2015年6月27~28日
遅くなりましたが、先月の旅『雲仙旅行』の報告です。
出発の日も、あいにくの横殴りの雨で、熊本港からオーシャンアローに乗りました。
高速船・オーシャンアローは早いです~『長崎は、今日も雨だった~』
30分で、雲仙・島原港が見えてきました。
島原港上陸して、30分~雲仙みかどホテルに着きました!
道向かいの『楽いち』では、歓迎太鼓の演奏~
みかどホテルは、山に張り付くような地形に建っています。
6月13日 8周年のリニューアルオープンを狙って、妻が予約しました。
みかどホテルの玄関は、大木を使った構えで、大好きな彫刻の出迎えを受けました!
圧倒される大きな彫刻に、チェックインは妻子に任せて、しばらく見入っていました。
大好きなドラゴン~なんと素晴らしい構図でしょう
いったい、誰が彫ったのか興味があります。
社長の趣味であることは、間違い有りません。
彫刻を見るだけでも満足ですが、妻子の目的は食事です。
焼き肉~海の幸~ビュッフェで90分食べ飲み放題です。
肉も、刺身も、カニも美味かった~若い時みたいに、たくさん食べられないのが残念です。
温泉は、熱すぎることなく、露天の個湯舟も気持ちよかった~
まとまったビルではなく、この長屋の数棟がそれぞれ客室です。
移動には歩きが結構あります。
外から見ると、右手の岩が露天風呂です。
そうとう急峻な山肌に、石垣を築いて建っています。
温泉には、都合4回くらい入って、久しぶりにのんびりしました。
翌日28日日曜日は、なんとも綺麗な快晴となりました。
『雲仙地獄』も、1本道を車で30分くらいです。
ここも、修学旅行等で必ずくる、懐かしい所です。
相変わらず、地熱は衰えることなく、方々でガスや熱水が吹き出しています。
晴れてはいますが、木陰にはいると風が涼しく、実に気持ちよい気候でした。
雲仙地獄 と言えば、キリシタン殉教の地の歴史 です。
旅の雰囲気に水を差す歴史ですが、やはり残虐非道の政策の歴史や、信者の強い信念を知らないではいけないと思います。
帰りの船の時間も気にしていましたが、ぜひとも寄りたかったのは、水無し川にかかる『吉祥白天橋』です。
誰も観光客は来ない~主に地元の人が軽トラックで農作業の行き来する橋です。
ここは平成3年の普賢岳噴火・火砕流被害の下流域になります。
ところで雑学ですが~全ての橋には出入り口があるそうです。その判断は欄干の橋の名前です。
その名前が漢字で書かれている方が入口で、ひらがなで書かれている方が出口だそうです。
つまり、ここ北側は出口です。
いまでも、普賢岳からは噴煙が立ち上っています。
アップで見ていると、山頂からは時々崩落の石が転がる煙が見えます。
橋の入り口方向には、
防災営農施設整備事業・農業共同施設等再建助成事業や被災営農施設等再開助成事業等
で建てられたハウス群が見えます。
あの頃、この地域の人々は大変な状況でした。
なんで、火山被害に拘るかというと、1989年(平成元年)阿蘇火山は噴火し、多量の火山灰を 3年間に渡り降灰させ、農作物に被害を与えました。
それにより、熊本県は『阿蘇火山降灰対策事業』に取り組み、復旧支援事業を行いましたが、その主査として3年間仕事をしたからです。
平成3年6月には、雲仙普賢岳では、大火砕流が発生し、死者・行方不明者43人を出す、大災害となりました。
有明海の対岸の災害でしたが、仕事とも重なり他人事ではありませんでした。
忘れられない災害① 忘れられない災害②
僕にとっては、こんなの観るのが観光です。
一日快晴の内に、帰りのオーシャンアローに乗りました。
また来たい所です。