「そろそろリップス摘みに来てね!」と言おうと思っていた矢先のこと。
●お義母さんが倒れた!?
8月29日夜8時過ぎ、お義父さんからの電話。
「お母さんが倒れて、今、救急車を呼んだ」と。
私たちもすぐに駆け付け、
運ばれる母の意識がなく、体が傾いた様子に察しがついた。
「脳卒中だ」。
相方さんと義妹さんは病院へ、私は足の不自由な父と家で留守番。
義父は義母が倒れる瞬間を見ており、
すぐに電話したし、救急車の到着、対応も迅速。
これ以上早い対応はなかった。
よい結果を祈りつつ、待つこと4時間。
「血管内の血栓は、全て取れた。
しかし、2個の大きな血栓があったため、
既に脳に損傷があり、身体に後遺症が残る」。
私は、脳内出血と脳梗塞を患った父母の経験から、
これから起こることを想像した。
しかし、私には想像できなかった
家族の団結と医療システムの経緯を見ることになる。
●ええ? もう始めるんですか?
翌日、義母に会う。
右半身麻痺、食べることができない、喋れない。
母の姿に泣き崩れた父、
車を飛ばし夜中に着いた妹さん夫婦を含め、
もう一人の妹さんと私で、医者から話を聞く。
その後、カフェで家族会議。
その日は、
一人の妹さん夫婦は、一人暮らしになる父のサポート申請など父のことを、
私ともう一人の妹さんで母に付き添うことになる。
たまたま私が一人でいる時、言語療法士が来て治療を始める。
しかし、母は、まだ自分で頭をもたげることもできない。
これで、もう始めるの?
と驚いていると、彼女は私に説明を始め、
「やってみて」と言う。
え?私?
しかし、母の嚥下リハビリにも携わった経験が私にスイッチを入れる。
「上手じゃない」とニッコリ。
また翌日も彼女は、
たまたま私が一人の時に来て、次の方法を伝授。
家族ができると、少しでも刺激の機会を増やすことができるからだ。
母が、顎を動かし、つばを飲み込んだ。
「やったー!」と喜ぶ私に、母もニコッ。
笑顔が出た。これも大きな変化。
もう一つ驚くことに、2日目から身体のリハビリも始まった。
椅子に座れて、椅子からベッドに歩いて移動するではないか!
右側は麻痺しているのに。
ちなみに義母は、84歳。
もちろん、個人の状態によるのだろうが、
この治療の進め方の早さに驚いた。
●「明日、救急車でリハビリセンターに移ります」
入院7日目、医者から説明があるというので家族が揃う。
「明日、リハビリの為にFinnsnes(トロムソから車で3時間、船で1時間 半)に移ります。
そこが彼女にとって最適なリハビリ場所だ。
新たに脳梗塞発症の時には、トロムソで治療をする(救急ヘリコプターでトロムソまで10分)」。
どうして? トロムソにリハビリ施設はないの?
誰が決めたの? 家族が選べるんじゃないの?
そんな私に、相方さんは淡々と答える。
「彼女に最適なリハビリを受けられる場所が、
たまたまトロムソじゃなかったんだ。
先生が決めた。そこは病院の管轄だから。
病院には患者がどんどん入ってきて、ちゃんとリハビリできない。
ここはあくまでも治療だけで、
リハビリは別の場所で施されるんだよ」。
なるほど。
「病院でリハビリを受け、退院後の施設を家族が決める」
という日本と、システムが違うのだ。
病院の仕事の中で、
「治療」と「リハビリテーション」が早い時点で区別されるのだ。
● 父発熱
Finnsnesは、妹さんの家から近いので、お父さんも妹さんの家で暮らすことになった。
ところが、出発当日父は熱を出し、父は母より遅れていくことになる。
妹さん二人が、母の服などを用意して船で、
母は救急車でFinnsnesまで移動。
私が救急車の母を見送り、相方さんと父のフォローをすることになる。
● 環境でこんなに違うんだ!
妹さんたちがリハビリセンターに先に着き、母を迎える。
外の景色が見える自分の部屋で
目つきがはっきりした母の写真が妹さんから送られてきた。
2枚目には、
皆が集まるリビングでテレビのニュースに見入る母の姿。
翌日送られてきた動画では、
編み物の得意だった母が左手で毛糸を繰ろうとしている。
病衣でなく、自分のピンクのセーターを着た母は、イキイキと見える。
環境でこんなに違うんだ!
写真だけでも、たった2日のこの変化に驚く。
**********************************
お父さんの熱も下がり、体調も戻ってきて、
安心してこれを書いています。
義母が倒れてから、最も近くに住む私たちが、
毎日父のところに行っていたのですが、
時間差で見舞いに行く家族から電話があり、
毎日、父を通して、母の進化を共有している感じ。
そのお陰で、長く病院におれない父にも、
母の様子がよくわかり、皆が笑顔でおれました。
当初こそ泣いたものの、前向きに相談しながら、
手分けして取り組む家族。
自分の父母の時のこととも思いだし、
泣けてくる私も、彼らから大きな安心をもらいました。
また、私の介護経験が生きたこと、
私の話す言葉が母に通じたこと、
私の手を左手で何度もギュウと握ってくれたり、
ニコッとしてもらえたこと、
私自身が「家族の一員」「役に立ってる」という実感を持てたこと。
トロムソに来て、初めての貴重な体験でした。
そして、これが、発症後10日にもかかわらず、
すでにリハビリセンターにも満足し、家族は安心して過ごしています。
さらに、この入院費用から全て無料です。
まだまだこれからですし、新たな脳梗塞の可能性も忘れてはいけません。
義母が、いろいろな面で、ラッキーであったことにも感謝です。
しかし、この10日間で、幸か不幸か、
「福祉国家」と呼ばれる国の一面に助けられたのも事実です。
来週は、私たちがFinnsnesに行くことになっています。
どんなお母さんに会るんだろう?
リハビリセンターにも興味津々。
うーん、待ち遠しい。
病室に活けた薔薇は、我が家でまだ美しく咲いています。