あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

中欧5か国の街並み② チェコの首都プラハ 

2016-09-01 19:10:13 | 中欧5か国旅行
 2016年9月1日(木)

 台風10号の襲来により、岩手県や北海道では堤防の決壊などによる大きな被害が出ま
した。日本国内どこで、いつ自然災害にあうか分からず、地球温暖化に伴いその被害が大
きくなるような気がします。被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。

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 チェコの首都プラハには、チェコ南部の古都チェスキークルムロフを経て、5月30日
(月)の夕方に着きました。

 プラハ市は東西約25㎞、南北約15㎞のエリアで人口は約126万人とか。観光の中
心は市の中央部で、その中央部はヴルタヴァ(モルダウ)川で東西に二分されていて、西
側にはプラハ城やマラー・ストラナと呼ぶ地区が、東側には旧市街や新市街が広がってい
ます。

 プラハ城の近くのレストランでの夕食後の19時過ぎ、まずはプラハ城西側のフラチャ
ニ広場からプラハの旧市街を一望しました。。










 市内のホテルに宿泊した翌日、5月31日(火)は朝から雨になりましたが、ホテルか
らバスに乗り、ヴルタヴァ川沿いを進んでプラハ城に向かいます。


 最初に、昨日夕方一部を通過したプラハ城内を巡りました。城内の建物の一部。




 プラハ城の東側から北側に回り、「黄金の小路」と呼ぶ辺りを一巡して城内に戻ります。




 プラハ城の西側、展望の良いフラチャニ広場から「新登城道」と呼ぶ細道を下り、さら
に細い道を少し上ったりしてプラハ城南麓のマラー・ストラナ広場に向かいます。
     

         

     

 マラー・ストラナ広場


 少し南に回り、モステッカー通りを東進しました。




 双塔のマラー・ストラナ橋塔をくぐり、ヴルタヴァ川の手前にあるチェルトフカと呼ぶ
細い分流の橋から眺める南側の家並み。


 町の中心を南から北に流れる、ヴルタヴァ川のカレル橋を渡りながらの眺め。こちらは
下流側


 橋の行く手、下流側に旧市街の建物が近づきました。


 上流側には堰(せき)があり、その向こう(南側)は中の島も通過するレギー橋。


 上流側、渡り終える辺りすぐ南側に張り出したところには、交響詩「モルダウ」などで
知られるスメタナ博物館の建物が。

                      スメタナ博物館 

 市街給水塔の管理棟として建てられたものが1936年に博物館になり、作曲家スメタ
ナ(1824~84)の自筆楽譜や日記、贈答品などが公開されているようです。

 カレル橋の東側にある旧市街橋塔をくぐって橋を渡り終え、東に延びるカレル通りを旧
市街広場に向かいました。
     

        Y字路に挟まれた建物はホテルのよう。 
       

 旧市街広場が近づき、正面に双塔のディーン聖母教会が望まれます。


 旧市街広場の賑わい。




 旧市街広場を抜けて、東に延びるツェレトナー通りを東進してレストランで昼食に。食
事を終えて旧市街の東側に進んでバス乗り場に向かいました。


 この辺りからは、近代の建物も増えてきます。








 この日の午後はドイツの古都ドレスデンに向かうため、バスで12時20分に出発して
一旦プラハを離れました。

 ドレスデンの観光を終えて19時過ぎにプラハに戻ってバスを下り、旧市街のレストラ
ンでの夕食に向かいます。その途中やレストラン周辺で見た建物を幾つか。


     



 旧市街広場からもう一度ディーン聖母教会を眺め、バスで連泊のホテルに向かいました。
     
 20時を過ぎてもこの時期のプラハは、まだこのように明るいのです。


 なお、昨日から今日にかけての報道で、1964年の東京オリンピックの女子体操で3
つの金メダルを獲得し、「五輪の名花」「東京の恋人」などど呼ばれて日本でも親しまれ
た、旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさんが8月30日(火)に亡くなっ
たとを知りました。

 チャスラフスカさんは、ここプラハの出身とのこと。ちなみにパソコンのメールアドレ
スは「sakura1964@……」だったようで、日本を愛していたことがうかがえます。ここに
チャスラフスカさんのご冥福をお祈り申し上げます。             (続く)




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