パート2を書くまで、非常に間が空いてしまった
さて、『人体の不思議展』を出て、『ここまで来たから、熊本城に登ってみようか?』
『うん、私、中学生以来かも~?』
『本丸御殿も出来たし、金屏風の昭君之間ば、見てみよう!』
ってな調子で、意気投合
時計を見たら、4時近くなっていて、雨が降り出したので、速足で二の丸公園を横断~南大手門~頬当御門で入場料金を払うと、僕は宇土櫓をみようと左折したが、妻は直進。
僕は凹型の首掛石に寄って、説明を読んでいる。
妻は『なんしよっと?早くこっち来んね!』ってな、振り向きをしながら、まっすぐ本丸御殿を目指している~
ここでもさっそくB型同士の個性的な別行動の開始だ
僕はその先の宇土櫓を諦めて、妻の後を追う~新しく建設・復元された本丸御殿は右手にみえるが、先ずはお城を目指す。『お城に上る』というのは、大天守閣に登る意味。
妻との距離は縮まらない
大天守閣階段をぐるぐる回りながら、途中の『一石城主の寄付金のお札のコーナー』『熊本城の歴史コーナー』とか見ながら、最上階の天守閣にたどり着いた。
久しぶりに眺める、ここからの市内のビューも昔と変わらないが、眼下の復元された櫓も増えて、綺麗になっていた。
降りる時になって、やっと合流した
次はやっと本命の、本丸御殿に向かった~
先ず出迎えるのは、『闇り(くらがり)通路』。ここは復元されて初めて通った。本丸御殿大広間の地下に当たる。4メートルくらいの石垣の上に架けられたチョウナで削った荒削りの大きな梁(赤松)~それを支える大きなケヤキの柱!~暗がりの大好きな僕にとって、タイムスリップの起きる冒険の空間だった。
しげしげとその観賞をしていたら~、また妻と離れた
いよいよ、本丸御殿に入った。
先ずは、大御台所~天井の梁は、樹齢100年くらいの松の木・球磨人吉地方から運んだという。かまどは、大きな釜が6つ位並ぶ大きなもの。ここでは、来客用の食事を作ったとのこと。
お城の”料理番”がやはり居て、大勢の使用人を使っていたのだろう。
次は、大広間に入った。ここで妻に追いついた。4つの広間が繋がり161畳もあり、藩主の居間として使われたり、部下と対面する場所だったという。我が家がすっぽりと入ってしまう広さ。
そして、本丸御殿の中で一番の見どころは、「昭君の間(しょうくんのま)」豪華絢爛とはこの様なところだろう。天井から襖からキンピカの部屋。
天井画は全部で60枚あるという。黒い漆塗りの天井と金箔のキャンバスのコントラストが綺麗。
撮影は、フラッシュをたかなければOKということで、携帯電話のカメラでカシャカシャ撮った。
そして障壁画に描かれているのは、中国の漢の時代の胡の国へ送られたという絶世の美女~”王昭君の物語”だという。
ともかく天井から床まで、煌びやかな大お座敷という感じだった。
時間は5時を過ぎて、もう閉門の準備~
久しぶりに妻と一緒の時間を過ごした休日だった
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