4日目(8/30)は、天候も回復したので、まず、松江城へ。
青空に映えて、姫路城に比べ、こじんまりとした美しい天守閣でした。
最上階からは宍道湖がよく見えます。
明治の時代になり廃城令が発せられ、多くの城の建物は壊されましたが、
土地の有志の保存活動で山陰地方唯一の天守閣を今も見ることが出来ます(国宝)
築城は、関ヶ原後この地を治めることとなった堀尾吉晴。
(吉晴の子、忠氏は父に先立って早世したため、後を継いだ忠氏の嫡子忠晴代わり藩主として統治に当たった)
忠氏は小山評定の時、友人であった山内一豊に相談され、
「自分は家康に城(浜松)を差し出して、家康につくことに決めている」というと、
評定の場で、一豊が、忠氏を出し抜いて、いち早く、家康に掛川(一豊の城)を差し出すと言ったため、
一豊は関ヶ原後、掛川5万石から土佐20万石に大出世した話しは有名。
松江城を出て、堀を渡ると小泉八雲記念館があります。 小泉八雲は多くの日本の怪談を再話した人。 「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」。小さい時、怖かったなぁ! 八雲はアイルランド出身の父とギリシャ人の母の間にギリシャで生まれた。 もとの名はラフカディオ・ハーンという。 アイルランド、アメリカ(シンシナティー、ニューオーリンズ)、カリブ海の島、 色々なところに住み、日本へ英語教師となってきた人。 日本人のセツさんと結婚して、日本に帰化。 小泉八雲と名乗ります。 1850年生まれなのにグローバルに生きた人ですね。 そしてお堀端の武家屋敷を散策してその日の午前中は終わりました。 |