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5月29日から31日まで、千葉の勝浦に行ってきました。 29日、金曜日は予報が外れ、海ほたるまで行ったらもう雨が降り始めました。 たこ焼きならぬアサリ焼きが美味しそうだったので、ちょっぴりだけ食べてみたらおやつにとてもよかった。 雨はどんどん本降りになり、風も強く吹き、最悪。 雨なら、アジサイがもう咲いているかと日運寺という寺に行きましたが、 まだ早すぎて、あと10日もすれば綺麗になるだろうにという感じ… 日蓮は安房小湊生まれだそうで、この辺りは日蓮宗の寺ばかりです。 |
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天気がよければ、鋸山でも登ろうかと思ったけど、 最悪の天気なので、さっさと勝浦に行って、 夜は寿司やに行って地場産の握りを食べました。 鰹、クロムツ、金目、あわび、マカジキ、タコ、シメサバ、スルメイカ。 高級魚ではなかったけど、地場産だけあって、新鮮で美味しかったです。 夫と二人旅だったので、お互いに 「どうも、あなたと行くと天気が悪い。雨男(女)でしょ」 と、責任のなすりつけ合い。 仏オープンテニスのテレビも観られないので、さっさと寝ました。 |
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ところが翌日の土曜日は素晴らしい天気。 養老渓谷に行くと、前日の雨の影響で、足下は滑って危険でしたが、 水量が豊富で、素晴らしい景色でした。 その後勝浦に戻って、勝浦城跡に行きました。 家康の側室養珠院お萬の方は、 紀州藩祖徳川頼宣、水戸藩祖徳川頼房を生んだ人ですが、 勝浦城主、正木頼正の娘だったとは知りませんでした。 養珠院像の建つ岬は素晴らしい景色でしたが、自殺の名所のようで、 沢山の卒塔婆が建っていて、まだ真新しい花束が置かれていました。 勝浦灯台も真向かいに見えます。 |
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その後、官軍塚に廻りました。 官軍塚とは、戊辰戦争の末期、五稜郭の榎本武揚に手こずった津軽藩主津軽承昭が 実兄の熊本藩主細川護良に助けを求め、 細川護良は、横浜で米国汽船を雇い、加勢に向かうが、この辺りの沖で嵐で遭難し、 この土地の人たちが救助に当たったが、 沢山の死傷者が出、記念碑が建てられたとか… そして、勝浦海中展望塔で、海底を泳ぐ魚を観て、 眼鏡岩を捜し廻って漸く見つけました。 (写真では素敵な景色のように見えますが、本当に狭い海岸にこの岩だけがあります) |
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夜は奮発して伊勢エビ料理を食べました。 といっても、東京では考えられないお安さ。 伊勢エビは、今は季節ではなく、水槽にいるもので小さなものでしたが、 跳ね回るのを料理してくれて、その他のお造りが超新鮮だったので、満足でした。 |
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最後の日は、勝浦朝市に行って干物や野菜を買って、 行きにも寄った富浦の道の駅で、今が旬のびわを買って帰ってきました。 房総ってなかなかいいところでしたよ! |