Hanada 1月号に掲載されている百田直樹氏の「衆愚政治論」には共感できる部分が多かったので、今回はこの論文をテーマとする。
百田氏は現在の民主主義の問題点をいろいろと指摘している。百田氏の発言から数カ所を引用する。(赤字)
立憲民主党と共産党の選挙協力を「何やってんねん」と、同じようなことをやっている自民党や公明党は批判する資格がありません。 ・・・自民党が「こうしよう」と言っても公明党が「わし反対や」と言ったら、「公明党さんは反対ですか。わかりました。ほな、これやめますわ」と。こんなおかしなことがあるでしょうか。
公明党の「18歳以下の未成年全員に10万円給付する」公約は、自民党の公約とは異なるものだったが、960万円の所得制限を設けることで、自公は合意した。公明党の主張がほとんど受け入れられた形である。
この程度のことなら調整可能だが、憲法改正とか安全保障などの重要案件では、そう簡単に調整することはできないだろう。憲法改正に前向きだった安倍元首相が、憲法改正では何もできなかったのは、公明党の合意が得られなかったからではないだろうか。
<立民と共産の選挙協力を批判するなら、自公連立による馴れ合いも批判されるべきだ>という百田氏の趣旨は至極もっともである。自民党は連立の相手を再検討すべき時が来たと考える。
自民党の国会議員の約4割が世襲で、国会議員全体の5割強が世襲であり、他の民主主義国家と較べて世襲議員比率が圧倒的に高い。・・・いまや政治家が「家業」と化しつつあります。
世襲議員の全部が無能とは言わないが、<各選挙区が自民党の世襲議員で固定化され、政治家を志す人々は無所属か野党で立候補することになるのは大問題だ>という百田氏の主張には一理ある。
そうかといって、党の実力者に「娘の婿が立候補するので、公認してくれ」と言われれば党としては拒否するわけにはいかないだろう。これは難しい問題である。なんらかの基準を設定して公表し、みずから縛ることを考えるべきである。
選挙前には党首討論番組のようなものが行われますが、こういう番組はなぜか自民党も立憲民主党も共産党も社民党もNHK党もれいわも、どの政党も喋る時間がだいたい同じに決められている。これっておかしくないですか。
その通りである。NHKの公開討論番組を見ていて、爺も同じ疑問を抱いていた。議員が200人いる党の党首が一人しかいない党の党首と同じ時間しか喋れない、というのは公平なように見えて、実際は不公平だ。
NHKはなんとかしなくてはならない。議員数が5人までの政党は5分、100人以上の政党は15分のような基準を設けるべきである。
いまや中国の脅威をはじめ日本を取り巻く安全保障環境の厳しさは、(民主党が政権交代を果たした)2009年の時とは比べものになりません。次に民主党のような政権が誕生したら、間違いなく日本は終わるでしょう。・・・「衆愚政治」を行っている余裕は、日本にはもうないのです。
先の衆議院選挙の投票率は55.93%だったから、およそ有権者の半分しか投票しなかったことになる。嘆かわしいことだが、だからといって投票率が高かった2009年(69.18%)には、「小沢ガールズ」を始めとして、阿呆な議員が大量に誕生し、それこそ百田氏が言うところの「衆愚政治」となった。
「衆愚政治」は民主主義国家にとって共通の課題であり、防止する処方箋はない。国民それぞれが政治に関心を深め、問題点を十分理解して国会議員を選出するしかない。簡単でいながら、難しい課題である。