開会式の演出統括を務めるはずの小林賢太郎氏が過去の舌禍で解任された。オーケストラに例えるなら、指揮者が突然に消えたようなものかと想像し、これはエライことになったと心配していた。しかし、式典が無事に終わり、まずはヤレヤレである。橋本聖子組織委員長はじめ、関係者はとりあえずはホッとしたことだろう。
もう一つ開会式で心配したことは、だれもいない観客席が画面にどう映るか、だった。ところが、TV画面ではまるで満席のように見えた。技術陣の工夫に称賛を贈る。
▼国立競技場の設計
国立競技場の天井の部分が小判型に空いているのはなぜか。そのわけが開会式の最後になって、やっとわかった。それは、この小判型の空間に沿って光の饗宴が繰り広げられたこと。夜空に伸びた無数の躍動する光線が、建物とともに巨大なオブジェになった。
これで、隈研吾氏による設計のコンセプトが漸く理解できた。
▼夜空に浮かんだ謎の市松模様
光の饗宴と同時に、競技場の外の中空に市松模様の巨大なエンブレムが浮かんだ。そして、エンブレムを象った物体は、見る間に地球に変化した。
この物体が現れたのは開会式の終わりに近い11時過ぎだったから、新聞原稿の締め切りを過ぎていた。だから、24日の朝刊には間に合わなかったし、25日の朝刊ではタイミングを逸していたためか、爺が講読している読売と産経にはこれに関する説明はなかった。
そうした中、産経に掲載された英紙デイリーミラーの記者の開会式に関するコメントに「ドローンで大会エンブレムを空に表現するなど、芸術的でとても素晴らしかった」とあるのを見つけた。そうか、あれはドローンだったのか。
そこで、<五輪開会式夜空に浮かんだ物体>で検索したら、これは1,800台のドローンを飛ばしたものであることがわかった。誰が思いついたのか知らないが、素晴らしいアイディアである。これにはただの拍手でなく、Standing Ovation(起立しての拍手)を贈る。
▼君が代にケチをつける韓国
選手村に反日の垂れ幕を掲げたり、福島産の食材は食べられないと自前の食材を用意したりと、なにかと気に障ることをする韓国のことだから、開会式にもケチをつけているだろうと、韓国の新聞を覗いたら、次のような記述があった。(赤字)
東京オリンピックの開会式が23日午後、東京国立競技場で開かれた。8時から開幕公演が始まり、VIPが入場した後、国旗掲揚と国歌演奏が続いた。日本のトップ歌手MISIAが華やかな虹色のドレスを着て登場し、君が代を歌った。
君が代は、日王(※天皇のこと)を賛美する内容を盛り込んだ、帝国主義時代の日本の国歌として、1945年の第二次世界大戦敗戦後、廃止された。しかし、1999年に国旗・国歌に関する法律により、国に法制化され、入学式や卒業式などで提唱しなければならなくなった。
旭日昇天旗とともに、日本帝国主義の代表的な象徴として挙げられている君が代を、東京オリンピックの開会式で歌いながら、日本政府と大会組織委員会は、平和と調和の象徴となるべき世界のスポーツフェスティバルに議論の火種をばら撒いたのだ。
「帝国主義の象徴である君が代が響きわたり、議論が起きている」のは、世界中で韓国だけであるが、この記事を読むと、まるで世界中が君が代を非難しているように聞こえる。
おまけに、下線部分にあるように、勝手に歴史を捏造している。君が代が1945年に廃止され、1999年に復活したとすると、1964年の東京オリンピックではどんな国歌を歌ったのか(笑)。
いくら言論の自由とはいえ、これはひどすぎる。一時韓国で、五輪ボイコット論が浮上したが、いつのまにか消えて、“参加はするがケチつけてウップンを晴らす”作戦に切り替えたようだ。
日韓関係を悪化させているのは、韓国の政治家だけではなく、マスコミも同罪である。
▼他国をネガティヴに紹介する韓国の放送局
韓国は日本だけを目の仇にするのかと思っていたら、そうではなかった。
開会式で次々に登場する各国の選手団をTV画面で紹介するときに、MBCはいくつかの国に関してネガティヴな情報を提供した。例えば、ウクライナにはチェルノブイリの原発事故、ハイチには大統領暗殺、などである。
祭典を報じているのだから、礼儀としてもポジティヴな話題を提供するべきである。韓国に例をとるならは、アイドル歌手の活躍の代わりに、セウォル号沈没を取り上げるようなもの。これにはさすがに韓国内で批判の声があがり、MBCは謝罪したらしい。
1970年代、爺が取引していた韓国企業のトップはみな日本語を話し、同じような倫理観を持っていた。それが、日本語を話さなくなるともに、人間性が下劣になったような感がある。
ところで、日本選手のメダル獲得の朗報が出始めた。今後の日本選手の活躍に期待しよう。