韓国の反日思想の根底には、“日本に侵略され、苛酷な統治を強いられた”という被害者意識がある。そして、日本人も贖罪意識によって、韓国人の感情に応えてきた。頑固爺はこの“日本の侵略と苛酷な統治”に疑問を持ち、韓国の近現代史を研究している。今回は、「韓国がタブーにする日韓併合の真実」(2003年ビジネス社刊、崔基鎬著)を題材にして、併合以前の朝鮮社会について考えてみたい。以下、赤字は同書からの引用、青字は同書の要約である。
●支配階級は民衆から富を収奪した
李氏朝鮮は腐敗しきって、国家の体をなしていなかった。・・・国は八つの道とその下の郡に分かれていたが、道長官に当たる観察使も、元と呼ばれた郡守も、買官することで、その無給の地位を手に入れた。・・・李朝末期には、観察使のポストはおよそ百万両(現在価値で1億円)だった。(16ページ)
地方に赴任する官吏は国王に巨額のカネを払って、無給の地位につき任地での徴税権を手にしたから、可及的速やかに投資を回収し、さらに利益を得るために過酷な徴税を行ったのである。その官僚になるのは両班と呼ばれる支配階級で、身分は固定化していた。
李朝の身分階層は、支配階級の両班(納税義務・兵役義務・建設工事の賦役を免除された貴族)、中人(登用試験の科挙に合格した常民で、官僚の補佐としての技術職になるか、または軍人に登用された)、常民(農民、商人、手工業者)、()に分かれていた。両班は、下層階級を支配し、しばしば暴力をふるった。常民が懸命に働いて裕福になると、無実の罪を着せて投獄し、財物を没収した。常民に美しい妻がいれば取り上げて妾にした。
李朝時代の各身分の人口構成は次のようである。(出所:学校指導書)
1700年代 両班 5% その他 95%
1800年代 両班 50% その他 50%
1900年代 両班 65% その他 35% (人口総数:1,300万人)(99ページ)
貴族層の両班は労働を蔑視し、生産活動は行わず、下層階級からその生産物を取り上げて生活した。上記の数字から、両班の苛酷な収奪により下層階級の人口が相対的に減少し、富裕な両班の人口が年々増えたことが窺える(日本の武士階級は全体の約8%)。李朝末期においては、65%を占める両班の生活を35%の下層階級が支えたのだから、その生活がいかに悲惨なものだったかが想像できよう。
ちなみに、日本の統治が終わった1945年の人口は2,800万人だったから、日本統治時代の35年間で人口は倍以上に急増したことになる。李朝時代とは格段の相違である。
●李朝末期の宮廷
国王と支配階級であった両班は、絶え間ない権力闘争に血道をあげるかたわら、農民を中心とした常民を徹底的に搾取し、国の経済が疲弊するのにいささかも顧慮することなく、浪費と贅沢三昧に耽った。
・・・わけても李朝末期にみられる大院君(国王の父)と閔妃(国王の妃)の対立は、その典型的なものである。両派は清国・ロシア・日本の3国から、その時々の優勢と思われる国を選んで、すり寄って保護を求めた。末期症状をさらに悪化させたのは、国王の高宗が愚昧で、酒色に溺れ、国政を一向に顧みなかったことである。(3ページ)
国王とその側近は連夜酒宴を催し、起きてくるのは午後遅くだったという。そんな有様では政治どころではなかっただろう。宮廷費は国家予算の半分を占めたという。予算規模が小さいとはいえ、とんでもない数字だ。施政者の腐敗・堕落は目を覆うものがあった。しかも、国王は日本の近代化要求を拒否した。近代化は自分の権力を弱めると懸念したのである。
李朝は軍隊を所有してはいたが、それは軽装備で暴動を鎮圧することが役割だった。清国の属国だから、軍隊の必要性がなかったし、軍隊を維持する経済力もなかった。そもそも、自分の国は自分で守るという思想も気概もなかった。
そして、閔妃暗殺事件、日清戦争、日露戦争を経て、日本の併合に至るが、国際情勢については別の機会に譲る。
●日韓併合が朝鮮民族を救った
李氏朝鮮には人権がなかった。日韓併合はこのような社会不正を正した。日本人が汗水たらして、朝鮮の近代化と民衆の生活向上に努力した側面を無視するどころか恨むのは、甚だしい背恩妄徳といわねばならない。(234ページ)
わが国の人々の多くは、日本統治が犯罪行為であったごとく力説するが、それは事実を知らぬ妄説である。(4ページ)
このように、著者の崔基鎬(チェキホ)は、「日韓併合が朝鮮民族を救った」と認識しており(227ページ)、その見解を補強するものとして、中国の思想家、梁啓超の意見を次のように引用している。
梁啓超は清朝末期から民国の初期にかけて名を馳せた近代中国思想界の先駆者である。彼は隣国の李氏朝鮮にも興味を持ち、その著作の中で、李朝亡国の原因が宮廷、政治、社会の腐敗にあると指摘して、「朝鮮人自身が朝鮮を滅ぼしたのであって、日本を始めとする外国によって強いられたのではない」と論じた。朝鮮は滅ぼされたのではなく、自滅したのであった。(66ページ)
このブログ(10月23日)は、「韓国には不都合な朝鮮紀行」と題して、英国の女流旅行家イザベラ・バードの“朝鮮の改革には他力本願しか手立てがなく、その頼る相手は日本またはロシアである”という見解を引用した。その見解は李朝崩壊前の状況を指していたが、梁啓超の見解は李朝崩壊後にその原因を述べたものである。要するに、外国人は客観的に見て、朝鮮は自立できなかったと判断した。韓国の教科書は「日本の侵略がなかったならば、韓国は自力で近代化できた」と教えるが、李朝の崩壊は自滅であって、日本は加害者ではなく、韓国も被害者ではなかったのである。
ところで、本日(韓国がGSOMIAの延長を発表した翌日)の産経新聞のコラム“産経抄”は次のような意見を述べている。
「日韓対立の根本的解決には、過去の事実関係を徹底的に調査し、嘘がまかり通る状態に終止符を打つことが不可欠である。短期的には摩擦が増そうとも、嘘を一つ一つ潰していくことが肝要だ」
この意見はまさに、このブログで頑固爺が主張してきたことである。未来志向になる前に過去志向になって、歪曲された歴史を徹底的に修正すべきである。韓国人が正しい歴史を知るまでは、本当の日韓友好は成立しないと考える。