朝、ひめちゃんは小次郎パパと、ほぼいつも通りにお散歩できました。
赤城山の木々が、生き生きと見えます。
ここが葛塚城堀之内の北端です。
ひめちゃん大事な時なので、突き当たりを左折して帰ります。
あれ、いつも通る道に、大きなトラックです。
急遽脇道に入ります。
ここは、れっきとした市道ですけど、豚舎と豚舎の間の道で、普通の人は通りません。
葛塚城堀之内の内曲輪です。
まわりの石は葛塚城の石と云いたいところですけど、どうも古墳の石のようです。
葛塚城は、山上にたくさん存在していた古墳を利用していたかも知れません。
25日の昼ごろ、雨が上がりました
遠くにお出掛けするには、ちょっと遅い
そうだ、県境を越えて、妻沼聖天様のおいなりを買ってこよう
県境を越えた移動が可能になっています。
さすがに山上城趾公園からも、他県ナンバーの車お断りのバリケードは撤去されました。
国道17号線(上武道路)を尾島で降りて、利根川沿いに刀水橋(とうすいばし)まで出ます。
刀水橋を渡ってほどなく到着です
貴惣門から入ります。
巨大な荘厳な門です
右手にひっそりとお地蔵様です。
柔和なやさしそうなお方です。
首はしっかり付いてます。
左には「めぬま歴史の道」と「貴惣門」の説明板です。
2年半ぶりです。
いくつかの斉藤実盛(さいとうさねもり)ゆかりの史跡に行った事があります。
では、貴惣門をくぐります。
みごとな龍です
左右に、仁王様です。
調伏の文字が見えます。
今みんなが一番のぞんでいる御利益ですね
紫陽花の一角があります。
左奥に、斉藤実盛の銅像があります。
「こんにちは。お久しぶりです」
白くなった髪を、鏡をみながら、墨で染めています
細部にわたって実に細かく作られています
実は実盛の兜(かぶと)と言われるものが、石川県小松市の多太神社に伝わるそうです。
熊谷市立熊谷図書館刊の『斉藤氏と聖天堂』(平成25年)に、その兜の写真があります
確かな資料によって、兜も創作されているのです
この歓喜院聖天堂は、平安時代末期に、この地を治めていた斉藤別当実盛が開いた聖天堂が元とされているのです。
実盛は、幼い駒王丸(のちの木曽義仲)を助けます。
そして、その木曽義仲と戦って戦死するのです。
文部省唱歌・斎藤実盛の歌詞があります。
一、年は老ゆとも、しかすがに
弓矢の名をばくたさじと
白き鬢髭墨に染め
若殿原と競いつつ
武勇の誉れを末代まで
残しし君の雄々しさよ
二、錦かざりて帰るとの
昔の例ひき出でて
望の如く乞ひ得つる
赤地錦の直垂を
故郷のいくさに輝かしし
君が心のやさしさよ
一番は、老齢になったとは言っても、武門の名誉を朽ち果てさせまいと、白くなってしまった髪の毛や髭を墨で染め、若い者に交じって戦い、末代まで残した武人らしさをうたいます。
二番は、彼が着ていた錦の直垂の物語です。
生まれ故郷の越前に錦を飾り散ったのです
スイッチをおすと、メロディーが流れるはずです。
あれ、流れません
じゃあ、お寿司でも買ってそこらでたべましょう。
ここの名物は、大きないなり寿司なのです
あれえ、本日売り切れですって
(つづく)