3日目(4/25)、朝、窓を開けると、 晴れて、南国の海が目の前に見えました。 珊瑚礁の海と、その先の海は色がはっきりと違います。 いよいよ令和の時代になります。 昭和は遠くなりにけりです。 われわれ、戦後生まれが、もう高齢者の仲間入りをして、 昭和の戦争を知る人々は、どんどん少なくなっていってしまいます。 沖縄は、日本で唯一、米軍が上陸して国内で、日本軍と地上戦があった地です。 |
沖縄に初めて行くからには、その激戦の地を 絶対に見ておかなければと思っていました。 でも、まず最初に訪れたのは、 太平洋戦争の地ではなく、 琉球王国時代から、国王が参拝したという聖地、「斎場御嶽」 私は、特に信じている宗教はありませんが、 何か、人智を越えたものがあるような気はしていて、 神社に行っても、お寺に行っても、 聖地といわれる場所に行っても、祈ってしまいます。 (よくいる日本人<笑>) 不思議な岩がジャングルの中にある感じで、 祈りを捧げた場所がいくつもありました。 岩の間から光が差して、神聖な場所だったことに納得 |
そして、近くの知念岬から、 美しいコバルトブルーに輝く海。 ハイビスカスの花。 先日房総の鴨川に行った時に、 見た海とは、全く違う色です。 この日は晴れていましたが、 晴れていなくても、灰色には見えることがありません。 |
次にいったのが、平和祈念公園。 ここは沖縄戦、終焉の地。 1945年4月に嘉手納に上陸した、米軍は、那覇を制圧し、 日本軍は、南へ南へ後退し、圧倒する米軍を前に 本土決戦準備のための時間稼ぎに、抵抗し続け、住民を巻き込んだ地上戦は続きました。 6月、牛島沖縄守備軍最高指揮官と参謀長の自決で終結。 その戦いの悲惨さ、無惨さは、資料館を見学すると、目を覆いたくなるほどです。 壕に逃げ込んだ住民を、守るべき日本軍兵士が、追い出したり、殺したり… そこに米軍が火炎放射器や手榴弾で襲う! 人間が人間でなくなるのが戦争だと、本当に感じます。 でもね………広島や長崎は、沢山の人たちが訪れているのに、ここは本当に訪れている人が少ないのです。 戦争は、絶対にいけない!と誓うためにも、もっともっと多くの人が、現実に日本であったことを見つめるべきです。 |
最後は、ひめゆりの塔を訪れました。 この壕(穴)の中が陸軍の外科病院だったとは、信じられますか? 薬も医療機器もないところで、どうやって看護していたのでしょう? 米軍と戦って、負傷した日本兵の手当のために動員され、 最後は、司令官自決で、解散命令が出て、 何処に行けばよいかも分からず、亡くなっていった女子高生。 こんな青春を送って、此の世に別れを告げた女子高生を思うと、 今の平和な時代に生きている私たちは、 絶対に繰り返してはならないと、誓うべきだと思います。 沖縄の人々が、繰り返し選挙で、 米軍基地を、沖縄からなくして欲しいと投票する気持わかります。 そんなこんなで、沖縄旅行は、まじめに平和祈念で終わりました。 |
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