Goo・ちょき・パーで、なに作ろう!

定年退職してしまいましたが、再任用でまだまだ老後の蓄えをしなくてはなりません。それでも悔いのない人生にしたいと思います。

熊本県農援隊が五木村、瀬目地区の石拾い作業に来たぞ~!

2011年09月19日 13時39分53秒 | Weblog

2011年9月18日日曜日

沖縄方面で、のろのろ、ついにはグルッと1周して、なんと北上を始めた台風15号の惑わす天気にイライラして迎えた当日。
午前6時、雨は降っていたが、Goが判断されたが入った。
そして集合時間の10時前には、熊本県農援隊9名が集合してくれました

その前に、ちょっと、瀬目の状況を紹介します。
北緯322133.2秒  東経130518.3秒 造成団地の記念碑の位置  この位置へのリンク http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=130.852306&latitude=32.359225

瀬目農業団地は昭和末期、五木村の南部の標高約580~620mの山を切って作られた8ha程の造成団地です。
ところが、五木村はもともと岩山ばかり、作土には石が多数混じっておりトラクターでの耕転作業もままならないために、完成後数年の内に放棄地となってしまいました



あっという間に、カヤの群生地となり~



あちこちに松の木、クヌギなどの木も生え始めていた。
知事も代わり、耕作放棄地解消に一生懸命なK知事となり、政策が浸透する中で、村も積極的に取り組んできた。
2010年からは南稜高校との連携で、放牧に取り組み~



カヤを放牧牛に食べさせた後、重機(ユンボ)を使ってカヤの根を掘り上げ石を出し、堆肥を入れて、耕し畑に戻すというサイクルで、ナタマメ・トウガラシ・大豆・タカキビ、緑肥としてヒマワリなどを作って来た。







今年2011年の5月末からは、南稜高校から4頭の黒牛を放牧し~







その地が今回の石拾いの予定地となっていた。
写真左側は放牧が済み、ユンボにより耕されているところ。右側は8月初旬まで4頭が放牧されカヤは食べられた。
この後、右側のカヤ畑もユンボにより抜根と耕しが施されて~



この状態に。見た目、カヤが綺麗に無くなったが~



足を入れてみると、大小、さまざまな石がゴロゴロ点在~ストーンピッカーなる土木機械も福岡・宮崎県と探してみたが採算も合わず、作付時期は迫って来る中、人の手による石拾いの計画をしなければならないと現実の課題に~




そんな時に、カンダタの元に下がったクモの糸か~県庁農林水産部・むらづくり課からお助けの電話がかかって来た
かつて一緒に仕事をしたこともあるT君によると『農援隊の窓口をしていますが、何かお助けが必要でないでしょうか

人海戦術しかないなあ~と悩んでいたので、この電話にビビット反応した僕は、”このクモの糸、逃すものか~”とすかさず『瀬目地区の造成畑での石拾い作業がある~来て、来て、来て』と、すがる思い

その後のT君の努力・課内調整により、むらづくり課から5人、農地農業振興課から4人、合計9人もの若い職員が来ることになった

さて、当日の朝
地元関係者は8:30集合し、農援隊が来る前に1枚仕上げておこうとハマったものの、雨と赤土、ユンボによる抜根・深耕によりタイヤは沈みやすくなり、至る所でハマってしまっていた~そこへ農援隊が登場~バツの悪い状況が展開していた



フロントローダーの救出参戦を、農援隊の初仕事としてしまった、まことに済まない



フロントローダー救出が完了したところで、仕切り直し~
役場産業課の下内課長の挨拶、むらづくり課の原課長の挨拶、産業課川口君から作業手順の説明
『今日は、お世話になります~石を拾う畑の面積は5枚で、約70aです~』
農援隊一同、たらり~っ


石拾い作業開始~個人的にはホントにキツイ作業開始だった。
昨夜1:30まで(炭焼きイベント)、五木村の酒豪:溝口氏と呑んでいたので完全二日酔い
あぜ道でもいいからネコロンでいたい所



各人が手箕(テミ)に石を入れる~『これが貝掘りならなんと大漁で楽しいか』とも思った。
現実は、重たい上に、フロントローダーがハマった畑なので、手箕の石は道路際で待機したローダーまで運ばねばならず、いきなりのハードさに、農援隊はあっという間に無口に~『こんなハズじゃなかった、とんでもない所に参加したもんだ』と見てとれたので、次の畑に移動を促し、この畑は後日乾いてからやり直す事にした



次の畑からは、2台のロントローダーがバケットを広げて、すぐ近くまで来てくれる



フロントローダー1台に、10名が5~6mの範囲で石を集める形が自然とでき、ローダーが石を捨てに行っている間には、要所要所に石の山を築いておき、来たら一斉に投げ込む~この作業の要領が出来て随分と楽になり、作業が捌け出した





1枚の畑の最後の端っこになると、急に作業要員密度が増して、ある意味危険度も増すところ。
『来た~、バックする~、危ない~』の掛け声も大事な災害回避策



あっという間にお昼の時間になってた~約400m離れた谷から水を引いた用水タンクの放出で手や顔を洗い、冷たさに『ア~っ』の歓声


準備された手作りのお弁当を、路上のブルーシートで食べた。汗を流して働いて、野外でみんなと食べるのは美味しい・美味しい。



おかわり若いモンはいっぱい食べて、昼からも頑張ってくれ



午後、天気はなんとか持ちそうだ、時々降る小雨もミスト噴霧状態で、かえって涼しい。
僕もやっとアルコールが抜けて、元気を取り戻した



みんな要領が良くなり、1枚14aの畑を15分で終えた所もあった。



こんなデカイ石もゴロゴロあった。前もってユンボにより畦側に出されていた石だ
フロントローダーがなければ、とてもじゃないが搬出は出来ない。



体格の良い、瀬目集落担当職員の山本君(奥)の声が、自然と巨石処理担当、『せーの、おりゃ、うりゃ、Futt』と、響いていた



石の捨て場所も、2枚の畑を一組にして隅っこ一ヶ所を捨て場にして、上の畑の石もそこに捨てる。





午後2時半、いよいよ最後の畑~誰も怪我が無かったので、一安心。



一方で、瀬目地区の今回代表の中村さんは、石拾いの終わったところからロータリーをかけて行った。





ガンガンガラガラ~やはり埋まっている石はまだまだたくさんある



でも、本当に綺麗になった



見た目に、石は見えない程、綺麗な畑になった



記念撮影は、やっぱりバンザーイポーズだろう



みんな一緒に『バンザーイ』をパチリ
やあ~、良かった良かった



作業の慰労会のBBQは最初から計画されてたもの
瀬目公民館で、奥さん方の準備により手作りもてなし
地元の申し出に、農援隊も事前にハンドルキーパーを3人決めての参加。
『農援隊の皆さま、お世話になりました、お疲れ様でした、カンパーイ



シシの塩焚き~これは何度食べても美味い。豚骨ラーメンの元祖はここにあると確信


そしてこれは、瀬目の猟師さんにより今朝獲って来られたホヤホヤ新鮮な鹿肉の刺身今日の宴に上るために出てきたような鹿
生姜醤油で食べると、あっさりしていて美味しい。
馬刺しより、美味いかも。



もう、これから後の写真には説明は要らないだろう~初対面の農援隊と地元の集落の人たち、役場職員~一緒に汗を流したから気構える事無く懇親


オイちゃんと撮れよたまには若い姉ちゃんとこんな事もあるから、やっぱり長生きせんとなあ~と、いつも女好きな森下さん
農援隊のSさんも、オジサンのお相手ご苦労様でした










宴もたけなわだが、農援隊も2時間かけて熊本市内方面に帰らないといけないので、手短に挨拶とバンザイをお願いしたが、今後の瀬目地区との農援活動について延々喋っただけのH課長まあ、それだけH課長も気持ち良く飲んでもらったという事



結局、部下のHさんがバンザイで締めた
めでたしめでたし、怪我も無く本当に良かった
役場としては、今後の営農作付計画・土地利用計画を支援しなければならない。



H課長によると、酒歓の中で11月頃に再び瀬目地区に農援隊をさし向ける計画・同意を得たとか

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週末お試し農業体験in五木村・ゼロエミッション燃料 メイドイン 五木 炭焼き体験(後篇)

2011年09月19日 11時38分02秒 | Weblog

2011年9月4日(2日目)

あっという間に朝が来て、二日目となった
単身赴任の二日酔いの朝は、朝飯抜きのパターンだが、今回はみんなで朝ご飯をいただいた。




今日も台風12号の雨が降っている。現場の鴛山(オシヤマ)は、仰角50度位の谷に囲まれ、自然の照葉樹林が広がっている
杉・檜の造林でないと言う事は、それだけ急峻な地形と言える。



昨日から連続であれだけ雨が降っているのに、ここの谷川の水は全く濁っていない。腐葉土の層が厚く、相当の雨量でも泥を流す事は無いということだ



さて、そもそも自然の中での体験とは、天候に左右されて当たり前。
かと言ってお客さんをボーッと放置する訳にはいかない
先生の策により、臨機応変にプログラムを組み替えて~
今日の半日は①炭出しと②材の窯入れとなった。

窯の全面は、焚き口で、火が燃え上がったであろう煤が付いており。
その焚き口の上を赤土で覆う様に塗ってある。



生は、鎹(カスガイ)の尖ったところで赤土を崩し始め~



焚き口の扉を開けた~




と、思ったらすぐに閉めて、その上を埋めている大小のレンガを、鎹を器用に使って綺麗に取り外しだした~




前面が全部取っ払われると、灰の取り出し




内部はカラカラに乾燥していて、もうもうと舞い上がる灰吸い込むと、とんでもなくむせた
さて、炭焼き窯の構造はいろいろなタイプがあるとのこと。
これは独立した焚き口(燃焼)部屋が手前にあるタイプ。
奥のレンガの壁の上が20cm程開いており、手前の燃焼部屋から立ち上った炎が、この穴から奥の材の頭(上部)を焼いていく。




先ほど崩した時の赤土は回収して再利用される。
ただし、再利用の焼土は粘りが無くなるので、生赤土(初モノ)と混ぜて練るとのこと~ちなみに初モノ赤土だけでもあまり良くないという。
無駄が無い




奥のレンガの壁が取り払われると、前回に仕込まれた炭が出来ていた。ただし、炭焼きだから黒いかと思ったら、この様に真白とは驚いた



樹氷か白いモンスターの様に白く灰がかぶっているが、触るとサラッと灰は落ちて、黒い炭が現れる




手前の燃焼室の炎が、奥の炭部屋の材の頭を焦がして、頭からの熱でジワジワと下部に向かって蒸し焼きにし、炭化する過程を説明する先生。
この時、材は堅い良質な樫の木と柔らかい雑木の両方が必要な理由も説明された。
理由①柔らかい雑木は、手前の燃焼室でバンバン燃やすのに必要 ②炭部屋(奥の窯)の一番手前の燃焼室側は酸素もあり、熱も高温になりやすいから、殆ど灰になり歩留まりが悪い部分。ここに樫の木を使い見す見す灰にするのはもったいないから、雑木を置くようにする ③一番奥の部分はなかなか火が通りにくく炭化もしにくいので、この部分には雑木の小径を置くようにする
成る程、ごもっともな知恵が活かされているものだ



さて作業開始~一番最初の部分は、理由②により柔らかい雑木の炭なので、触ると脆く崩れるので、肥料袋に次々に入れて運び出す。
ここで、Yさんの帽子の上の壁部分に直径10cm位の黒い穴がある事を確認しておいてもらいたいこれは煙突に繋がる穴




それが済むと、灰かぶりが落ちて、真黒い堅い樫炭が棒状で取れ出す
これを一輪車に積んで運び出す
全員が交代で体験したが、みんな鼻の穴が真白




完成した炭は、いったん納屋に並べられる。



村内外からのまとまった量の注文に応じているとの事。



理由③により、一番奥の部分には柔らかい雑木なので、再び袋詰め。
ここで、右下の部分に煙突に通じる穴がある事を確認してもらいたい。

さっきは、上の壁部分に穴があったので、二つの煙突穴がある事になる

材がうまく炭化するか、うまくとは、①材の頭から尻まで全部炭化するか②それは詰まった炭でスカスカでないこと③上の木口(切断面)は灰かぶりとならず、木口の形をしているか、④窯全体の歩留まり~などの評価で高いと言う事だ

今回の助手役の、溝口さんによると『先生(樅木さん)のように、窯を作れて、これだけ良い炭を焼ける人は、郡内でもそう居ない

焼きの技術(ソフト面)もあるが、大前提は窯の完成度(ハード面)、具体的にはこの下の穴の煙突の作り方だという。壁の向こうで構造は分からないが、これが企業秘密だと言う事だ




先生によると、窯の維持管理の大事な事は、窯内部を湿気らせないこと

だから、炭を出したらすぐに次の材を入れる~この連続だと言う
材の準備が出来ないなら、それまで窯を開けない(炭を出さない)というサイクルとなる

今回は、この体験に合わせるために待っていてもらった
さて、窯の掃除も終わり、新しい材の搬入~流れ作業で奥から、雑木の径の短い細い物から詰め、樫の木の良い材料、一番手前には雑木の径のデカイ物の順番で運び込む



通常は先生が一人でこの搬入、詰め込みを一人でやっている訳で、外に出たり入ったりと狭い所で大変な作業


参加者全員体験し、ぎっしり詰める要領を確認する。





窯の天井は綺麗な平面でない事に気付いた
この模様について質問した
話は、一番最初の窯の作り方に関係していた。
ドーム型の天井を作るためには、このように材を概ねドーム型に詰めて、その上に径3~5cmの棒状の枝をドーム状に並べて、その上に赤土を付き固めるとのこと。その3~5cmの棒状の型が天井に残るという訳納得



さて、1回目の炭焼き体験は2日目半日(午前中で終わり)
2日間雨にたたられ、材の切り出し体験は断念
次回の火入れと組み合わせることにした。

お昼前で解散の予定が、『昼飯ぐらい食って帰らんといかんばい。このシシ(イノシシ)ば、食うて帰れ』と溝口さんが肉のブロックを出した。


ささっと捌いて~



焼き網の上で、塩コショウで焼き始めた




ところが、箸が無い事が発覚
先生は、乾竹ではあるがどこからか探してきて、ささっと7人分の箸を拵えた




昼ごはんがいきなりのBBQ状態となったものの、お昼代も浮いてみんなイノシシBBQに喜んだ。




そうそう、五木村では良く見かける行為~人間が食事・宴会する時には、かならず『カンサー・神様にお神酒(おみき)アゲ』といって、どこかにコップ酒や湯飲みの酒が置かれている。
ここでは『窯んカンサーにお神酒アゲ』がされた




次回は待望の9月17~18日の火入れとなる
天気が良い日でありますように『まんまいさん、アッ』

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