黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

白柴タバサちゃんの大猿川紀行 2(やっとたどりついた宇通遺跡)

2020-06-10 21:31:55 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、何故か今朝は最短距離の北回りコースで、さっさと用をたして帰りました

もちろん、お土産は持ち帰りです

晴れて暑い一日でした

 

ひめちゃんちにも、ヘメロカリスが咲き始めています

ユリ咲きも咲きました

明るく元気そうだけど、どこかはかない感じの花です。

 

 

ナビに従って、大猿橋を渡ります。

少し行くと左に、「旭の滝入り口」の小さな表示があります。

なんだ、こっちだったんだ

また、今度来たら降りてみましょう

 

心細く山道を進みます。

でも、大猿橋の東より西の方が、道がきれいです。

まもなく「目的地に到着しました」の声

え、何もありません

山側に道のようなものがあります。

せっかちおじさんは、タバサねーちゃんを連れて、登って行ってしまいます

後を追いますけど、何もありません

確か説明板があるはずだけど

かなり行っても何もありません

しかたなく道に戻ります。

 

自宅をナビに入れて帰ります

ナビは大猿橋の方に戻るのではなく、西回りの道を示しました

まあ、ナビの指示通りに西に進みます。

 

少し進むと、ありました

宇通遺跡(うつういせき)の説明板です

昭和40年に起きた山火事で、基礎建物群が見つかったんですね

間口5間(13.8m)で奥行き4間(11.6m)の大堂や、八角円堂、仏堂と思われる方3間堂など16棟の礎石建ち建物跡とともに50軒を越す縦穴住居群が確認されているんですね

出土品もいっぱいあるのですね

 

まとめとして、

これらの発掘調査による所見や出土物から、本遺跡は9世紀後半から11世紀後半にかけて形成された平安時代後期の山岳仏教寺院跡であり、礎石建物は10世紀中に順次建てられ、11世紀には機能を喪失していたと考えられる。

とあります。

 

三夜沢赤城神社はここにあったのではという説を、どこかで見たような気がするんですけど

 

また、史跡探訪です

 

靴を履いていないアタチは、切り立った笹に気を付けて行きます。

さっきの道と大差ないじゃん

 

あれ、何かある

わあ、作業小屋だ

史跡・宇通遺跡のポールと古いスタンプラリーのボックスがあります

粕川村の時代には、スタンプラリーの会場にして、こどもたちにその存在を知ってもらおうとしていたのです

 

古代のパワースポット、確認できてよかったね

さあ、早く帰って、お昼にしましょう

 

偶然が重なって、何かに導かれるように、宇通遺跡にたどり着きました

この山岳仏教寺院と山上(山神)、絡んだ糸がありそうです

 

 

ナビに従って自宅を目指します。

あれ、第2南面(空っ風街道)に突き当たります。

龍願寺の案内があります

冬に訪問て御朱印を頂きました。

「旭の滝」の案内もあります

左折して帰ります。

この辺りは、かつての別荘ブームの時に、いろいろ整備されたのでしょうか?

別荘もたくさんあります。

でも、あまり活用されていないようです。

 

静かに眠る山岳寺院跡には、その方がいいのかもしれませんけど

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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