MLBのホームラン・ダービーとオールスターゲームが開催されたクーアズ・フィールドは、2日間とも満員の盛況だったが、ソーシャルディスタンスに配慮している様子はまったくなく、マスク姿も皆無だった。
このことに気づいて、原則無観客で五輪を開催する日本と引き較べ、あまりの違いに愕然とした人も多いと思う。
米国ではコロナ感染者・死亡者数が減少傾向にあるとはいえ、まだ日本よりははるかに深刻な状況にあるにもかかわらず、なぜ日本のように、無観客開催が検討されなかったのか。その理由は、ワクチン接種が進み国民に安心感が広がったことと、もともとアメリカ人が楽天的で陽気な気質だからだと思う。そう考えれば多少気が休まるが、外国人はそこまで考えてはくれないだろう。
日本でも、プロ野球などのスポーツイベントは、マスク姿とはいえ、かなりの観客を集めて開催されており、五輪だけが無観客になるのは公平性に欠ける感がある。
ともあれ、五輪の無観客の様子がTVで世界中に放送され、日本の異質性が浮き彫りになるのは、気が重いことである。
さて、無観客開催は、尾身分科会会長が「どうしても五輪を開催したいなら、無観客であるべきだ」と発言したときに、その方向性が定まった。人命優先論には対抗できないからである。
しかし、人命優先論には限界がある。極端な例を挙げれば、車に因る事故をなくすには、車を禁止すればいいが、誰もそれは言い出さない。手近な例では、緊急事態宣言が発出されても、盛り場の人出が減らないのは、人々が感染リスクよりも自分の生活、もしくは「生きがい」を優先するからである。
人命優先論には政治的思惑は関係ないはずだが、現実には野党と朝日・毎日等のリベラル系新聞が五輪中止とか無観客を声高に主張していることを考えると、結局この問題は反政府派の策動ということなのか。
すでに決まった無観客を今さら論じても仕方がないが、残念なのは野球・ソフトボールが開催される福島県が、有観客から無観客に方針を変更したことである。先ほど、ネットで調べたら、福島県の昨日の感染者は僅か9人だった。今後、インド株の跳梁が起きてこれが2倍とか3倍に急増したとしても、大勢には変わりない。サッカーのゲームを開催する宮城県が有観客で実施するのと較べれば、大違いである。
マラソンが開催される札幌は、沿道の観衆をコントロールすることが難しいから、無観客はやむをえない。しかし、感染者が少ない福島県が無観客にするのは、理解できないのである。
福島県の内堀知事がMLBのオールスターゲームを見て、気が変わればいいのだが、無理だろうねぇ(笑)。