ひめちゃんちに、蓮の花が咲きました
大きなビニール鉢で育てられています。
栽培担当者ではないので、詳細は分かりませんけど、去年は咲かなかったと思います。
朝も夕方も、ひめちゃんは小次郎パパ小次郎パパとお散歩です、
ごく普通に、同じ所に首を突っ込んでいます
その日はもう少し先のようです
脇屋の赤城神社をあとに、ついでだから久しぶりに円福寺に寄ってみよう
記憶を辿りながら、到着です
「中世の武士」をイメージさせるような山門です。
「東上州霊場第十八番 千手観音」ともあります。
観音霊場でもあるのですね
山門脇に説明板があります。
円福寺(えんぷくじ)は正式名称を御室山金剛院円福寺といいます。真言宗の寺で新田本宗家第四代の新田政義(まさよし)が開基したと伝えられ、政義が京都御室の仁和寺の阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が開山(初代住職)といわれます。
『吾妻鑑』によれば、政義は寛元2年(1244)京都大番役として在京中、幕府の許可を得ず突然出家したため幕府の咎(とが)目を受けて所領を没収され、由良郷別所村に蟄居(ちっきょ)することになりました。
山門をくぐると、向こうが茶臼山古墳です。
おじさんとタバサねーちゃんは、さっさと左に行ってしまいます
琵琶(びわ)を奏でる弁天様です
赤い社が、本来の弁天堂なのでしょう。
かつては廻りに、いっぱい水があったのでしょう。
本堂に向かいます。
本堂は新しいですね。
屋根の新田の大中黒の紋が目立ちます。
でも、本堂は堅く閉ざされています
古墳の方に行きましょう
あれ、お地蔵様、どうして鉄格子の中なのですか?
墳丘上の建物に向かいます。
超クラシックな階段です
アタチもがんばります
門の向こうには、真っ赤な建物です
千手観音とあります。
観音堂です
あれ、今までここが十二所神社だと思ってました
山門脇に、ここは千手観音の霊場だとありました。
そうだったのですか
ここも堅く閉ざされて、千手観音のお姿は望めませんでした
かつては、霊場巡りのたくさんの人々が訪れた事でしょう
右奥に見える素朴な建物が十二所神社のようです
ここも堅く閉ざされていました。
太田市HPによると、
十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、円福寺本堂の西、茶臼山古墳の後円部墳頂近くにあります。創建された時代は不明ですが、中に16体の神像が安置されています
そのうち5体には正元元年(1259)の銘があり、円福寺の初代住職阿闍梨静毫(あじゃりじょうごう)が、現世安穏と極楽往生を祈願して、同年10月5日に造像したことが刻まれています。
あの16体の神像はここにあるのですか
神社の雰囲気ではありませんね
鳥居は何処にあるのでしょう?
(つづく)