黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの新田荘遺跡・円福寺参拝記(前編)

2020-06-26 22:30:19 | 群馬県・東毛

ひめちゃんちに、蓮の花が咲きました

大きなビニール鉢で育てられています。

栽培担当者ではないので、詳細は分かりませんけど、去年は咲かなかったと思います。

 

朝も夕方も、ひめちゃんは小次郎パパ小次郎パパとお散歩です、

ごく普通に、同じ所に首を突っ込んでいます

その日はもう少し先のようです

 

 

脇屋の赤城神社をあとに、ついでだから久しぶりに円福寺に寄ってみよう

記憶を辿りながら、到着です

「中世の武士」をイメージさせるような山門です。

「東上州霊場第十八番 千手観音」ともあります。

観音霊場でもあるのですね

山門脇に説明板があります。

円福寺(えんぷくじ)は正式名称を御室山金剛院円福寺といいます。真言宗の寺で新田本宗家第四代の新田政義(まさよし)が開基したと伝えられ、政義が京都御室の仁和寺の阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が開山(初代住職)といわれます。

『吾妻鑑』によれば、政義は寛元2年(1244)京都大番役として在京中、幕府の許可を得ず突然出家したため幕府の咎(とが)目を受けて所領を没収され、由良郷別所村に蟄居(ちっきょ)することになりました。

 

山門をくぐると、向こうが茶臼山古墳です。

おじさんとタバサねーちゃんは、さっさと左に行ってしまいます

琵琶(びわ)を奏でる弁天様です

赤い社が、本来の弁天堂なのでしょう。

かつては廻りに、いっぱい水があったのでしょう。

 

本堂に向かいます。

本堂は新しいですね。

屋根の新田の大中黒の紋が目立ちます。

でも、本堂は堅く閉ざされています

古墳の方に行きましょう

 

あれ、お地蔵様、どうして鉄格子の中なのですか?

 

墳丘上の建物に向かいます。

超クラシックな階段です

アタチもがんばります

門の向こうには、真っ赤な建物です

千手観音とあります。

観音堂です

あれ、今までここが十二所神社だと思ってました

山門脇に、ここは千手観音の霊場だとありました。

そうだったのですか

ここも堅く閉ざされて、千手観音のお姿は望めませんでした

かつては、霊場巡りのたくさんの人々が訪れた事でしょう

 

右奥に見える素朴な建物が十二所神社のようです

ここも堅く閉ざされていました。

太田市HPによると、

十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部墳頂近くにあります。創建された時代は不明ですが、中に16体の神像が安置されています

そのうち5体には正元元年(1259)の銘があり、円福寺の初代住職阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が、現世安穏と極楽往生を祈願して、同年10月5日に造像したことが刻まれています。

 

あの16体の神像はここにあるのですか

神社の雰囲気ではありませんね

鳥居は何処にあるのでしょう?

 

(つづく)

コメント
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