あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

東伏見稲荷神社から田無神社へ〈後半〉(東京・西東京市)

2025-01-28 12:26:23 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈後半:田無神社と総持寺〉

 東伏見稲荷神社に参拝後、青梅街道を西北進して田無神社の南側正面に着いた。
  
  
      一の鳥居を入り、階段を上がってケヤキなどの並ぶ参道を進む。
      


 

 二の鳥居の手前には、田無神社のパワースポット、五つの龍神のひとつ「白龍」が。




     
     参道を挟んて手水舎があり、手水鉢はきれいな花手水に覆われている。







 すぐ横には、良縁結びに御利益の「道祖神」と、良縁を念じて結んだカラフルな紐も。


 二の鳥居をくぐり正面の拝殿前へ進み、何人かの参拝者の後に並び参拝した。



 拝殿と本殿とが一体になった社殿は東京都指定文化財(歴史的建造物)で、拝殿を見上
げると精巧な龍の木彫がたくさん目に入る。




  
  拝殿の左手前にはご神木の大イチョウが立ち、その下にこのような大きなものが。

 「一楽萬開」と記されているが、当社では11月23日の新嘗祭~2月3日(今年は2
日)の節分祭まで、この文字を書いた五角形の木札「一楽萬開札」を授与しているという。

  
  そばから見上げた大イチョウ
  

     ご神木の北側には、「小彦名神社」が祭られている。
     

 境内西側、舞殿横にはカフェの出店も。  



 「小彦名神社」の奥には、厄除け祈願のたくさんの絵馬が奉納されていた。


 さらに奥の龍神には、若い女性の参拝者が多い。

 
 その後に並んで少し待ち、石積みの上に祭られた「黒龍」に参拝する。


 近くには、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神という「津嶋神社」も。



 境内西側の出店や「おみくじ処」



     そばの龍神池の龍神。
     

 境内中央部の南東側、東参道の鳥居際には「撫龍」が祭られ、「龍と玉を撫でて 昇運を
お授かり下さい」と記されていた。
     

 傍らには「田無神社と五木寛之」についてのパネルが。


 拝殿の右手には「大鵬土俵」と呼ばれる土俵がある。

 昭和の大横綱、大鵬関が引退後の1993年に五穀豊穣を祈念して寄付したものとか。

     
   その背後、社殿寄りには、金色の鳥居の奥に大黒様と恵比寿様を祭る社殿があった。
          


 さらに右手には「稲荷神社」↑や安産祈願のためのお社↓も。


 大鵬土俵寄りに戻ると、「大鵬」と刻まれた大鵬自身が揮毫(きごう)した碑が立つ。
     
 
     
 そばのよしず掛けの小屋に祭られていたのが、パワースポットひとつ「青龍」像と、戦
の神として崇められた「楠木正成公像」。
          

     小屋に接して立つ「日露戦役祈念碑」は明治40(1907)年の建立。
     
 碑文は、日露戦争の際、元帥陸軍大将として満州軍総司令官を務めた大山巌(おおやま
いわお)の揮毫によるもの。

 田無村では、日露戦争に71人が出征して3人が戦死し、68人が凱旋帰国したという。

 
 大鵬土俵の南側の「特別授与場」とその前面には、たくさんの御札や御守、破魔矢など
が並んでいる。




 私は「長寿健康御守」(700円)をいただいた。

  境内中ほどから西側に出る冠木門の向こうに、火の見櫓(やぐら)が残っていた。
  

  境内をほぼ一巡したので退社することにして、表参道に向かう。
  
  

 右手、国の登録有形文化財になっている「参集殿」の入口には精巧な木彫「九頭龍」が
あり、奉納者はレスリングのオリンピックメダリストの三宅義行、宏美父子だった。
     



  後になったが、近くにあった境内図
  

 一の鳥居を出ようとしたら、手前左手に並ぶ人がいるので回ると「赤龍」が。

 入ったときには気付かずに通過したのだった。

 12時30分過ぎに田無神社を後にした。

 ちなみに、田無神社の詳細についてはこちらのサイトを。

 そばにあった、周辺の商店街マップ



 道路を挟んで西側は、長い塀で囲まれた真言宗智山派の「田無山 総持寺」。南側の塀沿
いに延びる細道「やすらぎのこみち」を西進する。



 道路には、西東京市の木や、市の花のデザインマンホールが続く。






 南側中央部の山門前に出た。 


 総持寺の創建年代は不詳のようだが、元和年間(1615~24)に法印権大僧都俊栄
和尚が、谷戸に法界山西光寺として創建し、慶安年間(1643~51)に現在地へ移転
したと伝えられているよう。

 江戸時代は尉殿権現社(現・田無神社)の別当寺を勤めていて、明治8(1875)年、
西光寺と近隣の密蔵院、観音寺の3寺が合併して創建し、田無山総持寺と改称したという。

 山門の左手前には、昭和20(1945)年4月12日に当地が空襲に襲われた際の
「戦災者慰霊塔」があり、その上に平和観音が祭られている。
     


 大きなちょうちんの下がる山門を入ると、左手には「無我」と刻まれた大きな石碑が。


 まずは正面の大本堂に参拝した。



 本堂の左手には妙見堂があり、開扉されていたので中を拝観させてもらう。
     



     

 本堂の右手前方には、近年改築したらしい鐘楼が。


 境内を一巡したので山門を出ることにした。山門の境内側には、広目天と多聞天がにら
みを利かせている。
     

          

 近くのサザンカに花が残る。


 12時50分過ぎに総持寺を後にして、青梅街道を田無駅に向かう。



 少し進んだ北側のビルに「シンエイ動画」の看板があり、1階入口横にドラえもんなど
のパネルや人形が並んでいる。






     


 ここで、これらの動画を製作しているようだ。

  ウィンドウの前にあったチラシの表と裏
  

      

  ちなみに西武鉄道では、この映画の公開に因んだスタンプラリーを2月7日(金)から
開催するよう。詳細はこちらのサイトをご参照下さい。

 次の交差点を左折して南へ、6階建てのビル地階にあったスーパー西友系の「LIVIN」
に入り、少しの買い物を。



 南西側が西武新宿線の田無駅、駅ビル「Emio」の2階に見えた「洋麺屋 五右衛門」で
少し待って入店する。


 「月見とろろと納豆のねばねば」(1,150円)という洋麺を注文して、昼食に。

 私好みの味で、おいしかった。


 田無駅に14時11分に着いた。



 14時19分発の西武新宿線下り本川越行き電車に乗里、15時06分に帰宅した。
                                      〈了〉

 



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東伏見稲荷神社から田無神社へ〈前半〉(東京・西東京市)

2025-01-26 11:41:11 | 江戸・東京を歩く
 2025年1月15日(水) 〈前半:東伏見稲荷神社〉

 昨年末から年初めのほぼ1か月間、市外に出かけることがなかったが、今日は久しぶり
に初参りとして、西武沿線にある近郊の神社へ行くことにした。

 自宅を9時36分に出て、最寄り駅から7駅目になる西武新宿線の西武柳沢(せいぶや
ぎさわ)駅で10時23分に下車した。


 最初の目的地は東伏見稲荷神社。西武新宿駅や高田馬場駅から下り電車で来るなら、次
の東伏見駅で下車する人がほとんどかと思われるが、上り電車なら西武柳沢駅の方が近い。

 南口に出て線路沿いの道を東へ、東伏見通りを踏切際で横断する。


 さらに少しで「都立東伏見公園」で、西北端の入口から園内へ。


 都立東伏見公園は、東京都が整備を進めている都市計画公園で、特別緑地保全地区に指
定されている東伏見稲荷神社の北側に位置し、公園の南側には石神井川が東西に横断する
など緑と水に恵まれた立地条件にあるよう。

 現在は、のびのびと体を動かせる多目的広場や展望の良い休憩施設が利用でき、今後の
整備により広場や親水施設を活かしたレクリエーションが楽しめ、災害時には様々な活動
の拠点としての役割を果たす公園となっていて、面積は約5万2千㎡あるという。

 広い芝生地の中に、ソメイヨシノやケヤキなどの木々が点在しているが、人影は少ない。

 

 歩道橋が西武新宿線を越えている中央部まで進み、南へ緩やかな斜面を下って行く。






 南側眼下には、これから訪れる東伏見稲荷神社境内背後の松などが望まれる。




 中央部を南側へ下り、公園の下をトンネルで抜ける都道233号・伏見通りを見下ろし、
右手(西側)の神社沿いの園路を下って東伏見稲荷神社の大鳥居前へ。

 色鮮やかな鳥居を入り、短い階段を上がって楼門をくぐると正面が拝殿。





 左手前には昇殿参拝の受付所が、右手には由緒などのパネルが立つ。




 拝殿に参拝して、この1年の健康や諸般の安穏などを祈願した。


 拝殿の左手には、奥多摩 青梅市にある酒蔵の銘酒が奉納されていた。


 以前来たときには、拝殿に参拝したのみだったが、拝殿左手の渡り廊下下をくぐって巡
る「お塚参拝道」があることが分かったので、回ることにした。


  
 拝殿に続く本殿の左手(西側)から北へ、さらに東北側へと赤鳥居の続く巡拝路があり、
順路などは記されていないので、適宜一巡する。
     

          



     

          

     

          

     



     

          







     


 こんなにたくさんのお社があるとは、知らなかった。 



 ほぼ回り終えて拝殿前に戻り、右手の社殿の周辺へも。




     




 拝殿前の絵馬掛けなどを見て拝殿をふり返り、楼門を抜けて11過ぎに大鳥居を出た。




 西側、東伏見通りの信号のある交差点際からは、青梅街道沿いにある東京ガスのガスタ
ンクが望まれる。


   交差点から西に延びる細い通りの両側は住宅地なので、車の交通量は少ない。
  

 その通りが突き当たり、左折して西武柳沢駅から延びる通りに出て、都道4号・青梅街
道と交わる「西武柳沢駅南」交差点へ。


 交差点の南東側すぐのところに、東京ガスのガスタンクがある。


 反対側、田無(たなし)駅方向に向かって青梅街道を西北へ進む。


 少し先、通りの北側に「柳沢禅寺」があるが、門は閉じ建物も普通の寺院建築ではない
ので通過する。



 前方に、西武新宿線が青梅街道の上を通過する跨道橋が近づき、細道とのY字路際に小
さな観音像やお地蔵さんなどが祭られていた。


     



     


 跨道橋下を抜けた富士街道↓とのY字路際には、弘法大師を祭る小さなお堂も。


     

 次の「田無町一丁目」交差点で青梅街道は斜め左折して、西に延びる上下1車線ずつの
狭い車道になる。



 少し進んだ右手、北側に次の目的地の「田無神社」があった。 〈続く〉




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2025年新春初参りで北野天神社へ(埼玉・所沢)

2025-01-22 21:35:50 | 所沢だより
 2025年1月13日(月・祝)

 新年早々は多くの参拝脚で混雑するので延ばしていた、所沢市西郊の小手指地区にある
北野天神社も、10日を過ぎれば空いていると思い、成人の日の今日、訪れることにした。

 9時37分に自宅を出た。大六天交差点から県道179号・所沢青梅線を西へ。


 300mほど進んてY字路を右へ、県道の北側を平行する小手指(こてさし)小や小手
指中の通学路になっている、住宅地の中に畑も点在する細い車道を進む。
     

 小手指小の近くには古木の多い梅林が。


 南西側にある小手指小の体育館



  その先には、シダレザクラやクスノキの独立樹なども。
  


 さらに進んで小手指中の背後↑を進み、西北端から緩い坂道を上がって同校の↓体育館の
横から右折し、西側のバス道路になっている北野天神通へ。


 上り道を少しで、北野天神社の西鳥居前に着いた。


 鳥居横にある北野天神社のパネル


 当社は、埼玉県内でも有数の古社であり、関東では最も早く京都の北野天満宮を勧請
(かんじょう)したようで、「知恵を授ける天神様」として合格祈願、厄除けや家内安全、
商売繁盛のご神徳を受けようと多くの参拝者が訪れるという。

     鳥居を入り西参道を進む。
     


 境内中央部にある手水舎の横の机に、なぜか大きな柑橘が。

 
 南向きの拝殿に参拝して、今年の健康や安穏などを祈った。


 境内には、成人式を終えて参拝に来た思われる、振り袖姿の女性とその家族の姿も。


 拝殿前には幾つかのおみくじ箱が並ぶ。



 濡れ縁の両側には「トトロ」と、当地 小手指地区のマスコット「こてまる」が。
     

 西側に並ぶ摂社にも参拝することにして、最初は小手指神社へ。航空神社でもある。


 この航空神社については、北野天神社のこちらのサイトに詳細に記されている。

 社殿内には、陸軍航空士官学校ゆかりの人が参拝したことが知れるものも。


 本殿の西側に並ぶ二つの社殿、左は稲荷神社で右は八雲社


  本殿の背後には、カシなどの高木が目につく。
  


 東側に回ると、拝殿の近くには「はた神様」とも呼ばれる「文子(あやこ)神社」が祭
られている。



 その右手、切妻屋根の神殿は「諸神宮」と呼ばれている。
     


 境内東南の社務所に回り、「厄除招福」お守り(初穂料800円)を分けていただく。




 ほかにも、たくさんのお守りやお札、絵馬、ご朱印などがあり、ご朱印もいただける。
     

  

 そばの机上には、このようなものが。



 近くには神楽殿があり、その右手には日本武尊が御東征の折にお手植えになったという
「尊桜(みことざくら)」の、4度目のひこばえという主幹の傾いた桜が。


 その下に所沢市名勝に指定された「尊桜の歌碑」があるが、文字は全く判読できない。
     

 南へ延びる表参道際、西側の盛土上には、正平7(1352)年12月の小手指ヶ原合
戦の際の御在陣跡という「宗良親王遺跡」碑が立っている。
     

 碑の北側、仮設屋根下の馬は、氏子有志の方が地元小手指産の木と稲わらで作り、令和
元(2019)年5月に奉納したという神馬のよう。


 手水舎横の「境内維持基金ご奉賛のお願い」というパネルに記載されていた、江戸末期
の天保年代(1830~44)の頃の境内の絵



 ほかにも幾つかの碑や摂社などあるが、そろそろ退社することにして「力石」の横から
南側の表参道に向かう。


  
  両側には、新春のために作ったと思われる、変わった竹の加工品が並んでいる。
     

    
  その先で右左折して杉木立の下を進み、2つの鳥居をくぐって階段を降り、北野天神社
  を出て南側の県道179号・所沢青梅線へ。
          
 
 一の鳥居横には、3月8日に開催される「かるた大会」の張り紙が。

 この「小手指方言かるた」は、私が義務教育時代を過ごした埼玉県中部・比企地方の方
言と同様なものが多いので懐かしく、私も何年か前に入手↓している。


 県道を走る西武バスの「北野天神前」バス停で時刻を確認したが、しばらくないので歩
いて帰ることにして、県道を東へ向かう。


 県道は車の交通量が多いが、歩道はわずかしか無いので車に注意しながら進む。


 小手指中前を通過、さらに進んで小手指小の東側で県道に分かれ、北側の台地上へ。


  
 小手指小の体育館横で往路に戻り東へ。近くにケヤキの高木が2本立ち、そのひとつに
鳥の巣らしいのが見えた。
     


 大六天交差点近くのY字路まで戻り、そばのスーパー・マミーマートで買い物をして、
12時10分に帰宅した。




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2025新春 所沢七福神めぐり〈後半・4~7番〉(埼玉・所沢)

2025-01-18 18:17:18 | 七福神めぐり
 2025年1月11日(土)

 所沢七福神巡りの後半、第4番~7番へは前半から3日目の今日行くことにした。

 上新井バス停から9時37分発の「ところバス」山口循環コース(左回り)に乗り、永
源寺バス停で10時15分に下車した。
     
 
 北東に100mほど進むと、「所沢七福神」第4番 弁財天の「永源寺」門前である。


 永源寺は、室町時代の応永年間(1394~1428)の創建で、天文年間(1532
~55)に再建され、その後、徳川家康から30石の領地を授けられたという。

     
 山門の右手前に子育延命地蔵堂↑が、山門を入った地蔵堂の背後には、青面金剛明応像
 のお堂がある。
          

 まずは正面の本堂に参拝する。



 本堂の左手前に、丸い玉がたくさん実った木がある。丸い玉はムクロジの実で、いまは
ほとんど見られないが、正月の羽根つき遊びの羽根の黒い球に使われたもの。

 ちょうど来た10数人のウオーキンググループの人も、何だろうと言っていたので教え
てあげた。

 境内の植栽はよく手入れをしているようで、見栄えがする。


 「所沢七福神」の「弁財天」は、山門を出て北側の弁天池のお堂に祭られている。


 折り返して南西へ、バス停前を通過して柳瀬川の橋を渡り、県道4号・東京所沢線バイ
パスの「山王橋(西)」交差点を横断する。


 南側を東西に走るバス道路に出て左折してすぐ、「トコスチ」と呼ぶ会社横を右折して
南側に見える樹林に向かって進む。


 「カフェレストラン周」横を過ぎると樹林の間の上り道となり、ピークを越えてすぐ先
右手の「鳩宮八幡神社」の鳥居前へ。
  

    

 道路の東側は、昨年新春に来たときは「富士幼稚園」の広い運動場だったが、廃園にな
ったようで放置されたままになっていた。
 
  南側へ200m近く下れば、前半最後に訪れた3番「佛眼寺」の東門前に出る。
  

  参道に入り、市の保存樹木に指定されているヒノキ科の樹林を進む。
  

 二の鳥居をくぐれば、東向きに立つ「鳩峰八幡神社」の拝殿前へ出る。

 
 鳩峰八幡神社は、延喜21(921)年に京都の石清水(いわしみず)八幡宮を分祀し
たと伝わる古社。

 拝殿背後の本殿は、見世棚造りと呼ばれる室町初期の建築のようで、埼玉県指定文化財
だが、覆屋に覆われて見ることはできない。

     
 戦勝祈願に立ち寄ったとされるなど新田義貞ゆかりの地でもあり、「新田義貞兜掛松 史
蹟」碑があり、傍らにその何代目かの若松が植えてある。
          

 境内を南側に進んで数段の石段を下ると、「水天宮」が祭られている。

 壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭るお宮で、安産や繁栄、商売繁盛に御
利益があるといわれているよう。

 毎年1月5日に開催される「だるま市」には、多くの参拝者が訪れるという。


 拝殿全面には、例年同様に小さいだるまが並んでいた。



 東側の神楽殿だったらしい建物には、明治から昭和にかけての古い掲額が幾つも並ぶ。


 鳩峰八幡神社と水天宮の間の「久米八幡越市民緑地」から、「鳩峯公園」と続く林間の
道を西進する。
  

 沿道には、「ナショナル・トラスト運動」などのパネルがある。



 

 「カブトムシのベッド 落ち葉プール」


 「トトロの森 2号地」の横を過ぎる。


  
 高圧送電線の鉄塔横を通過して、右左折すると林間を出た。南側は、所沢市南部浄水場。



 北側の展望が開け、民家の上に秩父のシンボル武甲山周辺や外秩父の山並みが望まれる。


 北西に向かって下って行くと、眼下に佛眼寺が。北方には、西武池袋線の小手指駅前の
タワービルなどが。


 バスの通る市道に出て、「所沢七福神」第5番、寿老人の「荒幡山 光蔵寺」へ。

 
 光蔵寺は、上組と下組に分かれていた荒幡の下組の寺とされ、創建年代は不詳だが石碑
の年代を見ると鎌倉時代から続く寺のようで、本尊は阿弥陀如来だという。

 山門を入り、堂々と構える正面の本堂に参拝する。


     本堂の手前、北側には弘法大師像が。
     

     「所沢七福神」の「寿老人」は、山門を入った右手に祭られていた。
     

         
         その右手には「聞くぞう地蔵尊」があり、何でも聞いてくれるようだ。
                  

 11時50分に光蔵寺を後にした。

 門前から北へ少し、右カーブするところの手遅し信号の横から西側の住宅地を抜ける細
道に入って北西へ。


 高圧送電線が交差する下から北へ少し進み、「所沢市第二幼稚園」の立札の立つ十字路を
左折して西進する。


 道が西南へと左カーブし始めた左側が、「所沢七福神」第六番、布袋尊の「本覚院」門前。

 石柱だけの門を入って東進すれば、緩やかな斜面上に南向きの本堂がある。


 正面壇上のガラス越しに、内部の祭壇周辺が拝見できた。


     布袋尊は、本堂前右手の幕内に祭られている。。
     

          本堂の手前、東側の崖下には観音立像が。
          

 境内南西側の六地蔵横の手水鉢は、厚い氷に覆われていた。


 
 山門の右手前(南側)の弁天池に弁天堂が祭られ、ニシキゴイなどが泳いでいる。


 12時18分に池際から南へ、「荒幡会館」の横を進むと民家の入口のロウバイが、たく
さん花開いていた。


 少し先から、左手前方に「ドレミの丘公園」の東部斜面や、荒幡小の体育館のドームが
見えてきた。


 すぐ先に「ドレミの丘公園」への上り階段があり、階段を上がって公園上部へ。


 西方から北方の展望が開け、西方には秩父の武甲山周辺が、北方遙かには、雪に覆われ
た日光連山なども望まれた。


     南面眼下に荒幡小の校舎などを見下ろし、林間を南南西へと進む。
     


 樹林を出た突き当たりが「荒幡富士市民の森」で、鳥居を入ると「荒幡富士」がそびえ、
その下に浅間神社が祭られている。




 「荒幡富士」は、明治17(1884)年から15年かけて荒幡村の住民たちが造った人
工の小富士で、富士塚としては最大級のよう。高さは約10mという。

 浅間神社に参拝後、社殿の右手背後から荒幡富士へ登頂することに。


 短いつづら折りの階段の右左折をくり返して、荒幡富士山頂へ。中央部には石の祠が祭
られれいる。
     

 周辺は360度の展望が得られ、西南西にはホンモノの富士山が、少し雲がかかっては
いるが望まれた。


 南側、「西武園ゆうえんち」のタワー横には、神奈川県の大山や丹沢山階の山並みが。


 東側をズームアップすれば、東京スカイツリーや都心の高層ビル群など。
 

 北方はるかには、冠雪した男体山など日光の山並みも。


 北側眼下に「荒幡富士市民の森」を見下ろしてから、荒幡富士を下った。


 北側から荒幡富士をふり返り、西北に少し下って「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの
里センター」へ。 開館して30年を迎えたよう。

 センターの屋根は、土や草に覆われている。


 何度も来ているが今回も入館し、一巡して狭山丘陵の自然に関わる展示を観覧した。
     





  13時14分に退館して、樹林の間を少し進んで西広場前を過ぎる。
  


 樹林の終わる辺りで右折して北へ、東屋がありサザンカの咲く休憩エリア横から、両側
が金網になっている細道を下って高台の住宅地へ。


 住宅地の中を次第に下って西武狭山線の下山口駅方向に向かい、神明橋を渡る。


 突き当たりを右折すれば下山口駅方向だが、左折して南西にある最後の七福神に向かう。


 「桜淵延命地蔵堂」際の橋を渡り、少し先のY字路で右手の細道を進めば、「所沢七福神」
の最後、第七番・毘沙門天の「海蔵寺」前へ。

 山門の無い開放された境内、まずは近年再建の本堂に参拝した。

 本堂前、東側の庭園には小さい流れがあり、よく手入れされた植栽や石灯篭などが。


     「所沢七福神」の毘沙門天は、本堂の左手前に。
     

 13時47分に全行程の参拝を終えた。まだ昼食前なので、西武狭山線の北側の県道沿
いにある食事処を目指すことにして、西側に回って小泉橋のすぐ南側の交差点へ。


 小泉橋を渡って北進、西武狭山線の踏切を越えて県道55号・所沢武蔵村山立川線の「山
口城址前」交差点へ。

 交差点の南東側が山口城址だが、説明パネルだけで城跡らしさは感じられない。


 交差点の東北側にあった「バーミヤン」に入り、ワンタン麺(890円)を注文して遅
くなった昼食をする。


 14時34分にバーミヤンを出た。県道を東進して駅に向かい、途中にあるスーパーで
買物をして、西武狭山線の下山口駅に15時07分に着いた。


 15時17分発の西所沢行上り電車に乗り、15時37分に帰宅した。

 今日歩いたエリア、第4番永源寺から第7番海蔵寺までは、ほぼ赤線のルートを歩く。


                                     〈了〉
 



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2025新春 所沢七福神めぐり 〈前半・1~3番〉(埼玉・所沢)

2025-01-15 20:41:23 | 七福神めぐり
 2025年1月8日(水)

 好天の今日は、所沢七福神巡りに行くことにした。数年前なら1~7番まで通して歩い
たのだが、近年は加齢に伴い前半と後半に分けて2日間で回ることにしている。

 自宅を9時30分に出て、ひと駅乗ってスタートは西武池袋線・新宿線が交差する所沢
駅から。


 中央改札を出て東口に下り、駅前広場の南側にある西武鉄道本社横から南へ。


 駅東側の踏切から伸びてきた道路へ。広い空き地は、数年後には西武線をアンダーパス
して西側へ抜ける市道を作るために確保されたところ。

 
 その横から南へ、西武バスの所沢営業所前を過ぎる。


 6差路かと思われる「北秋津」交差点の北西側、「八雲神社」に立ち寄り参拝する。


 境内には、近くの保育園児だろうか、十数人が遊んでいた。


 交差点際の自販機横から、南へ延びる車の少ない旧道に入り住宅や畑の多いエリアへ。



 左手斜面に茶畑が広がるところのT字路際、モミの木の下に古いお地蔵さんが。
     

          反対側にも、屋根付きのお地蔵さんが祭られている。
          


 T字路を右折したすぐ先、民家の庭先にジュウガツザクラが咲き、庭には、たくさん実
るピラカンサも。
     

 少し先で左折して東へ、次のT字路際の民家の門の横には、珍しい「百番拝禮塔」が4
基並んでいた。

 この家の方が、板東三十三観音、西国三十三観音、そして秩父三十四観音霊場を巡り終
えて、建立したものかと思われた。それにしても何代かで4回も巡られたとは・・。


 T字路を右折した先の高台には墓地があり、北東の隅にはお堂が。



 県道4号・東京所沢線を横断歩道で越えて直進すれば、所沢七福神 第1番、恵比寿神の
「縁上山 持明院」の門前へ。


 持明院の創建は平安時代と伝えられ、「その昔、悪さを重ねていた柳瀬川の河かっぱが、
和尚様に説教されて詫び証文を書いた」という伝説が残っているとか。


     門を入った左手に6地蔵が祭られ、その横には二宮金次郎像が。
     


 最初に本堂に参拝し、左手(西側)の墓地際に回ってお堂や三界萬霊塔などの間から、
西方を眺める。





 西武新宿線の線路の向こうに「国際航空専門学校」が見下ろせ、その背後には奥多摩か
ら奥秩父へと連なる山並みが望まれた。




 境内南側、竹林の下は崖地になっていて、竹林の隙間から、当寺のかっぱ伝説ゆかりの
柳瀬川がカーブする辺りが見下ろせる。
     

     最後になったが、本堂の右手前にある「所沢七福神」の「恵比寿神」に参拝した。
     

  
      県道4号線まで戻り、県道を西へ緩やかに上がって西武新宿線の上を越える。
      

 越えた先の右カーブ際から斜面下へ細道を下り、「久米南」交差点の横断して西進する。



 そばにセブンイレブンのある「勢揃橋北」交差点を直進、うなぎ料理の日本料理店「野
老(ところ)」 の先の三差路際、北側一帯が「所沢七福神」第2番、大黒天の「長久寺」。


 長久寺は、鎌倉時代の文永11(1274)年に玖阿弥陀仏が創建したと伝えられ、所
沢で唯一の時宗の寺。

 寺の横を「鎌倉街道上道(かみつみち)」が通過していて、この上道沿いには時宗の寺が
多く、道を通して信仰が広がったことがうかがえるという。

 そういえば、かなり以前にカントリーウオークで歩いた、県中央部の嵐山町(らんざん
まち)の鎌倉街道上道沿いに、時宗の寺があったことを思い出す。

 境内では、春には桜、秋にはドウダンツツジがきれいなことが知られている。

 山門の両側で、仁王像がにらみを利かして立つ。


     大黒天は、山門を入ると右手に祭られている。
     

 正面の本堂に参拝後、境内を一巡する。


     
 本堂の右手前に、時宗の開祖 一遍上人像があり、その背後に枝を大きく広げたドウダン
ツツジがあるが、いまは枯れ枝。



 境内東北側にある庫裡(くり)の前にソメイヨシノが、南東側の鐘楼の近くには2本の
イチョウが立ち、何れも市の保存樹木になっている。
  

   


 鐘楼近くには「豊川稲荷神社」があり、参拝して3本の鳥居を抜けて、11時29分に
長久寺を後にした。



 少し戻って日本料理店「野老」前を通過、セブンイレブンのある「勢揃橋北」交差点を
右折して南へ。


 すぐ先、柳瀬川に架かるのが「勢揃橋」で、標識などないが「新田義貞が鎌倉攻めの際、
ここで数万の兵を勢揃いさせたことから名付けられた」とされているよう。
  
 
 橋を渡って南下すると左手に、ソーラーパネルがたくさん水面を覆う調整池が。その先
の大規模な戸建て住宅地、松が丘地区の豪雨時の排水めために作られた池で、ソーラーパ
ネル群は「フロートソーラー所沢」と呼ばれている。

 

 池の南西側の三差路、「松が丘東」交差点の先で松が丘の住宅地に入り、東に少しで西方
に回りこんで狭山丘陵の東端へ。


 いまは枯れ枝の広葉樹が主体の樹林上の稜線は、東京都東村山市と埼玉県所沢市との都
県境。

 稜線上を遊歩道が西へと延びていて、南面は「都立 八国山緑地」、北面は所沢市管理の
「八国山緑地」と呼ばれ、「埼玉県狭山丘陵いきものふれあいの里 蝶の森(スポット5)」
でもある。


     
 パネルの横から稜線に向かって上がって行くと、北方に所沢市の中心市街地に林立する
タワーマンション群や、所沢駅に近い新しい商業施設ビル「エミテラス」などが望まれる。








     



     
 落ち葉たっぷりの遊歩道を少し進めば、右手に「元弘石塔婆所在趾」碑が、背後の塚の
上に「将軍塚」碑があり、「将軍塚」の説明パネルも。
  


 
     
 少し先には、ナラやクヌギなどを萌芽更新(ほうがこうしん)して間もないエリアがあ
り、さらに気持ち良い林間を進む。


 
 東村山市諏訪町方面への分岐際に「都立八国山緑地」のパネルが立ち、南側は「あおぞ
ら広場」で、南南東に西武新宿線 東村山駅前のタワービルが望まれた。




  


 さらに稜線上を、左手に「ほっこり広場」ヘの分岐を過ぎ、右手の樹間からは所沢市西
部の椿峰地区の中層住宅地らしいビル群も望まれた。

 
  
 稜線上の右手樹間から水道タンクが見え、下には松が丘の戸建て住宅群が見下ろせる辺
りで、どうも来すぎたようだと気づき、戻ることにした。


 帰宅後に地図で確認したら、八国山緑地の西端に近いところまで進んでしまったよう。


 10分近く戻っただろうか、北側に久米八幡宮や久米水天宮への標柱があり、そこを下
って松が丘の住宅地へ。

 この下り道は通過したときに気付いていたが、次回に回る5番「佛眼寺」への下り道を
意識していて、間違えて行き過ぎたのだった。

 松が丘の戸建て住宅地の中心を東西に走る市道に出て、東へ少しで、「松が丘中央公園」
前へ。


 公園の東側を北進して並行する市道に回り、「松が丘中央」交差点の北側から右カーブ
する細道を少し進むと、「所沢七福神」第3番の「佛眼寺」前に出た。

 
 短い石段を上がって正面の本堂に参拝する。


 3番「佛眼寺」は平安時代に開かれたと伝えられ、明治維新までは北側背後にある「鳩
峰八幡神社」の別当を務めたとか。別当とは、神社を管理するために置かれた寺のよう。

     本堂の前、左手には観音像と弘法大師像が。
     

          
          所沢七福神の福禄寿は、右手につ立つ金色の一願観音像のそばに。
     

 境内東側には、十三仏像に囲まれるように十三重塔がある。


 八国山緑地を予定以上に行き過ぎて時間を費やし、疲労感がつのる。この後予定してい
た第4番「永源寺」は次回に回すことにして、バスで所沢駅に戻ることにした。

 久米八幡市民緑地の南東端の交差点に戻り、バス道路を東に少し進むと「水天宮下」バ
ス停が見え、背後から西武バスが来て止まった。

 手を挙げて乗ることを示し、バスに向かって小走りしたらバスは待っていてくれて、無
事乗車することができた。

 13時17分に所沢駅西口終点に着き、近くの大規模商業施設「エミテラス」へ。



 1階のフードコーナーに入り、「横浜中華街 梅欄」で海老ワンタンメン(900円)を
注文して昼食にする。



 所沢駅に戻って14時23分発の西武池袋線下り電車に乗り、14時45分に帰宅した。

 今日歩いたエリア


                                     〈続く〉



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熊手・羽子板展を見て所澤神明社に初参り(埼玉・所沢)

2025-01-12 18:27:30 | 所沢だより
 2025年1月10日(金)

 毎年、元旦から数日は参拝者で混雑するので避けていた 所澤神明社も、10日ともなれ
ばもう少くなったとみて、今日は近くのスーパーでの買い物を兼ねた市内ウオーキングで
参拝することにした。

 金山町交差点を経て元町交差点へ。参拝の前に、そばにある所沢市中心市街地活性化拠
点施設、愛称「まちぞう」こと「野老澤町造商店(ところざわまちぞうしょうてん)」へ。




 ここでは、昨年末の12月20日(金)~1月14日(火)まで、企画展「お正月・熊
手・羽子板・エトセトラ展」を開催中。
   

 所沢にある「面亀」製の熊手や可愛いい達磨、所沢人形協会のメンバー「倉片人形」の、
所沢ブランド特産品でもある「所沢押絵羽子板」などが展示されている。


 まずは、左手から中央にかけて展示の、倉片人形の所沢押し絵羽子板を。




     

          

     
 係の方の話では、この羽子板は数年前のものだが、最近はアニメの影響もありパッチリ
した目の羽子板が多いとか。
          

          
 
 正面左手にある、2つの熊手は「面亀」のもののよう。




     

      



     


 右手には、人形の乗った手まりを吊したものが。



     さらに右手にも、羽子板が並んでいた。
     

          


     入口を入って左手壁面や机上に並ぶ小さなグッズは、販売しているもの。
     







 正面右手のウィンドウは面亀製の熊手、達磨などが並び、これも販売している。




 所沢のマスコットキャラクター「トコろん」も。


  
 観覧を終えて「まちぞう」を出た。信号を挟んで斜向かいに立つビルには、市のまちづ
くりセンターや中央公民館があり、入館して近隣の催し物のリーフレットなどを入手した。


 近くのスーパー・ヤオコーで買物後、旧市役所庁舎の背後を西進して、所沢の総鎮守で
ある「所澤神明社」に参拝することに。下段の階段を上がり正面の鳥居を入る。
  

 所澤神明社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定の折に、この地で天照大
御神をお祭りしたことを由緒としており、所沢の総鎮守として「しんめいさま」と呼ばれ
親しまれている。

 元旦には、日本で一番早い熊手市が開催され、境内には威勢のよい声が響き渡るとぃう。


 鳥居下、左手の斜面にナンテンの実が残り、鳥居を入った左手には出店のテントがある
が、今日は閉じていた。



 鳥居上の中段左手の手水鉢は、色鮮やかな花手水が。







 そばのテントはおみくじの無人販売所で、何種類ものおみくじの箱が並び、出店のテン
トもある。




     




 最後の階段を上がると左手に手水舎があり、両脇にはきれいな生花が飾られている。






     

 10日ともなれば参拝者も少なく、すぐに正面の拝殿に参拝することができた。



 参拝後、拝殿左手に設けられた「お守り頒布所」に回り、例年同様に交通安全のお守り
を分けていただく(800円)。
  

    
      

     頒布所に飾られた何種類ものお守りや絵馬など
      

 頒布所の左手、境内林に沿っていくつかの摂社が並んでいる。










 屋根のあるのは所澤招魂社で、明治以来の戦没者が祭られている。



 次は鳥船神社(別称 所澤航空神社)で、社殿周囲には奉納されたたくさんの折鶴や紙飛
行機が。
     

               

     左手最奥は「野老稲荷社(ところいなりしゃ)」。
     

 本殿の背後には、クスノキやナラなどの高木が。


 本殿の東側にあった絵馬掛け


 境内南東側にある古札納所に回り、昨年いただいた御札を納めた。



  参拝を終えたので中段に下り、角錐形のおみくじ飾りの横から西側の参道へと下る。
  

 参道の中ほどには、所沢市の「ふるさとの機(巨樹)ケヤキ」の第1号に指定された、
ケヤキの大木が立つている。
  

 西参道の入口の鳥居を出て、市道の西側の住宅地を抜ける細い市道へ。

 
 さらに西進して、西武池袋線の西所沢駅に近い線路沿いからは、少し雲がかかってはい
るが富士山が望まれた。




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「埼玉西部消防局・所沢市 消防出初式 2025新春」へ

2025-01-09 12:49:30 | 所沢だより
 2025年1月7日(火)

 昨年は、元旦に発生した能登半島地震に配慮して中止した、埼玉西武消防局と所沢市の
「消防出初式」が2年ぶりに開催されるので、会場の航空記念公園に向かう。

 起床したのが遅く、雑事を済ませてから歩いて行くと間に合いそうにないので電車に乗
り、西武新宿線の航空公園駅に9時52分に下車した。

 東口に出て、駅前広場から市道沿いの歩道を少し南下する。



 市道を陸橋で越え、会場の航空記念公園内の航空発祥記念館前の広場に開始時刻の10
時過ぎに着き、「第1部 式典の部」の小野塚所沢市長の年頭挨拶に間に合う。




  会場で入手した出初め式の2つ折りリーフレット表紙
  

    埼玉西武消防局の概要(リーフレット記載のもの)




      
    続く来賓祝辞は、所沢市議会議長↑や地元選出の衆議院議員 柴山昌彦議員↓などが。
          





 整列する所沢消防団の第1分団~第10分団員(手前)と埼玉西武消防局員


 続いて来賓紹介があり、10時25分過ぎに閉式となった。

 「第2部 訓練の部」は10時30分過ぎに始まる。


 最初は「徒列分列行進」で、 消防音楽隊の演奏に合わせて埼玉西部消防局の職員から。


 消防本部の救急隊員







 一昨年までは各分団ごとの行進だった所沢市消防団は、今年は10分団の団員が揃って
の行進に。団員の減少によるものかと思われる。



 最後は、市内にある「双実子ども園」の園児たち。


 次は「救助基本訓練」で、埼玉西部消防局の救助隊員による一糸乱れぬ部隊行動が披露
された。














  


 3番目は「車両分列行進」で、ポンプ車、はしご車、救急車など、消防局と消防団が誇
る消防車両によるパレードが続く。


 最初は、埼玉西部消防局の多彩な消防車両や救急車両が。











 水難救助対応車


 電源照明車


 救援車


 拠点機能形成車



 最後に「所沢市消防団」の車両が、本部車を先頭に第1分団から第10分団まで続いた。








 4番目のプログラムは、初めてかと思われる「和太鼓演奏」で、所沢市内を拠点とする
「和太鼓倶楽部 龍鼓(りゅうこ)」というグループによるもの。









 団員には消防組合職員もいるとか。少年少女の姿もあり、全員で力強い演奏を披露して
くれた。

 続いては、「双実こども園」の園児たちによる演技。



 やや不揃いではあったが、園児たちは一生懸命に演技した。


 訓練の部も終わりに近づき、出初め式のハイライトともいえる、「消防活動訓練」を。


 芝生広場の南側園路沿いに建てられた、仮説のビルから出火したと想定し、消防署と消
防団が協力しての消火活動や、多数の逃げ遅れた人を様々な方法で救出する活動訓練。

 出火



 消防車や救急車が出動して現地へ急行し、緊迫した状態の中、次々に消火活動や救援活
動が繰り広げられた。


  







 今回は初めて、ドローンを利用しての上空からの現状把握も。












     








 最後は「一斉放水訓練」で、消防署と消防団の車両による一斉放水。








  



 予定より少し遅れ、正午過ぎに消防出初め式は終了したので、会場を後にする。


 12時06分に、航空発祥記念館の西北側から航空記念公園を出た。

 西北側にある所沢市役所へ。


 案内をもらっていた、1階市民ギャラリーで開催中の「第24回 吾妻写真クラブ展」を
観覧する。
     

 会員16人と講師2人、あわせて36点の作品が展示されていたが、市内の写真展では
トップクラスと思われる、国内の風景を中心の見応えある作品が揃っていた。

 1階西側の正面出口を出た。


 西武新宿線の航空公園駅を東口から西口へ連絡通路で越えて、峰の坂交差点や宮本町交
差点を通過し、12時37分に帰宅した。




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2025年の初参りは東川沿いの社寺へ(埼玉・所沢)

2025-01-05 17:53:49 | 所沢だより
 2025年1月2日(木)

 所沢市内で初詣でといえば、総鎮守である所沢神明社と北野天満天神社だが、両社とも
に元旦から数日は参拝者が多く、長く境内で待たねばならない。

 そこで今年も、市内中心部を東西に流れる東川(あずまがわ)沿いの社寺に参拝するこ
とにした。

 まずは東川沿いに出て東へ、最初は近くの「六所(ろくしょ)神社」へ。
     
 
 短い石段下の右手には、市指定文化財になっている本殿の説明パネルが。



 境内に上がり拝殿に参拝、両横には新年にあたり地元の氏子から奉納の張り紙が。


     
          本殿の左手には、2つの摂社が祭られている。
          


 境内や参道に吊された、たくさんのちょうちん。
     

 東川沿いを東へ、西武池袋線の西所沢駅に通じる通りの橋際に残る柑橘。


 1か月以上降雨がないので、東川の流れはわずか。もともと流量が少ないので、いつ見
下ろしても似たような流れではあるが・・
  

  
 国道463号線の金山町交差点の北側近く、スーパー西友西所沢店の背後に祭られてい
る小さなお堂は、弘法大師 空海を祭る「弘法堂」。
     

 そばに立つ枯れ枝はイチョウで、枝の下部にわずかに葉が残る。



 なぜ弘法堂かといえば、東側を南北に走る国道の橋際に弘法大師 空海伝説のある「三
つ井戸」があるから。

 この井戸も、市の指定文化財になっている。




 国道の東側に回るとすぐ先に、東川が豪雨であふれそうなときに洪水をバイパスさせる
ための地下トンネルへの取水口(左)がある。


     近くの民家の玄関先の飾りもの
     
 
 さらに進むと、庭先にミカンのたくさん実る家も。


 元町交差点から北へ、峰の坂交差点方面に延びる市道が東川を超えた西側、旧鎌倉街道
沿いに面して「新光寺」がある。


 唐風の門は普段閉じているが、正月なので今日は空いていた。

 
  門の横にある、新光寺についてのパネル
  

 門を入ると東向きの正面に八角堂が目に入り、その手前に「慈眼視衆生」と刻まれた観
音立像がある。
     
 観音像の右手に立つイチョウは、市の「保存樹木」第2号に指定されている。

          



 新光寺は武蔵野三十三観音霊場の第10番札所で、境内北側中央部にある庫裡(くり)
が納経所。
     

 境内の右手最奥、北西側にある本堂に回って参拝した。


     南側中央部には、小さなお堂の福寿稲荷社も。
     

 山門を入り左手、境内南東側にはシダレザクラがあり、いまは枯れ枝だが春先にはきれ
いな花に覆われる。
      


 その下には、子育地蔵や延命地蔵など10数体のお地蔵さんが木を囲むように並ぶ。




 参拝を終えて門を出た。門の北側に立つハクモクレンは、つぼみがかなり膨らんでいる。


 市道を越えて中央公民館などの入る元町交差点際のビルの裏手、東川沿いの遊歩道を進
む。川沿いに並ぶソメイヨシノは日陰なので寒々しい。


 隣接する、中央図書館の背後に咲くサザンカ


 その東側、南北に走る市道沿いにある所沢元町局のポストに、年賀状3枚ほど投函した。
そばの東川の橋際から西北に残る旧市役所庁舎を。

 一昨年頃からか、もう市関連の機関の事務所としても利用されてないはずだが、取り壊
しには多大な費用がかかるようで、まだ残されている。

 東側、時々利用するスーパーヤオコーは年始の休業中。



 構内東南側には、この場所のもとの主、深井醤油の展示資料館↑が、道路の南側には直
売所↓がある。

 
 東側の突き当たり一帯は「東光山薬王寺」で、南側の門から入った。


  
 境内には、幹の太い2本のイチョウがあり、枝は伐採されてわずかだが、幾つも垂れ下
がる気根(きこん)が年代を感じさせ、やはり市の保存樹木である。
     


 普段は閉じている本堂の扉は正月なので開扉され、観音菩薩だろうか、ご本尊も拝顔で
きた。
     




 
  本堂の南西側、お地蔵さんの背面に立つヤナギ  
    


 本堂の右手前(南東側)、鐘楼堂前のモミジには葉が残る。



 境内東側に接する建物際には、サザンカがたくさんの花を。


 門前の通りを東進し、昨年春に再建した市内でも指折りの古い店舗の一つ「荒幡肉店」
前を過ぎる。


 所沢駅前方面から下ってきた「飛行機新道」が、東川に架かる橋を渡って右折したとこ
ろで道は合流して、西武新宿線のガード下を抜けた。


 少し先から東川沿いは、春先の市内の花見の名所の一つである桜並木が始まるが、いま
は枯れ枝のまま。
  

 桜並木をさらに少しで、「熊野神社」の門前へ。


 一の鳥居近くに立つ当社のパネル



 拝殿に近い二の鳥居には、パネルにも記されいる、昨年末から元旦にかけて架け替えら
れたワラ製の大蛇が絡まっている。


 二の鳥居を入った右手ではかがり火がたかれ、そばのテントで氏子の方が御札などを頒
布中。私も参拝後、昨年の大蛇のワラで作った「除疫守」をわけていただく。
     


 正面の拝殿に参拝後、右手にある摂社にもお参りした。

 
 近くのロウバイは、少しだけ開花している。


 熊野神社の参拝後、境内南西側道路際に祭られている「不動堂」にも参拝。



     普段は閉じているお堂も開扉されていて、不動尊像を拝顔できた。
     

 隣接する消防団の車庫の背後には、いまは御用済みだが火の見櫓(やぐら)が残る。
       

 次の十字路を左折して北へ、国道463号線を手押し信号で渡ると、歩道の一角に「日
本一長いケヤキ並木」のパネルが。
  

 さいたま市浦和区から続く国道463号線沿いの長いケヤキ並木は、すぐ先(西側)の
西新井交差点付近が終点になっている。
  

     
          歩道沿いに残るススキ
          

 いつも来たときに退出していた、公園中央部南側の広い園路から航空記念公園に入る。


  
  放送塔下のロータリーを左に回り、C-46型輸送機の前から航空発祥記念館方面へ。

 

 C-46型輸送機を囲む金網沿いに、たくさん実を付けたピラカンサ。



 航空発祥記念館前の芝生広場では、数組の家族が凧あげを楽しんでいる。




 いつもとは逆の、北西側の出口から公園を出た。北側にある所沢郵便局に回り、わずか
に足らなかった年賀はがきを購入する。


     局前のポストは正月の装い。
     
  
 航空公園駅に向かう沿道沿い、左手は市役所構内の竹林で、歩道沿いはケヤキ並木。


 駅前ロータリー際に展示の、戦後の国産旅客機YS-11型機

 

 西武新宿線の航空公園駅に12時06分に着き、12時10分発上り電車に乗る。
 



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日本地図センターから目黒天空庭園へ(東京・清瀬)

2025-01-03 12:46:24 | 江戸・東京を歩く

 2025年の新春を迎えました。昨年も1年間、たくさんの方にご覧いただき、ありが
とうございました。 

 新しい年が、皆様にとって災いや憂いのない、よき年となりますようお祈り致します。

 加齢に伴いすべての行動が鈍り、投稿間隔が空き、日にちのずれも大きくなりましたが、
本年もできるだけ投稿したいと考えます。 引き続きご覧下されば幸いです。

 本年最初の投稿も、遅れた昨年12月下旬のレポートです。

========================================

 2024年12月24日(火)

 「(財)日本地図センター」から毎週末に届くウィークリーメールで、今日と明日、地図
カレンダーの配布をするというので、2年ぶりに行くことにした。

 9時35分に自宅を出た。西武池袋線から東京メトロ副都心線、東急東横線直電車で渋
谷駅へ。東急田園都市線に乗り換え、ひと駅の池尻大橋駅で10時45分に下車した。
     

 地下を東急田園都市線が走る国道246号線・駒沢通りを東北へ。沿道のイチョウは黄
葉が残る。
     

 少し先、大橋ジャンクションのロータリーを回って都道317号・山手通りに向かって
緩やかに下る。


  山手通りに出た反対側に「日本地図センター」のビルがある。
   


 1階入口を入った右手のテーブルに無料配布のカレンダーが置かれていて、ひとり3本
までもらえるというので、日本地図と世界地図のカレンダーあわせて3本をもらった。
     

          

 左手は地図センターの売店になっていて、国土地理院発行の地形図や地図、地図関連の
図書などを販売しており、一巡したが特に欲しいものが無いので購入はせずに出た。

  
  ロータリーを上がって駒沢通りに戻り、そばの「上目黒氷川神社」を参拝することに。

 正面は急な石段だが、その先の交番の手前から上がる「目黒富士登山道」から短いジグ
ザグの急坂を上がった。
     

          



 上がった境内は平坦になっていて、左手(西側)に神楽殿がある。


 境内北側中央に上目黒氷川神社があり、両脇に2つの摂社も。


 石段を上がったところにある手水舎は、花手水(はなちょうず)になっていた。

 

     まずは、中央の上目黒氷川神社に参拝する。
      
 
 右手は目黒冨士浅間神社で、左側には葉の落ちたケヤキの高木が立つ。


 傍らにあった「目黒富士」のパネル


 左手、2ッの石鳥居の奥に祭られているのは稲荷神社。


  3つの社殿に参拝したので、正面の急な石段を下り上目黒氷川神社を後にした。
  

 この後は、日本地図センターに来たときにはいつも回っている、駒沢通りの南側に接す
る「目黒天空庭園」に向かう。

 池尻大橋駅寄りに少し戻り、専用エレベーターで上がって駒沢通りをまたぐ陸橋を渡る。



 見下ろす駒沢通り、上は首都高3号線



 陸橋を渡り終え、右手から反時計回りに少し上がると「目黒天空庭園」の管理棟がある。


 もらった折込リーフレットによる「目黒天空庭園」の施設案内


 図の左下部の管理棟前から、円形の外周を反時計回りに緩やかに上がり、上部中央の
東口広場まで進み、上側に隣接する「クロスエアタワー」9階に入るというのがルート。

 管理棟の休憩エリアに掲示の「大橋ジャンクション」周辺の写真



 管理棟前の植え込みや花壇の花など。


 目につく木々を眺めながら、散策路を少しずつ進む。



 実の残るガマズミの木が何本か。


  9階が目黒天空庭園の出口に直結するクロスエアタワー
  


     タイワンツバキ(台湾椿)も何本かあり、花が咲き残っていた。
     

     ゴテンバザクラ(御殿場桜)の実
     



     

 スロープの一番右手(南側)にある東屋(あずまや)




 「あそびの広場」


 

 「あそびの広場」を抜けると、クロスエアタワーに近づく。


 ふり返る「あそびの広場」周辺


 
 最上部の「東口広場」周辺には、色づいたモミジが数本残っていた。







 その一角にある探訪デッキから、以前は富士山の上部が見えたのだが、いまはその手前
に薄いブルーのビル(中央より少し右)が建ったので、見えなくなったよう。



 南側のビル群



 西側に見下ろせるエリアは「おおはし里の杜」と呼ばれ、入ることはできない。


  



     

 周辺のモミジや、たくさん実の付いたクロガネモチなどを眺め、12時10分に「目黒
天空庭園」を出ることにした。








     

 「クロスエアタワー」9階の入口を入り、エレベーターで1階に下りてビル東側に出た。


  北側に回れば駒沢通りで、先ほど参拝した「上目黒氷川神社」が正面に。
  

 池尻大橋駅に向かって駒沢通りを進み、次の横断歩道で往路の北側歩道に戻る。


 駒沢通り際から始まる遊歩道「目黒川緑道」のスタート付近には、かつて下を流れてい
た流れに架かっていた「大橋」の標石が残っていた。
     

     
 池尻大橋駅に12時29分に戻り、東急田園都市線で渋谷駅へ。渋谷駅で東京メトロ副
都心線、東武東上線直通電車に乗り、小竹向原駅で13時03分発の西武池袋線直通電車
に乗り換える。


 所沢駅で途中下車して、東口直結「エミオ」3階の食堂街に入り、「椿すすめ」へ。


 「納豆玉子ぶっかけうどん」(960円)を注文して、いつものように遅い昼食とした。

 
 さらにひと駅下り電車に乗り、帰宅したのは15時15分だった。



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今年の紅葉の見納めに六義園へ(東京・文京)

2024-12-27 17:34:19 | 江戸・東京を歩く
 2024年12月16日(月)

 2,3日前のTVニュースによれば、都立庭園のひとつで国特別名勝の「六義園(りく
ぎえん)」の紅葉が、まだ幾分か残っているようなので、好天の今日、久しぶりに訪れる
ことにした。

 JR池袋駅から山手線外回り電車に乗り、3つめの駒込駅で11時20分頃に下車する。


 巣鴨駅寄りの南口を出て左へ、線路上を越える橋を渡り駅前を走る都道455号線・本
郷通りを南西へ向かう。


 すぐ先の交差点の南側一帯が六義園で染井門があるが閉じていて、入口はその先にある
のでさらに本郷通りを進む。

 次の大きな通り、不忍通りとの交差点の手前の細い通りを右折して、煉瓦塀沿いに少し
で、唯一の出入口になっている正門前へ。

     すぐ手前にあった公園の外周を囲む煉瓦塀の説明パネル
     

 正門前の掲示


 正門を入り左手の受付でシニアチケット(150円)(一般は300円)を求め、そば
のテーブルにあった「特別名勝 六義園」の折込の3つ折リーフレットなどを入手する。
         

 六義園は江戸の二大庭園”のひとつといわれ、徳川綱吉の側近であった柳澤吉保が、将
軍の命を受けて池を掘って山を築き、元禄8(1895)年から7年の歳月をかけて造り
上げた「回遊式築山泉水庭園」。

 紀州和歌の浦の景勝や、和歌に詠まれた名勝、中国古典の景観が八十八境として映し出
されていて、昭和13(1938)年に一般公開され、昭和28(1953)年に国の特
別名勝に指定されたという。

 リーフレット内面記載の地図に従い、中心にある池(大泉水)を囲む周遊路を時計回り
に回ることにした。


     受付近くにある六義園の標石と和傘、記念撮影用だろうか・・
     


 まずはその近くから、周辺のモミジなどの彩りを眺める。 


 左手(西側)に進み、庭園の中心部に入るための門「内庭大門」(ないていだいもん)
を入る。


 正面に大きなシダレザクラがあるが、葉はすべて落ちている。
 


 左手には懸崖菊(けんがいぎく)の展示が。
 


 さらに竹製の門をくぐると、「六義館跡(むくさのたちあと)」という標柱周辺の木々
が、きれいな紅葉を残していた。




 


 園庭や池、モミジなど眺めながら南側の園路を西方へと進む。








 園内南側中央部にある「心泉亭」と呼ぶ建物のよう。
 
 
     
     さらに西方へと、移り変わる風景を眺めながら向かう。
        







     


 池の西南端には「滝見茶屋」があり、そばのモミジも彩りが残る。
     



     そばの橋を渡って西側の園路を北へと進んだ。
     

     

   すっかり葉の落ちた木々
   


 西側から眺める大泉水 


   
 

    西側一帯は樹林になっていて、ところどころにモミジなどの彩りも残る。
    

   
    その先には大イチョウが見えたので、小さいピークを上がって根元からも。
    

 
 さらにモミジなど眺めながら緩やかな上り下りの園路を進む。




 大泉水の北西側にある吹上茶屋へ。


 ここでは、抹茶をたしなむいおともでき、池をみながらいただく人も。

 
 吹上茶屋の横から、川のような細い流れが北側の谷間に伸びているので、そちらの園路
へと進む。
     

 流れと行ってもほとんど動きはなく、松やモミジなどたくさんの落ち葉がきれいな模様
を見せていた。


 その流れが右へカーブするところに、小さなかやぶき屋根の「つつじ茶屋」が。

 明治年間にツツジの古木材を用いて建てられたとか。


 つつじ茶屋から向こうに見えるのは山陰橋



 吹上茶屋の近くまで戻り、橋を渡って大泉水の中で一番大きな島に入り、南側の大泉水
周辺を眺める。





 島の中央部北側は、六義園の最高点で標高35mの藤代峠(ふじしろとうげ)。咲き残
るツツジの横を上がってピークへ。
  


 藤代峠から、園内を東側から周遊してきた西南方まで一望した。




 藤代峠から下り、南東側の渡月橋を渡り園内東側を出口方面へ。



 池に泳ぐカモや周辺の風景、園路沿いに咲き残るモミジやカエデの彩りなどを眺めな
がら進む。




     


 出口が近づいた辺りに休憩所兼売店の建物があった。





 近くの「出汐湊(でしおのみなと)」と呼ぶ辺りから、西方に広がる大泉水と周辺を一
望する。






     
     出口に向かう園路沿いには、石灯籠や実の残るムラサキシキブが。



 その先の竹林に立つ和傘には、わら造りの龍が絡まっていた。



 もう一度、入口の内庭大門辺のモミジを眺める。
  

     

 13時10分に六義園を後にした。



 門前のビルは、児童図書の出版などをしているフレーベル館。門前にはクリスマスを待
つ人形などが。


 本郷通りをJR駒込駅に向かい、駅近くにあった「なか卯」に入る。


 「チーズトッピング牛とじ丼と京風つけもの、味噌汁」を注文して昼食とする。



 13時46分にJR山手線駒込駅に戻り、池袋方面行き内回り電車に乗る。

 
 


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