最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

沖縄旅行 4(最終日)平和祈念

2019-04-29 14:51:18 | Weblog
3日目(4/25)、朝、窓を開けると、
晴れて、南国の海が目の前に見えました。
珊瑚礁の海と、その先の海は色がはっきりと違います。

いよいよ令和の時代になります。

昭和は遠くなりにけりです。
われわれ、戦後生まれが、もう高齢者の仲間入りをして、
昭和の戦争を知る人々は、どんどん少なくなっていってしまいます。

沖縄は、日本で唯一、米軍が上陸して国内で、日本軍と地上戦があった地です。


沖縄に初めて行くからには、その激戦の地を
絶対に見ておかなければと思っていました。

でも、まず最初に訪れたのは、
太平洋戦争の地ではなく、
琉球王国時代から、国王が参拝したという聖地、「斎場御嶽

私は、特に信じている宗教はありませんが、
何か、人智を越えたものがあるような気はしていて、
神社に行っても、お寺に行っても、
聖地といわれる場所に行っても、祈ってしまいます。
(よくいる日本人<笑>)

不思議な岩がジャングルの中にある感じで、
祈りを捧げた場所がいくつもありました。

岩の間から光が差して、神聖な場所だったことに納得
そして、近くの知念岬から、
美しいコバルトブルーに輝く海。
ハイビスカスの花。

先日房総の鴨川に行った時に、
見た海とは、全く違う色です。

この日は晴れていましたが、
晴れていなくても、灰色には見えることがありません。
次にいったのが、平和祈念公園。
ここは沖縄戦、終焉の地。

1945年4月に嘉手納に上陸した、米軍は、那覇を制圧し、
日本軍は、南へ南へ後退し、圧倒する米軍を前に
本土決戦準備のための時間稼ぎに、抵抗し続け、住民を巻き込んだ地上戦は続きました。
6月、牛島沖縄守備軍最高指揮官と参謀長の自決で終結。

その戦いの悲惨さ、無惨さは、資料館を見学すると、目を覆いたくなるほどです。
壕に逃げ込んだ住民を、守るべき日本軍兵士が、追い出したり、殺したり…
そこに米軍が火炎放射器や手榴弾で襲う!
人間が人間でなくなるのが戦争だと、本当に感じます。

でもね………広島や長崎は、沢山の人たちが訪れているのに、ここは本当に訪れている人が少ないのです。
戦争は、絶対にいけない!と誓うためにも、もっともっと多くの人が、現実に日本であったことを見つめるべきです。


最後は、ひめゆりの塔を訪れました。

この壕(穴)の中が陸軍の外科病院だったとは、信じられますか?
薬も医療機器もないところで、どうやって看護していたのでしょう?

米軍と戦って、負傷した日本兵の手当のために動員され、
最後は、司令官自決で、解散命令が出て、
何処に行けばよいかも分からず、亡くなっていった女子高生。

こんな青春を送って、此の世に別れを告げた女子高生を思うと、
今の平和な時代に生きている私たちは、
絶対に繰り返してはならないと、誓うべきだと思います。

沖縄の人々が、繰り返し選挙で、
米軍基地を、沖縄からなくして欲しいと投票する気持わかります。


そんなこんなで、沖縄旅行は、まじめに平和祈念で終わりました。
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