あるきメデス

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修学院離宮と曼殊院、知恩院など(2)

2006-03-23 21:10:24 | 京都を歩く
05年4月19日(火)の続き

 圓光寺のそばのしだれ桜が、こぼれるほどに花を開いていた。

 詩仙堂の下を西に下ったところに松が立っていた。一乗寺下り松で、宮本武蔵が
京都の兵法家、吉岡一門を相手に戦ったところ。現在の松は4代目らしい。

 近くの民家には、きれいな花が咲いていた。

 そばの交差点から西に150mほどのところに、雲母(きらら)漬けの「穂野出」と
いう店があった。創業は元禄年間(1688~)という京の老舗である。

 「接待所」と書かれた店に入ると、12代目の当主・田辺正さんが、「独特の味噌
漬けなので、味見してから買うか買わないか決めなさい」と言う。

 雲母漬けは、親指大の小ナスに白みそを和えた独自の漬け物。創業時の製法を
守り、店を訪れた人にだけ販売しているという。雲母漬けと花きゅうりを味見して、
買うことにした。

 白川通りに出て、交差点近くにあったSayur-Sayuran(さゆーる さゆらん)という
南国風のオリエンタルカフェに入る。定食のランチを注文したが、ベジタブルで
おいしかった。若い女の子には、ケーキが人気の店のようだ。

 一乗寺駅から京阪電車で三条駅まで行く。縄手通りの古い家並みの間を南に
進んで、大和橋から白川左岸の白川南通の遊歩道に入る。

 コイの泳ぐきれいな流れ沿いは、八重桜やしだれ桜、山吹、ツツジなどが咲き、
ヤナギの新芽が淡い彩りを見せている。

 白川北通りに入ると、葉桜となったソメイヨシノの並木が続く。流れにはアオサギが
いて、対岸の民家から投げるえさをもらっていた。

 この辺りは祇園の一角、2階のひさしからすだれを垂らした家並みが続いていた。

 東大路通りに出て、華頂短大や宿坊の並ぶ華頂通りなどを経て、三つ葵のまん幕
が下がる大きな山門・三門(さんもん)をくぐって浄土宗総本山知恩院に入る。

 国宝の三門は、高さ24m、桁の長さ27mあり、木造の門としては世界最大だと
いう。

 知恩院は、鎌倉時代に法然上人が居住し念仏の教えを説いた場所。寛永16年
(1639)に徳川家光が御影堂(みえどう・本堂)を、元和7年(1621)に秀忠が三門
を建立し、現在の寺域が形づくられたとのこと。

 女人坂を上がり御影堂の東に回って、まず方丈庭園を拝観する。小堀遠州と関係
の深い僧、玉淵坊(ぎょくえんぼう)の作と伝わる回遊式の庭園である。

 新緑が影を映す二つの池が大方丈、小方丈に面して広がる。小方丈の奥を上がる
と徳川権現堂と千姫の墓がある。

 最上部に法然の遺骨を納めた御廟があり、そばの八重桜が満開だった。

 御影堂に戻り、堂内に上がって参拝する。4000人が入れるという広い堂内には、
大勢の僧侶と信徒が並び、御忌(ぎょき)と呼ぶ法要が行われていた。

 16時を過ぎたので帰り道に向かう。三門を下って知恩院道から東大路通りに出て、
祇園会館の角を入った。舞妓さんも垣間見える狭い通りを経て四条大橋を渡る。

 ビジネスホテルに預けた荷物を受け取り、京都駅17時発ひかり号で帰途についた。

〈距離 14㎞、地図(2万5千分の1) 京都東北部〉

 


 
 
  

 

 

 

 

 

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