あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

昭和30年代前半の石神井公園の風景(東京・練馬)

2018-09-29 18:15:49 | アーカイブ
 2018年9月29日(土)

 前々回、9月16日(日)に石神井公園周辺を歩いたレポートの最後に、半世紀以上前
のことを少しだけ記したときに、当時の写真があるはずだと思い出しました。

 そこで、引っ越し用段ボールにしまったままになっていたアルバムを探してみたら、見
つかったので紹介することにします。

 時期は、昭和31(1956)年6月から33(1958)年3月までのわずかな期間
ですので、アルバムの掲載順に従ってご覧いただきます。

 初めは昭和31(1956)年6月中旬のもの。アルバムのタイトルは「新緑の石神井
公園」となっています。
     
      石神井池の東北端にあるボート乗り場周辺

 
 石神井池は、当時は「ボート池」と呼んでいたように思います。

 中の島の南側にかかる太鼓橋(たいこばし)は現在も同じよう見えるので、改修などは
してないのかもしれません。
     

           太鼓橋付近からの東方の眺め。
          

      三宝寺池の植物
     

           三宝寺池の弁天堂
           


 アルバムには「石神井グランド」と記されていますので、三宝寺池の北側台地上、現在
は区立石神井公園松の風文化公園になっている、当時の日本銀行石神井グランドではなか
ったかと思われます。

 次は、昭和32(1957)年2月24日撮影の三宝寺池弁天堂。

 三宝寺池の南西側、現在は厳島神社と呼ばれる建物のはず。 

 当時、夏になると「石神井公園灯籠流し花火大会」があり、たくさんの観客で賑わいま
した。昭和32年7月24日です。

 「各町競う灯籠群」となっています。


 その中の2つ、オランダ風車(左)と「夢よもう一度」と名付けられた大きな灯籠(右)。

      夜の打ち上げ花火も人気でした。
     

 最後は雪の石神井公園風景、以下の3枚は昭和33(1958)年2月28日と3月2
日撮影のもの。


 石神井池ボート乗り場周辺



 ボート乗り場付近から南西側の眺めと思われます。

 以下の4枚は日にちが記されていませんが、「雪の石神井公園(第二部)」となっいて、
かすかな記憶では同じ昭和32年の3月下旬か4月上旬だったはず。


 この2枚は、やはりボート乗り場付近からのよう



 こちらは、石神井池東端近くの南側、現在の「ふくろう広場」と「くつろぎ広場」と呼
ぶ辺りと思われます。


 さらに別頁に貼ってあった以下の3枚も、3月下旬か4月上旬のはず。

 ボート乗り場に近づく石神井公園駅行きのボンネットバス

 
 石神井池の南東側、現在の「くつろぎ広場」辺りから北側の眺めか。


 現在の「ふくろう広場」辺りから見た西側方向のよう。

 当時は三宝寺池はもとより、石神井池の周辺もボート乗り場以外には人工の構造物はな
く、自然のままの開放的な空間が広がっていました。

 テレビ放送が始まって2~3年の頃、まだ家庭にテレビ受像機を持っていたのは裕福な
家だけで、多くの家では情報や娯楽はラジオと4頁くらいの新聞、それに映画館での映画
観賞などに限られた時代です。

 〈参考〉現在の石神井池(上)と三宝寺池(下)の地図







 (公益財団法人 東京都公園協会発行のものの一部)

 







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コメント (6)
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