2月22日付けの朝日新聞は、“無知から始まる「正義」の衝突”と題した社説を掲載した。その内容は“日韓がそれぞれ「正義」を主張して、衝突が起きている”であり、その論旨には承服しかねる部分もあるが、ここでそれについては議論せず、文中にある次の文言に焦点を当てたい。すなわち、“韓国社会が強く反応するのは、植民地支配など過去を正当化するような動きを日本に見つけた時” について論じる。
この論者(箱田哲也)は言外に「日本の朝鮮併合は不当な行為だった」という前提に立脚していると感じる。私もつい最近まではそのように認識していたし、大部分の日本人も同じだろうと想像する。しかし、不当行為とは何だったかを具体的に認識していたわけではない。そこで、「併合」が不当行為だったか否かを数々の文献から調べてみた。
その結果、私は“「併合」は不当行為ではなかった“ことを確信するに至った。その根拠は次のようである(これまでのこのブログで書いたことと一部重複する)。
(1)19世紀後半の朝鮮は、貧困に起因する暴動の頻発と恒常的財政赤字、官僚の習慣的収賄などの事情により、国家としての統治能力を失っていた。さらに、儒教の教えにより、抜本的改革が困難という事情もあった。そこで皇帝は自力での統治を断念し、日本との併合によって国民生活を安定させる決断に至った。
(2)一方、日本は自国の安全保障の観点から、ロシアの南下を防ぐために、朝鮮に近代化するよう求めていた。ここで両者の利害が一致し、欧米列強の承認を得て、日本は国際社会に朝鮮併合を宣言した(1910年)。
(3)1919年3月に独立を求める暴動がおきたが、それはまだ「併合」作業が軌道に乗っていなかったからで、その後は1945年の敗戦まで目立った独立運動は起きていない。その平穏だった期間に国民生活が急速に向上したことは、人口・工場数・学校数などの各種統計数字で証明される。
(4)1910年-1945年の35年間において、日本の朝鮮運営に関する収支はほとんど毎年赤字であったことは、日本が朝鮮との一体化を実直にかつ真摯に進めたことを物語る。こうした近代化政策は、欧米列強による収奪・搾取による「植民地」運営とは異質であった。
(5)韓国は「併合」が「強制された」と主張しているが、いかなる改革でも既得権者などによる反対はあり、反対論が多少あったからといって「強制」と言うことはできない。
(6)朝鮮人から見れば、「併合」は国を奪われたことであり、中華思想で見下していた相手に支配されることは屈辱だっただろう。その感情が反日の大きな要素になっていると思われる。しかし、(1)により、“身からでた錆”と認識すべきである。
(7)1895年(併合の15年前)、日本人の暴漢グループが朝鮮王朝の宮殿に乱入して、皇帝の妃(閔妃)を殺害するという事件があった。その理由は、当時の朝鮮王朝の実力者だった閔妃が開国を拒み、ロシアに接近する態度を見せていたことであるが、理由がなんであれ、この事件は暴挙であり、「併合」に至る過程での日本の唯一の汚点である。しかし、当時の朝鮮総監で併合に反対だった伊藤博文が朝鮮人(安重根)に暗殺されたこと(1909年)を勘案すれば、「お互い様」ということになる。
以上、日本の「朝鮮併合」が不当行為ではないことを説明した。では、なぜ日本人(以前の私を含む)が漠然と「朝鮮併合は不当行為だった」と認識しているのか。それは、GHQ(連合軍総司令部)が実施したWar Guilt Information Program(WGIP)に起因する。
WGIPとは、連合軍(実際には米国)が、日本が二度と戦争することがないように、日本人の心に戦争への贖罪意識を植え付ける宣伝計画である。われわれはこのWGIPにより、戦争行為そのものだけでなく、「朝鮮併合」も不当行為だったという誤った観念を知らず知らずに抱くようになったと思う。
さて、韓国の文在寅大統領は徴用工問題を放置しているが、策がないのではなく、放置することがベストの策だからである。そして、彼の今後のシナリオは日韓基本協定の破棄と、「日韓併合」を無効にすることである。(これは韓国人評論家のシンシアリー氏の最近の著作「徴用工の悪心」に述べられている意見だが、現実はその方向に動いているように思う)
そうなると「併合の正当性」を巡る論争に発展するが、それでは歪曲・捏造で固めた韓国近代史が全くの虚構だったことが暴露され、韓国政府は国民と国際社会に大恥を晒すことになる。文大統領はそういうリスクを理解しているのだろうか。日本にとってはその方がいいように思うが、どうだろう?