すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

故父とのコラボ・母安らかに逝く

2013-02-09 | 素老日誌

                          寒中、故父のアロエ

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
またまたご無沙汰してしまいましたー! ^_^;

一つ、ご報告です。

母が、ついに2月4日(月)安らかに旅立ちました。
そして、2月6日(水)、葬儀・納骨まで終わりました。

最期に母は、なかなかの計らいを見せてくれました。

●兄の家族にバトンタッチしてから

兄家族にバトンタッチしてから、約1年半。

兄の家と生協病院とを
2週間ごとに行き来できるほど安定していました。

病院でも兄の家でも、ケアが行き届いていた証だと思います。

それが、昨年の11月から兄の家には帰れなくなりました。

唯一残された飲み込み機能も落ち、
鼻からチューブで栄養を直接胃に入れていました。
徐々にそれもできなくなり、点滴だけとなりました。
それでも顔つやよくおりました。

2月1日、母は肺炎を起こしました。

そして、2月4日、兄夫婦と私と娘に囲まれて逝きました。

●最期の最高のおき土産

ああ、もう逝くな、という時のこと。

もう動かなくなっていた目の筋肉が
おもむろに動いたのです。

ぎゅううっ。

それが母の最期にして最高のおき土産、

「笑み」でした。

そして、その直後安らかに逝きました。

これまで、正直に言うと
「早く逝かせてあげたい」と何度思ったことでしょう。

でも、いつもどんな状態になっても、
そこには一生懸命に生きる母の姿がありました。

本当によく頑張りました。

あっぱれ!

母に心から拍手を送りたいと思います。

● 二人のコラボ!

実は、母の葬儀の2月6日は、父の命日。

そして、今年は、13回忌に当たっていました。

でも、母の様子を考えて見合わせていたのです。

それが、計らずとも、その日に
父母の子ども、孫が集うことができたのです。

また、父と母の誕生日は2日違い。
つまり、
誕生日も命日も2日違いの二人になったわけです。

まるで父と母のコラボを見せてもらえたようでした。

きっとあの世で、二人仲良く再会していることでしょう!

めでたし、めでたし。

こんな気持ちで母を見送ることができるなんて・・・・


これまで温かく見守り、支えてくださった皆さま。

心よりお礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

そして、
これからも宜しくお願いいたします。

m(__)m m(__)m m(__)m

 

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縁に導かれて こん こん こんの こんちくしょう

2012-06-24 | 素老日誌

2012.6.24.

今日勉強会で一緒になった方をご自宅まで車で送っていくと・・・

なんと!

母がお世話になったデイサービス・ぬくもりさんのすぐ近く。

母の女学校の時のお友だちの娘さんがしていらっしゃって、
母とそのお友だちは、いつも一緒でした。

二人の認知症の程度が同じくらいだったのも幸いしました。

「あらー、女学校以来やなあ」

この挨拶で、毎回毎回始まっていたそうです。(^_^;)

けれど、

進行が進み、
母がグループホームに移って間もなく、
そのお友だちは、先に逝かれてしまいました。

懐かしい・・・

娘さんのお顔を見るだけでも、
と立ち寄ってみました。

すると・・・

「今日は、母の命日で 
今帰ってきたところです!!
 ちょっと、待ってください」。

戻って来られた手には、この本が。

ぬくもりさんに温熱療法に来てくださっている方が
詩集を出されたのだそうです。

その中に「母」の詩が載っているというのです。

 

お風呂嫌い

今日は頭が痛くって
お風呂に入りたくないよ

今日は寒気がするから
お風呂に入りたくないの

胸がドキドキしてきた
お風呂に入りたくない!

ヘルパーさんは困り果て

「娘さんに頼まれたので
お風呂にはいりましょう」

「うちの娘は
 こん こん 
 こんの
 こんちくしょう」

言い残したおばあちゃん、
何処かに行っちゃった


ほんとだぁ~。
まちがいなく「母」です。

この本を持ってその足で母の病院に行きました。
ご縁に導かれて行きました。

山本紫苑さん、
母は、今なお眼力で言ってます。

「こん こん こんの こんちくしょう」

おじいちゃん、
おばあちゃんの代弁のような詩集。

認知症やお年よりならではの
ユーモアと周りのぬくもりがつまっています。

ここにも そこにもあるシーンばかり。

でも、見落とされてないかしら?

ぜひ、覗いて見てください。

 

 


 

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素老日誌・最終回 「親離れ、娘離れの時」

2012-03-09 | 素老日誌

2012.3.9.

今回を素老日誌・最終回といたします。

2月、
母はようやく兄の家と病院で
2週間ごとに過ごすことができました。

話すことも自分で体を動かすこともできません。

ただ、「胃ろう」はせず、
注射器で食べ物を飲み込むことがはできています。

私は、母が病院にいるときに、
マッサージをして歌を歌って帰ってきていました。

こうすると、母の表情がはっきりとしてくるからでした。
母は歌が大好きだったからでした。
母に私ができることは、
これくらいしかないと思っていたからでした。

ところが、ある日のこと。

看護婦さんから、
「相部屋なので、外に出て歌っていただけます?
いつでもベッドを外に出しますから」
と言われました。

これまで相部屋でも、
同じ部屋の人に「歌ってもいいですか?」と
確認し了解をもらって歌ってきました。
その前日も部屋の人は一緒に歌ってくれていました。

これまで、こんなことは一度も言われたことはありませんでした。

どうしてだろう?

それから数日後、
ふと私の脳裏に母の声がしたのです。

「晴子、私のことはもうええ。
 自分のことをしな」。

そうか、そういうことだったんだ・・・

母のことに労力も時間もかからなくなったのだから、
私は自分のしたいことを思い切りしようと思っていました。
ところが、意外なことに、
これまで自分がしたいと思っていたことに
心も体も動かないのです。

じゃ、私のしたいことって何?
まるで、
全く先の見えない振り出しに戻されたようでした。

これまでは、自分の人生を生きていたんじゃなかったの・・・?
本当に自分のしたいことを見つけなきゃ・・・

だけど、情けないやら焦るやらで、
ますます動けなくなる。

そんなときの看護婦さんの言葉に
気落ちしてしまいました。

でも、母の声が聞こえたとき、
全てがストンと腑に落ちたのです。

そう、今本当に母に安心してもらいたかったら、
自分の感覚に耳を澄まし正直に
自分のために生きること。
私が心から「幸せ」を感じたとき、
母は本当に安心して逝ける。

ひょっとして・・・
これが、母離れ・娘離れ?

そう気づいた瞬間、
自分のための人生を生きる!
という想いが私の中に湧いてきました。

ということは・・・

素老日誌は、
親離れ・娘離れするためのお話だったということ・・・

ということで、
これにて幕を閉じることにいたしました。

皆さん、
永きにわたりおつきあいいただきまして、
本当にありがとうございました。

皆さん、幸せにいましょうね。

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存在、すなわち愛

2011-10-08 | 素老日誌

10月07日(金)より

今日、カンファレンスが持たれた。

ケアマネージャー、
看護士長、
メディカルソーシャルワーカー、
兄夫妻、
私の6人。

母の現状を確認し、今後を決めた。

母は、兄の家で看てもらえることになった。

よくぞ決心してくれたと、兄、義姉に感謝する。

私や兄夫妻の気持ちも汲んで力を貸してくださる。

いかに頼もしい人たちに恵まれていたことか。

あらためて、しみてくる。

 

病室の母に報告する。

「お母さん、
今度はお兄ちゃんの家で暮らせることになったよ。
よかったなあ。

お母さんは、ほんとに幸せ者やなあ。

子育て、大成功!
人生大成就や!

お母さん、頑張ってきてよかったなあ」。

すると、
もう言葉を発することはないのかと思っていた母の口が開いた。

「う・れ・し・い」。

 

どんな状態になったって、
最期まで、
親は親であり、人は人なんだ。

また一つ、母は教えてくれた。

母といると、
「これを言葉でどう表現したものか」
と思う心境・空間・時間に出くわすことがよくある。

どんなに頭を思い巡らしても
私の乏しいストックに見つけることはできない。

あえて言うなら・・・

「存在、すなわち愛」・・・だろうか。

 

 

 

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身も心もストーンと落ち着きました

2011-10-04 | 素老日誌

やっと私の心が決まりました。

念のため一週間様子を見ましたが、大丈夫。

もう迷いもなく、
心は穏やかになり、
どんどんシンプルになっていったような気がします。

「私がこの家で母を看るのはやめる」。

そして、昨日結石破砕後初めての診察でした。

「綺麗になくなっていますね。
腫れていた腎臓も正常になっていますよ」。

「えー!本とですかー?
うれしー!
ありがとうございます!」

私は、思わず先生の手をとってしまいました。(若い男性医!)

実は、治療後、
破砕された石が落ちるときに痛むと聞いていたのですが、
全く痛みはないし、
毎回トイレでどんな石が出てくるんだろう?
と楽しみにしていたのに、一向に見当たらない。
こりゃ、まだがんばっておいでるのかしら?

と思っていたものですから、
もう、びっくりしました。

本当にこれで身も心もすっきりしました!
ストーン(stone)と落ち着きました。

私に気持ちの整理をさせてくれて、
健康管理を見直させてくれて、
私の感情も持ち去るように
痛みも与えず、姿を消してくれた結石ちゃん。

なんとタイムリーな潔い救世主だったことでしょう。

ありがとう、結石ちゃん!

もう来てもらわなくても、私は大丈夫よ~!

 

あれからちょうど一月、

明日は、縁側の日です。

もちろんやります。

お待ちしていますね~!

 

 

 

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考えないで、自然にゆだねる

2011-10-02 | 素老日誌

自然に逝けるよう見守りたい。

母のような状態まで来ると
「母の意思」より、
家族の「悔いなき見送り方」に
ウェートがかかるように思います。

つまり、他人のサポートとは別に
「家族の共同作業」が欠かせない時期に入った
ということでしょう。

そこで、兄と相談しました。

今の寝たきりの母に胃ろう(胃に直接栄養を注入する)を施せば、
口を開けて声を出すこともなくなり、
口からの刺激もなくなり、
ただの寝たきりになるだろう。

それは、単なる「延命治療」に過ぎないのではないか。

私たちは、
「胃ろうはせず、自然に逝けるよう見守る」
ということで合意しました。

しかし、実際それができる所は、
身近で私たちが知る限り「在宅」しかないのです。

兄は私をサポートしてくれると言ってくれました。
「それなら私は頑張れる」。

そう答えたものの、その夜私は眠れませんでした。
どうしても私の気持ちが定まらないのです。

 答えは、自然にゆだねよう

この2週間を振り返ると
一つ一つ解決方法があり、
今度は間違いなく前より「楽」になるでしょう。

でも、これまでには抱いたことのない思いで
いっぱいになってくるのです。

自分を大事にしながら、
母も尊重していくことができるの? 
仕事も大丈夫? 
心からやりたいと思ってる? 
本当にあなたがしたいことは何?
何が引っかかっているの?
 
そこで、
ケアマネさんのアドバイスもあって、
「考えることも決めることもしない」
ことにしました。

体も心も休めながら、
私の日常を取り戻し、
自分のやるべきことをやっているうちに、
ふと答えがやってくるのではないか。

自然にゆだねてみよう。

 そう思ったのです。

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私の精神的サポートが要る

2011-09-30 | 素老日誌

●2週間から見えてきた「恐れ

これまでは
「母がよくなるように」としたことで、
必ず何かしらよくなっていきました。

ところが、

リハビリ専門の病院に移った初日から、
ガクンと母の状態が落ちたのです。

私も交えていただき先生方と取り組みましたが、
成果らしきものはありませんでした。

どうして? 環境? 

私には不思議でなりませんでした。

家でゆっくりすれば、
前の病院でできたことができるんじゃないの? 

「在宅」にはそういう思いもありました。

家に帰ると、スプーンでガバッと口を開けて食べる、
ということを再びするようになりました。

しかし、それも束の間。

自分から口を開けることも次第に減っていきました。

これからは下降していくんだ。
そういう時期に入ったんだ。

この現実を肌身で感じました。

刻一刻と人生の終盤に向っていく母の変化を受けとめること。
見守っていてよい状態か、
医療行為が必要な状態なのか、
その見極めが難しい上に、
私だけの母ではないのに私一人で判断すること。

これは、今後私の精神的負担になっていくに違いない。
   
それは、疲れた私には恐れにすら感じられました。

「私の精神的サポートがいる」。

それを痛切に感じました。

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「あー、もうダメだー!」結石のお助け・その4)

2011-09-27 | 素老日誌

5. 帯状疱疹

おまけに母の疲れを物語るように、
下半身の広範囲に帯状疱疹が出てきたのです。

「あせもかも」と言われてから、
「帯状疱疹」とわかるまでに時間がかかり、
これが、また長かったわ~!

夏でオムツの中にもたくさんあったものですから、
その手当てにまた時間と神経を使うことになりました。

6. 昼と夜が反転

あれだけ昼間ねまくるとやはり夜は目覚める。
「あーあーあー」と訴えるのです。

夜中の水分補給のこともあり
起きるとまた起こされる。

さすがに夜中に3回起こされると、
昼間の私の頭は朦朧としてきました。

「まだ2週間? あー、もうダメだー!」

そう思っていたところでした。
結石の痛みに襲れたのは。

急遽、臨時のヘルパーさんも手配していただけて、
まず私はぐっすり眠ることができました。
と言っても、痛みは抱えたままなのですが・・・。

お医者さんには、入院の可能性もあると言われ、
私の治療のために
「母が入院」させていただけることになったのです。

これはたった一人の介護者に
「病名」がついて「治療」が必要になったからです。

でも、こういう状況でも入院できたこと自体、幸運なことなのです。

こうして、今回の在宅介護は2週間目にして、
「休養」と「見直し検討期間」をいただけることになったのです。


「結石が神様からの救い」というのは、こういう理由です。

今思っても、「結石さまさま」です。

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「栄養失調」か「老衰」か・・・?(「結石」のお助け その3)

2011-09-23 | 素老日誌

2. 水分補給

夏なのでなおさらですが、
体温調節とともに、気になるのが水分補給。

とろみ具合によっては、むせやすいので、これまた神経使います。
暑いし、まとまった量をとりにくいのですから、
水を取る回数が自ずと増えます。

ということは、誤嚥を気にする回数も増えるわけですから、
やっぱり神経は使いますわ。

3.「栄養失調」か「老衰」か・・・?

リハビリ専門の病院では、母に合わせてもらっているとは言え、
たくさんのメニュ―に
母はさぞかし疲れたことと思います。

家に帰ってくると、ねるわ、ねるわ。
ご飯の時間も無視してねまくります。

起こしても、眠ってしまうので、
一日のご飯の摂取量が減ることになります。

どうやって、栄養を取ればいいか?
バランスドリンクで補うにしても、
時間を見計らうしかない。
時間の予定は組めないし、時間だけがとられる。

こういう日が続くにつれて、
「栄養失調にならないか」と、
日ごとに神経が磨り減る思いがしました。

「栄養失調」と「老衰」の違い・・・?

うーん、ここにどう向き合うかが、
今後のキーポイントの一つになるでしょう。

3.適度のペースト状が微妙なんだなあ。

母は、注射器を使って食べるので、
食事は「ペースト状」にしなくてはなりません。

離乳食の要領で、
私の食事と同じものをミルサーやミキサーでブーンとすればいい、
と安易に考えていました。

しかし、注射器に応じた固さ・滑らかさ、
これが微妙なんですねえ。

また、時間がたつと固さが変わる!

適度のペースト状に調整するのに時間がとられました。

市販のものも買いましたが、
種類も少なく、コストもかかります。

また、
タイミングを逃すと寝てしまうので、
母の食事の時間に私も食事をとるということは難しく、
まずは母優先となり、
自分の食事がおろそかになってしまいました。

これは、全く私の予測の甘さからくる準備不足・・・

でもまあ、やってみないとわからなかった、
ということにしておきましょう。

 

ここまで書いてきて、
はあ~、神経使いまくっていたんだわ。
そりゃあ、疲れるわ。

とあらためて納得しています。

まあ、よくがんばった、がんばった!

でも、まだおまけが訪れるのです^_^;

(つづく!)

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なんで体温が上がるのー!?(結石のお助け、その2)

2011-09-22 | 素老日誌

 

今回は、まだ母には医療的なサポートが要ると思っていた私には、
家で看ることは不安でした。

と言って、今のままの母を看てもらえるところはなく、
不安だらけのまま、
「やってみるしかない」と始まりました。

そして、やってみたからこそわかることがたくさんありました。

 どなたかの参考になれば、と思いお話していきますね。

1. なんで体温がこんなに上がるのー!?

●母が特別ではない

病院にいるときから、体温は38度を前後し、
保冷財で冷やすと36度台に戻る、
という状態でした。

それだけ母の体が
自分で体温調整をすることができなくなっているのです。

冷房のきいた部屋にいても、
外部と並行して体温が上がるらしいです。

高齢、認知症、脳梗塞の後遺症。

どれもみな体温調節ができなくなる原因になるというのですから、
「母が特別ではない」ということです。

ただ、母の場合、
38度以上になると、誤嚥性肺炎の疑いもあるので、
その時はお医者さんに見てもらわないといけません。

その見極めは要るんです。

家に帰ってきたら、体温は多少落ち着くのでは?
なんてかすかに期待していたのですが、
甘かったなあ。

全く同じでした。

病気ではないのだからと、高温のままにしておくと、
ぐったりしてくるし、食欲も飲み込み機能も落ちます。

看護婦さんから聞いてはいましたが、
ずっとそばにいて初めてこの実態が身をもってわかりました。

「体温を管理する」。

慣れない私には神経を使うことでした。

 ●平熱が上がったと思えば・・・?

でも、まあこれも慣れれば、そんなに神経を使わなくてもいいようです。

看護婦さんがニコニコとこう言っていました。

「平熱が上がったと思えばいいんよ」。

確かに・・・!

固定観念をはずす。
そうそう、流動的に看れれば、楽になることもまだありそうです。

季節も涼しくなっていきますしね。

あ~き(秋)よ、来い!

(つづく!)

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