あるきメデス

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狭山市立博物館で恐竜展と常設展示を観覧(埼玉・狭山)

2021-07-17 13:00:36 | ウオーキング
 2021年7月15日(木)〈その2〉

 狭山市営稲荷山公園の自生ヤマユリを見た後、県営狭山稲荷山公園に入り、園路を左回
りにほぼ1周して公園の南西側にある狭山市立博物館横まで進む頃には雨はほぼ止んだ。


 狭山市立博物館では、開館30周年記念特別企画の「恐竜展」を開催していたので、観
覧することにして11時55分に入館した(入館料 常設展示含み300円)。




         

 館内は、特別展・常設展示ともに写真撮影可能という。

 1階の円形になっている舞い舞いホールには、トリケラトプスの全身骨格標本のレプリ
カが展示されていた。




 このレプリカのもとになっているのは、アメリカ自然史博物館の全身骨格標本とか。こ
の姿は自然な直立姿勢ではなく、「腰を落として何かに身構えた姿勢」といえるようだ。


     
 この舞い舞いホールを囲むスロープを回って2階に上がり、まずは特別展示室前へ。
  
 入口の右手に展示されていた大きなアンモナイト。マダガスカル産の実物という。
     

 左手には、タルボサウルスの産状(さんじょう)標本がある。

 この標本は、1948年にモンゴルのネメグト層から産出したタルボサウルス化石の算
状を記録したものとか。

 産状とは俗にいうデスポーズで、この姿勢は恐竜や鳥類が死亡する際に生じる死後硬直
の一環「弓なり緊張」によるものだと考えられているようだ。


 企画展の室内に入り、時計回りに展示を見て回る。




     











 壁面に描かれた恐竜群


 もうひとつ、アンモナイトの美しい化石があった。白亜紀のアンモナイト「アンモライ
ト」と呼ばれるもので、カナダ産という。
     
 アンモナイトかアラレ石化(いしか)したもので、宝飾品にも使われるようだ。

 この後、長方形の常設展示室に入り、やはり時計方向に一巡して展示を観賞する。

 
 板石塔婆(いたいしとうば)、13世紀から16世紀にかけて全国で盛んに建てられた
供養碑で、死者を供養するためのもの。

 武蔵国では荒川上流の緑泥片岩(りょくでいへんがん)が使用されている。

 狭山に生息したアケボノゾウの骨格標本模型で、日本で最初に制作されたとか。

 狭山市笹井で発見されたもので、市内ではほかに入間川(いるまがわ)沿いの数カ所で
発見されているという。

 アケボノゾウは約150万年前に生活していたゾウで、当時は日本とアジア大陸はつな
がっていて、アケボノゾウは歩いて日本にきたと考えられているよう。

 狭山市内に生息する昆虫類の標本の一部。




 





 縄文時代に狭山の人々が残した道具


 奈良・平安時代の狭山の集落のジオラマ

 
 農耕作業に使用された道具

 
 狭山の祝膳(いわいぜん)(結婚披露宴の祝膳)


 脱穀の道具


 狭山の馬車鉄道(入間馬車鉄道)

 入間川・飯能間を結んだ約10㎞の馬車鉄道で、明治34(1901)年に営業を開始
したが、ほかの乗合馬車との競争や大正4(1915)年に池袋・飯能間を結ぶ武蔵野鉄
道(現在の西武鉄道)が開通して営業維持が難しくなり、翌大正5年に解散したという。

 市内のHONDAで製作された、「EP-Ⅱ」とよぶ安全・高性能・省エネルギー車の1/2
模型のよう。



 むかしの農家の生活用具


     


 常設展示を一巡して12時50分に観覧を終えた。入口横に併設のレストランに入り、
狭山稲荷山公園の南面を眺めながら↑昼食をした。

 注文した本格欧風ビーフカレーとリンゴジュース(¥870+150)

 
 13時10分過ぎにレストランを出た頃には、すっかり晴れ上がって日差しがいっぱい
になった。ふり返る狭山市立博物館正面


 これなら天気も持ちそうなので、昨年同様にもう一か所、近くの「彩の森入間公園」も
訪ねることにした。〈続く〉

 



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