五輪開会式で演奏される音楽を作曲するはずの小山田圭吾が過去のイジメを理由に辞任した。この事件は、日本国内のみならず海外メディアも面白おかしく取り上げており、またまた東京五輪にけちがついた形である。
ネットで調べると、小山田某の愚行はいじめどころか、暴行という方が適切であり、五輪精神に反することから、辞任は当然である。しかしながら、この辞任は開会式の数日前という切羽詰まった段階であり、タイミングが合いすぎるのが不自然に感じる。
新聞情報では、小山田某が中学時代のいじめを告白したのは1994~1995年に発行された芸能関係の雑誌のインタビューだというから、26~7年前のことである。その後、まったくこの告白が話題に上らなかったわけではなく、昨日昼に見たニュースショウでは、ネットでは何度か話題になっていたという。
つまり、マスコミは小山田某の愚行について、ある程度気づいていたと思われるが、これについては口を閉ざし、辞任だけを切り取って騒ぎ立てるのは手前勝手すぎないか。
さて、五輪組織委員会が小山田某にこの仕事を委嘱したのは今年の4月である。組織委員会のトップは芸能界の裏事情には疎いとは思うが、彼を推挙した人物は彼の過去の愚行を知っていたのではないだろうか。この人物についても、マスコミは沈黙している。
また、その人物が小山田某の過去の愚行を知っていたかどうかには関係なく、どういう経緯で小山田某は土壇場になって辞任を決意したのか。
突然に二十数年前の告白を想い出し、自責の念に駆られて自主的に辞任を思いつくということはありえない。外部から何らかの働きかけがあったからだと考えるのが自然である。そう考えると、マスコミがこの「外部」については口を閉ざしているのも不自然である。
その「外部」とは、組織委員会を悪者に仕立て上げようとしている誰かなのか、または五輪を貶めることで、政府の失態ということにしたい勢力なのか。“下司の勘繰り” で片づけるには、あまりにも不自然なことが多すぎるのである。