前回は「韓国併合は日本が強制したのか」を日本側の認識から検証した。その要点は、当時、韓国は自己統治能力を喪失し、財政的にも国を維持していけるような状態ではなかったから、韓国は国としての存続を断念した(1910年)、ということに尽きる。
これに対し、韓国側は「韓国は、日本に無理矢理併合され、苛烈な植民地支配の被害者だった」と認識している。その認識が正しいかどうかは問題ではなく、国の存立がその認識に立脚しているから、絶対に譲れないのである。
具体的には、韓国の憲法は「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3.1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と…」(以下省略)」から始まる。韓国の教科書では、1919年3月1日に起きた独立運動の後、独立運動家が上海に集結して大韓民国臨時政府を樹立し、光福軍を組織して、日本に宣戦布告し連合軍と連携しつつ、ついに1945年に独立を勝ち取った」と教えている(「本当は怖しい韓国の歴史」豊田隆雄著より引用)。
現実には、「上海に設立された臨時政府」にせよ、「光福軍」にせよ、「日本に宣戦布告」にせよ、証拠はない。しかし、韓国はこういうストーリーを組み立てることにより、韓国が戦勝国だったと主張している。つまり、韓国としては、戦勝国になる論理的出発点が、憲法に明記された3.1運動なのである。そして、日本の併合を認めると、韓国は戦勝国ではないことになるので、絶対に認めたくない。真実はどうであれ、こうあってほしいというのが韓国の歴史であり、国家的イデオロギーである。
1965年の日韓基本協定は、お互いにこうした歴史認識のずれには目をつぶって、未来志向の友好関係を構築することを優先したのである。百年以上も昔の日韓併合を今更議論することは、両国にとってまったく無益だと考える。