ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに、東の牧場に方をお散歩してきました。
ヤギさんいるかな?
いました
でも、おはようの声が届かないくらい遠くにいます。
近くにいたのは、ボクです。
大きくなったね
ママはどうしたかな?
姿が見えません。
暑いよー
日射しがあまり強くならないうちに帰りましょう。
でも、ちょっと待って、ママが居ない
鏑木川を渡って、角度が変わると、ママの姿がありました
この間は、母子で一緒にいたけど、息子が成長して、別のハウスにいるらしいです。
親子3名、別々のハウスに住んでいるんだね
こちらも、田植えが進んでいます。
獅子丸は、スギナをいっぱい食べて帰りました。
なぜか、スギナを食べる子です
早川を西原橋(にしのはらはし)で渡って、西鹿田(さいしかだ)の信号で左折、北上します。
まもなく、長昌寺に到着です。
山門の先には本堂です。
あれ、瓦葺きだ
長昌寺については、検索してもほとんど資料がありません。
『笠懸村誌・上巻』(昭和60年)に、茅葺きの本堂の写真と供に少しだけあります
長昌寺は、天台宗善昌寺(現新里村新川)の末寺、天元元年(978)字寺内に創立したと伝える。開基は慶範、寛永二年(1625)忠慶和尚が中興開山した。開基は旗本久永源兵衞であり、寛永二年とされている。天保十年(1839)正月焼失したが、次ぐ年再建された。本尊は聖観音菩薩である。
新川の善昌寺の末寺なんだ
そういえば、善昌寺と長昌寺、昌の字が共通だ
中興開基が、旗本久永氏なのですね。
だから、久永山長昌寺なんですね。
本堂下に、お地蔵様です。
お地蔵様が3体、どうも六地蔵の半分のように感じられます。
本堂脇に、本堂大改修祈念碑がありました。
村誌が刊行されてまもなく、大改修だったのです
「天台宗開宗一千二百年、長昌寺開創一千十年」とあります。
天台宗の東国伝導教団の創建ではなさそうです。
少し時代が下がるかな。
本堂の後ろには古墳があるということです。
行ってみましょう
あれ、双体道祖神だ
いつ頃の物だろう?
近くに街道があるかな?
古墳の説明板があります。
この説明板があるのが、A号古墳ですね。
庚申塔がいっぱいあります。
百庚申塚、ふさわしい呼び名です
そのまま行くと、B号古墳の裏に出てしまいます。
説明板にあったように歴代住職の墓が建ってます。
正面に廻ります。
大きくりっぱな和尚さんの墓です。
左に見える山は、新里の新川・熊野神社のある森ではありませんか?
善昌寺はあの山の左前方です。
大きくりっぱな和尚さんの墓ですけど、お一方だけ違う方がいます。
普通に考えると、中興開山さんの墓標になりそうですけど。
うっかり確認してきませんでした。
今度行ったら確認してきます
まあ、とにかく合掌
この時節、御朱印をというのは遠慮しておきましょう。
駐車場に戻る途中、本堂下のお地蔵様、とても優しそうでした
また、お会いしましょう
早川がすぐ近くを流れていたのですね
(つづく)