ひめちゃんと獅子丸は、葛塚城の堀切跡を渡り、岩神沼(いわがみぬま)に到着です。
あれえ、黄色い帽子の集団だ
ひめちゃんは、子どもが苦手です。
今日から、また集団登校が始まったのかな?
少し後ろに下がって、通り過ぎるのを待ちます。
クワバラ、クワバラ
ひめちゃん、かなりのモコモコ状態です。
また、換毛です。
岩神沼は静かです
今朝は、カモもサギも、だれもいません。
右上角の森が高縄の摩崖仏です。
岩神とは石の仏様、つまり高縄の摩崖仏のことです
摩崖仏の方へ、上ります。
このあたりは、棚田です。
不思議な事に、沼より高い田んぼもあります
高縄の摩崖仏に寄ります。
検索してみると、桐生市指定の重要文化財になってます
高縄の摩崖仏は、赤城山の泥流によって運ばれた高さ3.8m、幅約4mの大岩の南面に阿弥陀三尊像が彫られています。
中央には、高さ56cmの阿弥陀如来、脇侍として右に高さ50cmの観世音菩薩、左に高さ50cmの勢至菩薩が半肉彫された典型的な配置で、鎌倉時代に掘られたものと推定されています。
鎌倉時代から、ここにおいでなのです
どんな人が彫ったのでしょう?
鎌倉時代に、上野の山上で阿弥陀信仰を持った人々は、どんな人々でしょう?
一般庶民ではありませんね。
ふと、行仙上人(ぎょうせんしょうにん)を思い浮かべてしまいました。
上野国山上(やまがみ)といふ所に、行仙坊とて、本は静遍僧都の弟子、真言師なり。近き頃、念仏の行者として、尊き上人と聞こえき。
(『沙石集』臨終目出度き人々の事 )
新田義貞が鎌倉幕府を亡ぼす50年程前に書かれた書物に、その姿が描かれています。
ただ、山上の何処なのかは書かれていません。
いずれにせよ、「なむあみだぶつ」と唱える人々が、ここら辺りにいたのです
そしてこの摩崖仏は長い年月人々を見守ってきたのです
合掌
石造物もいっぱいあります。
木々が茂ってきて、石造物がうまく映ってくれません。
4月の写真です。
庚申塔はたくさんすぎるほど、宇賀神(右下隅)は一基だけです。
このお二方は、よく似ています。
馬頭観音のようでもありますけど
裏に回ると、またまたたくさんの石造物と、古墳の葺き石でしょうか?
ひめちゃん達とのお散歩なので、全部数えたりはできないですけど、近郷近在にないほど多い石造物です
かつては、すごいパワースポットだったのです
今朝は、更に北上して上の沼(新沼)を廻って帰ります。
岩神様を振り返ります
建物があるあたり、もしかしたら、人々がちょっと集える空間があったかも知れません。
こんなに、人々の願いが集まっているのだから、人々も集まったはずですよね
このまま進みむと、突き当たりに道標があります。
南伊勢崎、つまり六道の辻からの山上道かな?
今では車のすれ違いも大変な田舎道だけど、かつては幹線道路だったのです
新沼も静かでした
芦原が再生しています。
そのうちにまたサギさんの姿を見られるでしょう