ベストセラーになっている「日本国紀」(百田尚樹著)を読んだ。この日本通史は明治以降の近・現代史に全体の約半分の紙数を割いており、百田氏はこの時代に特に意欲を燃やしたことが窺える。過去の出来事をどのように扱うか、どの出来事を取り上げるか、取り上げないか、で歴史観が変わってくるが、私は本書の歴史観に賛同する。
さて、“徴用工”問題で韓国の最高裁判所が原告の訴えを認め、新日本住金に賠償金の支払いを命じたことは、日本の韓国併合に正当性がなかった、という前提に立っている。では、「見本国紀」は韓国併合をどう認識しているのか。以下太字は同書からの引用である。
日本は日露戦争後、大韓帝国を保護国(外交処理を代わりに行なう国)とし、漢城に統監府を置き、初代統監に伊藤博文が就いた。この時日本が大韓帝国を保護国とするにあたって、世界の了承を取り付けている。
日本は大韓帝国を近代化によって独り立ちさせようとし、そうなった暁には保護を解くつもりでいた。日本国内の一部には韓国を併合しようという意見もあったが、併合反対の意見が多数を占めていた。・・・(中略)併合反対の一番の理由は「併合することによって必要となる莫大な費用が工面できない」ということであった。
(中略)
しかし、(併合に反対だった)伊藤博文が明治42年(1909)、ハルビンで朝鮮人テロリストによって暗殺され、状況は一変する。国内で併合論が高まると同時に、大韓政府からも併合の提案がなされた。
その後も日本政府は併合に慎重だったが、列強に併合案を打診し、反対がなかったことから、併合に踏み切った。すなわち、韓国併合は武力を用いたものではなかったし、大韓帝国政府との合意に基づいてなされたものである。(この部分は引用ではなく、要約である)
そして、併合によって韓国の近代化が進展した。例えば
●併合前には百校しかなかった小学校を4,271校に増やして、それ以前は10%程度だった識字率を60%にまで引き上げた。この時にハングルを普及させた。(現在の韓国の教科書では、日本がハングルを奪ったと教えているが、とんでもない間違いである)
●新たに農地を開拓し、灌漑を実施して、耕地面積を倍増させえた。その結果、30年で人口が倍になった。
●平均寿命が24歳から42歳になった。
●奴隷制度が廃止された。
では、なぜ日本は日露戦争後、大韓民国を保護国にする必要があったのか。「日本国紀」を要約すると、次のようになる。
明治以前から、ロシアは南下政策を取り、満州、朝鮮半島、そして日本を支配下に置くことを画策していたので、日本としては安全保障上、朝鮮半島が近代化し、しっかりした独立国になることが望ましかった。しかし、朝鮮は自己統治能力がなく、近代化も進展しなかった。
明治27-8年の日清戦争の結果、朝鮮は清から独立し大韓帝国になったが、大韓帝国は日本より強大と思われたロシアに接近したため、日本としてはロシアの脅威が去らなかった。そこで日露戦争が起き、日本が勝利して大韓帝国を保護国とした。
ここまでが「日本国紀」に記されている韓国併合の経緯であり、その正当性はまぎれもない。特に大韓帝国政府も併合を望んだことがキモだと思う。したがって、韓国の最高裁判所が唱える「併合無効」論は成立しない。
ではなぜ韓国の最高裁判所は「併合無効」論を唱えるのか。私は、政治家から裁判官まで、すべての韓国人が歪曲された歴史しか知らないからだ、と考える。なんでも日本が悪いからだという歴史観に立てば、恨みが募るのは当然である。加えて、中華思想により韓国人の方が日本人より上であるという大前提があるから、なおさらである。
百田氏は「日本は韓国を併合せず、保護国としておくべきだった」と「日本国紀」にのべているが、その通りだと思う。