黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの世良田長楽寺参拝記・後編

2020-06-16 21:21:00 | 群馬県・東毛

朝、ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て、山上城跡公園の紫陽花の道を歩いてきました

やば、小学生の黄色い帽子が2つやって来ます

ちょっと、待機です。

ひめちゃんは、子どもが苦手です。

紫陽花の道の出口には、まだ例の看板がありました

桐生市の公園では、県外ナンバーの車は、まだお断りです

 

 

おじさんとタバサねーちゃんは、もう太鼓門をくぐってます。

早く行こうよ

とりあえず、直進で開山堂に行きます。

開山道の前に、牛石があります。

開山栄朝禅師の牛がここで倒れたので、ここに寺を建てたのです。

倒れた牛は石になったのですね

 

逆竹もあります。

栄朝禅師は竹の杖を使っていたのです

水戸黄門様も同じ竹の杖を使っていたのです。

 

開山堂の前に、不思議なおふた方です

お地蔵様のようでもありますけど

 

なんともクラシックな開山堂です

これぞ古刹です

でも、中はどなたもいませんし、ちょっと荒れている感じです

 

開山堂の後ろは、歴代住職の墓地です。

お腹に文字が刻まれたお地蔵様がいます

文字は、はっきりとはわかりません。

僧正とか大和とかの文字が見えます。

 

来た道を戻ります。

本堂にもちょっと寄りましょう。

今日は閉まってます。

今、御利益のあるのは、ぼけ封じ観音なのでしょうか?

 

徳川氏累代の墓にも、ちょっと寄って行きましょう。

こんにちは、お久しぶりです。

いくつかの宝塔と多層塔があります。

メインは、説明板のある宝塔です。

説明板です。

国指定の重要文化財のこの塔の底面に、「建治二年(1276)に、三代住職院豪が建立した」という銘文があったのですね

建立者の院豪は宋に渡って勉学してきた高僧で、正嘉二年(1258)長楽寺三世となり、以来二十四年間住職であった。弘安四年(1281)長楽寺で没し、その後「円明仏演禅師」と朝廷よりおくり名をされた高僧である。

弘安四年(1281)長楽寺で亡くなったんですか

行仙上人がなくなったのは、弘安元年です。

院豪禅師の住職時代は、行仙上人が長楽寺に通っていた時期と、重なりそうです

意外なところで、行仙上人の記憶に出会えました

さらに、『尾島町誌通史編』上巻(平成5年)で、この基礎底面に刻まれていた文字の写真を発見しました。

感激

直接ではないけれど、行仙上人が生きた時代の記憶です

 

雨も上がりました。

さて、帰りましょう。

アタチは前向きに降りられます

 

太鼓門の向こうも、長楽寺です。

竜宮につながっているという蓮池は、どうなったかな?

水がなくなっているという話があったけど

 

まあ、みんなが待っているから帰りましょう

あちらの散策は、又の機会にしましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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