスの解消法の一つは、歌を歌うこと。
ところが、
ここのところ大きな声で歌うとこともなかったなあ。

なんと、気持ちのよいことよ!

8時から15分ほどかけて、お経を読む。

あとは、歯を磨いて、寝る準備にかかる。
これが毎日のメニューでスムーズに流れる。

母も車椅子で歯を磨いている。

こんな夜の時間を毎日過ごしていたんだ。

こんなゆったりと安らかな夜の時間を送るなんて、
私にはあったかしら・・・?

ああ、やはり母は、
ここにおらせていただけてよかった。

いつもの大声を上げて、車椅子からベッドに移る。

パジャマに着替えて、
ほっとして心地よさそうに目を瞑っている。

私が知っているだけでも、
3時間左に傾くことなく車椅子に座っていたことになる。

すごい!

手はむくみ、足も冷たい。

足のマッサージをして、足を温めて、
母が眠ったところで帰る。

予定は、狂った、狂ったー!

だけど、夜の時間を共にすごし、私も安心した。

どうやら、私もウツから抜けつつあるようだ。

今日一日に感謝。

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私、ウツなんです・・・

2010-10-29 | 素老日誌

●素老日誌 2010.10.17.(リハビリ日誌 30日目)

今日は、レモンさんで母の誕生会をしていただける。

私は朝から勉強会に参加するので、
誕生会に出ることはできない。
私は出ることができなくても、
兄に参加してもらえる。

友人が母の誕生会のケーキを焼いてくださるので、
朝から私もケーキのデコレーションを手伝いに行く。

しかし、私は「私、ウツなんやわ」と涙がポロポロ・・・

ご飯も作れないし、
朝も起きられないし、
やる気が出ないし
眠れないし・・・

そう私は、自分がウツであることを告白しているのだ。

涙を流しながら、材料の果物を切る。

こうやって告白することで
楽になっている自分がいるのだ。
ほっとして、さらに涙がポロポロ出てくるようだ。

いいんだ、なんと思われてもいいんだ。
泣けてくるんだもん。
いいの、いいの。
泣かしてもらおう・・・

飾り付けたケーキをレモンの里に届ける。

「あれ、久しぶりやなあ。
私あんた知しっとるよ」

毎日顔を合わせているおばあちゃんが近づいてきてくれる。

「あれー、ありがとう!」

嬉しくて、また涙が出そうになる。

「持っていき、持っていき」と
湯でた枝豆を倉田さんが、たくさんくださる。

「こんなにたくさん、いいのー?」
言いながら、受け取っている私。

ありがとうございますと、
また、涙が出てきそう・・・。

まいったなあ。

夜また、違う友人にうつ告白をすると・・・

「それはね・・・お・と・し・ご・ろ!」

つまり、更年期障害ということだ。

そうか・・・!

私ったら、自分の年も忘れていたんだわ・・・^_^;

ほな、ぼちぼちいこか、ということで落ち着く。

人騒がせなヤツ!

それにしても、聞いてくださる方がいるって、
本当にありがたい。

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最期を看取り、見送る

2010-10-28 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.14.(リハビリ日誌 27日目)


●葬儀に参列できた

今日は、レモンの里のお仲間の告別式。

参列は、
親戚の方々、レモンの里の職員さん、仲間の方々。

故人のこれまでの人生を尊ぶという意味で
お花もあえて明るい色を使ってある。
壁一面に貼られた写真は、
故人の元気な笑顔でいっぱいだ。

お経をあげ、挨拶があり、終了。

後は、
皆さんで故人の持ち歌や慣れ親しんだ歌を歌う。

認知症でありながら、
人生の終盤を共に過ごした人たちで、
自分たちの居場所で見送ることができる。

遺影の前で手を合わせる彼女たちの背中は、
他の者には及ばない人生の先輩を感じさせられる。

なんと貴重な場なんだろう。

今日は、母も車椅子で参列させていただいた。

しかし、私が行く前からずっと泣いているそうだ。
「ええお人やったのに・・・自分が死んだ方がいい」
そう思うのだと言う。

8年前の父の逝去以来、
「見るのが、つらいから」と
どなたの葬儀にも参列してこなかった母である。
「死・別れ」というのが、母にとってはかなり厳しいのだろう。

「そんなことないよ」とも言わず、
ただただ、手を握って聞き流す。

「部屋に帰ってもいいからね」と職員さんが声をかけてくださる。

そう、無理をすることはない。

それを肝に銘じながら、母の様子を見守ることにする。

眉間にしわを寄せて目を閉じていたのが、
目もはっきりとして、
車椅子での姿勢も国魂神社の時のように傾くことなく、
まっすぐなままで背筋をしゃんと伸ばしている。

「うんこがしたいんやわ」。

またか・・・
ひょっとしたら、「緊張と排便」はつながっているのかもしれない。

これも様子を見ようと手を握って、聞き流す。

母は、肝心なところでちゃんと手を合わせようとする。
お花を添えることもできた。

ちゃんと葬儀に参加できているのだ。

おいしいわー!切り替え、はや!


一区切りがついたところで、部屋に戻る。

「お母さん、がんばったなあー!」
「ええ。よかったんかいな」。
「上等よー!」

時間はかかるが、手助けをしてもらいながら、
自分で車椅子からベッドに移動したものの
「あー、いたい!いたい!」

とその時!

「おなかすいたやろー。パン食べよか」
と職員さんが登場。

すると、
すぐに「おなか、すいたわ」と起き上がって、
パンをぱくぱく。
お茶もぐいぐい。

「おいしいわー」と頬張るしぐさの幸せそうなことよ。

切り替えが早い。

これも、調子のいい印。

先日の誕生会の様を思い出し、ふと思う。

ひょっとして、母子で進化したのかな・・・?

「ひとつの人生の終焉」に参列できたのだ。
レモンの里にいなかったら、ありえなかったことだ。

故人を偲びつつ、
母も残りの時間をここで最期まで豊かに過ごせることを祈る。

「最期を看取り、見送る」。

ここまで実践してこられたレモンの里の職員さんたちに、
あらためて敬意と感謝の念を捧げたい。

 

 

 

 

 

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「考えない」

2010-10-27 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.13.(リハビリ日誌 26日目)

レモンの里の仲間のお一人が亡くなられた。

危ない状態になって二週間。
連日家族さんの泊り込みの看護の下、
穏やかに逝かれた。

今日は、出棺の日。

ちょうど整体の先生が来てくださることになっている。
待っている間、
母は、はらはらはら・・・と泣いている。

しかし、朝起きたばかりの母は、出棺ということはわかっていないはず。

娘:どこか痛いの?
母:(首を横に振る)
娘:悲しいの?
母:(首を横に振る)
娘:泣けてくることもあるよなあ。
母:(首を縦に振り、またはらはらはら・・・と涙)

この涙の正体は何だろう?と思いつつも、
私は勝手に体が不自由になった母の胸中を想った。

そこへ、整体の岡先生が来てくださる。
先ほどからずっと涙している母の様子を話すと・・・

「今日のこのホーム全体の空気を脳が察知して、
泣いてみえるんでしょう」。

なるほど・・・確かにそうかも・・・。

道理で、今日の涙には、
感情が乗った重さ、激しさがなかったわけだ。

言葉にできる理由はわからなくても涙が自然に出てくる。
音楽を聞いたり、絵を見たりして無自覚に泣けてくる・・・
そういう感覚に近いだろうか。
いやいやもっと深いか・・・

こういう感性って、
何かにつけ理由をつけたがる頭でっかちの私には、
むしろ羨ましい。

だけど、そういう感性って、
私たちの中にも本当はもっとあるはずなんだよなあ。

そう、これも認知症の母から教わった大事なことの一つ。

それは・・・
「考えない」。

 

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国魂神社で歌ってきました!

2010-10-26 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.11.(リハビリ日誌 24日目)

 外出ができた!

今日は、レモンの里の氏神さんである国魂神社のお祭り。

1番バッターは、レモンの里の皆さんの歌。

母も車椅子で舞台下で参加させていただいた。
退院後、車に乗って外に出るのは、初めてだ。

車に乗るのも大変だったが、
車椅子でもどうしても体が、左に傾いてしまう。

それを左のひじで支えているのだが、
その力がないのでかなりの負担がかかる。
クッションを脇に詰めたりするが、
支えきれず痛くなっているのがよくわかる。
それを支える私が腕を痛めたくらいだ。

体が傾かないようにするには、
どうしたらいいのだろう?

でも、
外出ができたんだよ。

これだけでも、すごい!

舞台の上だって、いつも通り

この日あらためてレモンでやっていることに感心した。

皆さん、
練習という練習をすることなく
普通に昼食を食べて、バスに乗り込み、
気負うことなく舞台に上がっていつも通り歌っておられるのだ。
いかに歌うことが日常茶飯事になっているかの表れだろう。

母もマイクを向けられると、
にこっと笑って声を出そうとするのだから、面白い。

それにしても・・・

母には、観客が目に入っているのだろうか?

野外にいることが気持ちがよくて、
パニックになることもなかった。

グループホームの存在を
こんなおばあちゃんたちがいることを
地域の人に知ってもらえる場があるのは、
いいことだ。

地域に開くって、
胸はって生きる、ということにもなるかな。

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温泉で温まって・・・もうだめ~~~!!

2010-10-23 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.10.(リハビリ日誌 23日目)

夕方友人からふいに誘われた。

「日帰りで榊原温泉に行かない?」

即答・「行く!」


退院後、母のところに毎晩通った。

これには、いろいろ理由がある。

一つは、
母が夜勤の男性に抵抗があると知ったこと。
その男性に問題があるわけでなく、
「見知らぬ男性が部屋に入ってくる」
ということに母が反応するのだ。
それは入所以来あったらしい。

さらに、脳梗塞によって、
それまで自分で行けていたトイレに行けず、
オシメを替えて頂く身となったのだ。
ましてや、男性に替えてもらうとなると、
認知症であれ女である母にとっては抵抗があるに違いない。
ここは、徐々に慣れるためのワンクッションがいるだろう。

夜の安眠は、
高血圧のためにも
体の快復・再発防止のためにも
必須だろう。

そこで、私は、昼間とは別に、
母が慣れるまで毎晩行くことにした。

体の痛みを和らげる足のマッサージをして、
オムツを替えて、
安眠を確かめて帰る。

それは、今必要なことだからするのだが、
理由は、もう一つある。

「あなたに責任はない」「防ぎようはなかった」と言われても、
自分でもわかってはいても、
「早く気づいてやれればよかった」
その気持ちは、どうしてもぬぐいきれないのだ。

脳梗塞によって体が不自由になり
認知症も進んでしまった母を想うと、
こうして毎晩させてもらうことは、
私自身の気持ちを静めることにもなったのだ。


3週間よく頑張った!

温泉は、天国だ~~~!

サウナ、打たれ湯、水風呂、露天風呂といろいろ入った。

どんどん体が温められてくると、
逆に疲れを感じてきた。

ダメー、もう今日は行けなーい!
疲れた!
今日は寝る!

「豊吉さんは、頑張りすぎるから、気をつけてくださいね」。

そう言われるたび、
「大丈夫だって。ちゃんと休むから」
と思っていた。

自分では、休んでいるつもりなんだけどなあ。
自分の声、聞いてるつもりなんだけどなあ。

危ない、危ない!

あー、温泉に誘っていただいて、よかった~。

身にしみる心遣いに感謝。

 

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生きて会えることができるなんて・・・

2010-10-21 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.09.(リハビリ日誌 22日目)

今日は、久しぶりの雨に気持ちもしっとりとさせられる。

昼過ぎ、
母を見舞いたいという友人とともに母のところへ行く。

もう1人約束していた母の姪が、
すでに来てくれていた。

この姪が幼き頃、
二人は同じ屋根の下に暮らし、ずっと可愛く思い、
姪もちょくちょく母の様子を見に来てくれていた。
入院前にはレモンの里も来てくれている。

母は姪のことがわかり、泣いているところだった。

わかったんだぁ。

右手は、姪と硬く握手をしている。

そして、左手が涙をぬぐった。

ごくごく自然な動きなので、見過ごしそうになったが、
紛れもなくあの麻痺していた左手なのだ。

ここまで快復しているんだと、
あらためて驚く。

しかし、もっとびっくりしているのは、姪と友人だ。

友人は、自分の祖母の脳梗塞を経験している。

「本当に麻痺していたの? それが信じられない」。


もう会えないかと思っていた人と生きて会うことができる。

その喜びと感謝は、私には計り知れないもの。

それは、どんなにか母を勇気づけてくれることだろう。

左手は、そんなことも物語ってくれているような気がする。

 

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虐待じゃないんだけどね・・・ ^_^;

2010-10-19 | 素老日誌

素老日誌 2010.10.07.(リハビリ日誌 20日目)

1時から整体の岡先生が来てくださる。
まだ先生が着いていないときのこと。

トイレに行きたいというので、
車椅子で連れて行き便器に座らせる。

ところが、
移動のときの痛さ、不安からか、大声を出す。

「いたいー!いたいー!
もう、やめてちょうだい!
もうこんなひどいことは、こりごりやわ!
殺される!」

まあ、大きな声で叫ぶ叫ぶ。

しかし、私たちがしたのは、
便器に座らさせてあげただけ。

そこへ現れた岡先生。

「外までムチャクチャ聞こえてますよ」。

外で聞いていたら、
どんなひどい虐待をしているのかと思うだろう。
そのくらいの勢いだ。

「お母さん、元気になられましたよー!」
という職員さんの言葉にも、そういう母の反応も含まれる。

ま、これだけ声が出るようになったというのは
喜ばなくっちゃいけないんだけどね・・・^_^;

表現方法が非常に激しい。

母に不安があるのも事実だろう・・・。

この不安は、何からくるのだろう?
どうしたら、この不安を軽くすることができるだろうか?

岡先生やレモンの里の人とも考えるところ。

・「体が浮いている」という感覚が不安を招くのか・・・? 
 しっかりと体全体をサポートする側の体に密着させれば、
 不安は軽くなるのでは?
・腰を下ろすときの「腰が落ちていく感覚」が、
 不安につながるのでは?
 ベッドを高くするなど、
 立ったときと座るときの高さの差を小さくしてはどうだろう?
・これから、どのようにどちらに動くのか事前に話せば、
 不安は小さくなるのでは?
・「もう終わったよ。たいしたことなかったよ」など言葉とセットにして、
 「心地よいもの」として記憶に残ようにすれば?

まあ、しばらく様子を見てみよう。

この大声は、母の状態を知るバロメーターになりそうだ。

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その時、選んだことが最高!

2010-10-18 | 縁側の日

2010年10月7日より

7月以来、久しぶりの縁側の日です。

今日の参加者は8人。

伴侶の方が入所した、
新しいショートステイ、デイサービスに行き始めた、
認知症のおばあちゃん、おじいちゃんとの暮らしで
精神的にまいっていたお孫さんが、
自分の道を歩みだした!(拍手!!!)

などなど、
皆さんの状況は、大いに変わっていました。

その中で、入所時の家族の心境をご紹介いたします。

声がかかるのも「ご縁」

「施設に入る時期」というのは、
家族の思いと一致するとは限りません。

というのは、
施設はどこも「待ち状態」なので、
あちこちに早くから登録しておく。
これは、常識なんです。

つまり、入所の時期は、利用者で選べないのです。

いざ声がかかると、
「待ってました!」ということもあれば、
「まだ早いんだけど・・・」ということもあるのですよね。

今日の参加者の方もその1人。

なんと19箇所に申し込んだとか・・・。

声がかかった中で、気に入ったところに入所を決めたものの
そこでよかったのか、
まだ自分でもできたのじゃないか、
早かったのではないか・・・
と今だに悩んでいるということでした。

その気持ち、私にもよくわかります。
私もそうでした。

楽をさせてもらうと、
「まだできたのじゃないか・・・」という思いも出てきたり、
思っていたのとは違う、という点も見えてきたり・・・。

だけど、私はこの度、痛切に思いました。

グループホームさんに入っていてよかったと。

脳梗塞は、いずれは起こっていたでしょう。

私一人のときに起こったら、
私がパニックになっていたこと間違いなしです。

救急車を待つ時間、救急車の中、病院での待ち時間、入院中・・・。
いずれを考えても、ぞっとします。

一緒に怖い思いをし、「こわかったよねー」と言い合える人。

そういう人がいてくれることで、どんなに助けられることでしょう。

私にとって、それがグループホームの人たちだったのです。

早いかどうかはわかりません。

これは、「ご縁」としか言いようがないように思います。

大いに泣いて、すっきり!

ああすればよかった、こうすればよかった。

後になって気づくことって、多いものです。

これまた、私もそうでした。
私もこのたび母の脳梗塞に関して、たくさんありました。

だけど、どんなに悔しくても
その時の自分にはできなかったのです。
そうすることに気がつかなかったのですから、
選ぶこともできなかったのです。

それは、次に生かすしかないですよね。

だからと言って、泣いてはいけないわけじゃない。

車でどこかに出かけたとき、
近所が騒々しいとき、
お布団の中・・・などなど、

皆さん、いろいろなところでうーんと泣いている!
とニコニコとおっしゃいました。

そしたら、すっきりするよ!
とも。

皆さん、たくましくなってますね~!

「今」を生きる

「その時は、その時選んだことが最高!」と
考えたらどうでしょうか?
という話が出ました。

その時その時は、それが最高!
それで、今がある。
今は今で一生懸命考えて、今できることをする。
それが、今できる最高のこと。
それ以上最高のことはない。
それで、また明日がある。

それが、「今を生きる」ということではないでしょうか。

わかってはいても、
いつのまにか過去に行っちゃうってあるんですよね。

でも・・・

その時は、その時選んだことが最高!

そう思えたら、その時の安心もきっと増えますよね。


やっぱりぽかぽかの縁側の日でした。

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自分でもメンテナンスしていたんだぁ!

2010-10-16 | 教室

●素老日誌 2010.10.05.(リハビリ日誌 18日目)

●左手でつまんだ!

今日も昼間は行けず、夜のみ。10時半ごろに行く。

「お母さん元気よ」と職員さんから昼間の様子を聞かせていただける。

今日のおやつは、栗きんとん(れもんの手作り)だったのだが・・・

なんと、左手でつまんだ!
と言うのだ、左手で!

さらに、口を左手でぬぐったのだそうだ。

●自分で移動した!

また、車椅子から移動するとき、「痛い、痛い」と大さわぎ。

「それじゃあ、自分で行ってみたら?」と言うと、
本当に自分で立ち上がろうとしたらしい。

サポートすると、
自分でベットにゆっくりと滑り込んだというのだ。

えっ?どういうこと?

一度に事態が飲み込めない私は、しつこく聞く。

職員さんも面白そうに実演して見せてくれる。

人に抱かれて移動するときの不安感・怖さより
自分で行った方がいい!
そう思ったのだろうか?
それができると確信が出てきたのだろうか?
体が自然に動いたのだろうか?

いずれにせよ、「自分で移動する」を実行したのだ。

●右手で「左手が動きますように」

部屋に行くと母はよく眠っている。

いつもの足のマッサージをしていると母がうっすらと目を開けた。

私を確かめて、何を考えているのかじーっと私を見ている。

そして、
ゆっくり左手を動かし、
自分の胸の上に置いて止めた。
次に、左手の上に右手をそっと重ねた。
優しくさすりながら母は、言った。

「左手が動くように、ってさすっとるの」。

そういえば・・・

夜眠っているとき
母の左手が胸の位置にあることがあったなあ。

私は、「ここまで動かすことができたんだ」と思うだけだったのだが・・・。

母は、自分でも意識してメンテナンスしていたんだ・・・
そうだったんだ、そうだったんだ・・・

ささやかな変化、いや、ささやかな変化だからこそ、
傍にいるものが、しっかりと見る。
そういう人がいてくれて、
人はさらに意識的によく生きようとするのではないだろうか。

相手が人である限り、
どんな病気を抱えていても、
いくつになっても、
子育てであろうが、
介護であろうが、
みな同じではないだろうか。

だって・・・
人とは、誰もがよく生きようとしているものだから。

私は、そう思っている。

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