あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

アートウオークセラピー(神奈川県横須賀市)

2007-11-26 21:52:05 | カントリーウオーク
 2007年11月23日(金・祝)

 前日に続き真冬並みの寒さとか。午前中は風が
ちょっと冷たかったが、三浦半島の山ふところを巡
りながら、歌ったり絵を描いたりしてゆったりとした
ひと時を過ごそうという、山浦敬子さん企画の
「アートウオークセラピー」に出かけた。



 今日の舞台は、横須賀市長坂3~4丁目。三浦
半島の最高峰、大楠山(241m)の南2㎞ほど、
小田和湾に面した電力中央研究所の北側になる。

 京浜急行新逗子駅からバスに乗り、長坂バス停で
下車、北側の住宅地に入る。

 細い流れの前耕地川の東側を進み、まず、背後を
常緑樹に覆われた祖母神社へ。

 元和2年(1616)に、日向の国の姥嶽明神を勧請
(かんじょう)したと伝えられ、明治6年(1873)に
祖母神社となり、古くから安産の神として崇拝されて
いるという。

 社殿は開け放たれ、このあと七五三の祭礼が行わ
れるとか。そばの氏子会館でも、七五三の祭礼の後、
感謝祭が行われるようだ。

 神社入り口から付近から左カーブした前耕地川の
南側には、刈り入れの済んだ田んぼもある。横須賀
市内に田んぼがあったとは…。

 前耕地川の左岸沿いに進むと畑が増え、この寒い
時期なのにジャガイモも育っていた。三浦半島に比
べて寒い埼玉には、今ごろジャガイモ畑はない。


 川を離れて東西に走る道路に入り、妙印寺へ。永正
元年(1504)の創建で、本尊木造日蓮上人座像は、
永禄8年(1565)、鎌倉仏師による造立という。

 境内の隅に、夏ミカンがいっぱい実をつけていた。

 本堂裏手の墓地に上がると、高台なので南側の展
望がよい。墓地の隅から背後の54.2mのピークに
上がることにする。

 道はついていないが、急傾斜の林間を両手両足を
使ってやぶこぎして上がる。
 

 展望の利かない山頂に、朱塗りの小さい鳥居と
ほこらがあった。


 西側には下る道があり、竹で作った段などを下り、
民家の横から古い庚申塔の並ぶ三差路に出た。

 北に進むと次の三差路際にかやぶき屋根の家が
あった。かなり前に廃屋となったようで、屋根は崩れ
かけていた。

 ちょうど正午近いので、ここで昼食とし、陽のあたる
東側の庭先に腰を下ろす。今日は大半が女性なの
で、皆さんから菓子や果物、漬け物など、いろいろと
差し入れをいただいた。

 今日ご参加の小田原のYさんと練馬区のKさんは、
6年がかりの旧東海道歩き旅を、11月16日に歩き
終え、京都・三条大橋に到達されたとのこと。

 そのとき知人から贈られたという、完歩記念のお祝
い幕を見せてもらう。


 記念撮影後、山浦敬子さんのオカリナ演奏にあわ
せ、みんなで「赤とんぼ」、「里の秋」などを合唱する。


 東に回り、背後に広がる標高101.2m山ふところ
に立つ2戸の住宅まで上がる。左のりっぱな長屋門の
あるお宅の前は、日当たりのよい畑が広がっていた。


 このあたりには刈り入れ後の棚田も残り、ススキの
穂が逆光に映え、日だまりの気持ちよい里道である。


 山すそのあちこちに畑が残っていて、その最高部
あたりからは、東側のわずかに見える東京湾の向こ
うに、房総の山並みらしいのも望まれた。


 山の中腹に点在する1,2戸の民家を結び、ミカン
畑のなかを抜けたり、大根やシュンギクの畑などの
あぜを抜け、長坂4丁目に西北端に回ると、西北に
120.3mのおだやかな山並みが現れた。


 少しずつ南に向かって下がり、もう1度畑の間を
西に回り込み、若木のブドウ畑の横を抜けたりして、
車道に面した無量寺に行く。

 かやぶき屋根の山門の上に、独特の7つの飾り
ものが上がっている。何のためなんだろうか。

 さらに南に下がり、市営長坂アパートの間を進み、
国道134号に出て、14時45分に佐島入口バス
停に着いた。

 14時50分発のバスで京浜急行新逗子駅とJR
逗子駅に向かい、それぞれ帰途につく。

 今日のエリアは、海上自衛隊や米海軍基地のあ
る横須賀市とは思えぬ、緑に覆われた標高100m
前後の山すそに広がる、キャベツや大根畑などの
間に、ポツリポツリと点在する民家が散らばるとい
う、どこかの村の集落を訪ねたような、静かなたた
ずまいだった。

(天気 晴、距離 5km、地図(1/2.5万) 浦賀、
 歩行地 横須賀市)
 

 
 
コメント
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