最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

関越旅行1

2018-10-26 20:46:48 | Weblog
10/23日から2泊で、紅葉狩り旅行に関越方面に行ってきました。
天気は、まあまあ。曇りで、薄日が差す程度。

一日目は、まず、沼田で関越道を下りて、吹割の滝に行きました。
前から一度、訪れてみたかった場所です。
片品川の流れが、岩の割れ目に轟々と落ち込む、勇壮な眺めでした。

周りの岩も柔らかい岩質のせいか、切り立つ岸壁が丸みを帯びて、とても面白い珍しい眺めでした。
滝のすぐそばまで行ける遊歩道があって、
平日の早い時間だったせいか、それ程込んでいなくて
ゆっくりあるいて、鑑賞できました。

橋を渡って、崖の上の山道を歩いて行くと、
丁度、割れ目に川水が流れ込む、滝の全景が見える展望台がありました。
ちょっとしたハイキングのようで、熊が出そうな道を、紅葉を見ながら楽しくあるきました。


そして次に、沼田の町を見学。
沼田は、NHKテレビのブラタモリでやっていましたが、
タモリの大好きな地質、地理学的に面白いところです。
上越線の駅は、利根川近くにありますが、
市役所などがある町の中心は、河岸段丘の上にあり、
段丘の上は平らに広く開けて、駅との高低差が70mもあります。
天然の防壁のある城が作れる地形なわけです。

ですから、沼田は歴史的にも面白いところで、
戦国時代、上杉、武田、北条が取り合いになりました。
結局、武田の配下にあった、真田昌幸が、謀略の末、手に入れます。
(「執念谷の物語」海音寺潮五郎 お読み下さい)

しかし、長篠合戦で武田が敗れ、一時、信長配下の滝川一益が送り込まれます。
その後また、本能寺の変で、信長が死亡して北条が攻め込みます。
秀吉の北条攻めで、北条氏が滅ぶと
真田昌幸は執念でこの地を我が物とし、嫡男信之が沼田城主となります。

沼田城は、真田信之が、1600年頃、5層の天守を建てたそうですが、
孫の信利の代に、お家騒動があり、改易させられ、
城も取り壊され、今は石垣だけが残っています。

もう一つ、有名な話しは、
関ヶ原戦の前の小山評定のあと、
どちらに転んでも、真田家が残るようにと
真田昌幸、次男信繁(幸村)が西軍、
嫡男信之が東軍として戦うことになり、
昌幸と信繁は、居城、上田城に引き返します。

その途中に沼田城に寄り、
信之の嫁、小松姫(徳川譜代家臣、本多忠勝の娘)
に、孫に会わせるように言ったところ、
「父上といえども、敵となる人を城内には入れられません」
といって断ったという話し。

城祉に真田信之と小松姫の像がありました。

泊まったホテルは、当間高原ベルナティオ.
着いた時には、すっかり晴れて、いい気持の青空。
ゴルフ場の中にある、どこか海外に行ったような気分になれるホテルでした。
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