黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

『念仏往生伝』波志江の老女の面影を求めて(波志江沼)

2020-08-16 16:37:57 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。

赤城山は、最近になくいい雰囲気です

かなり早めにお散歩に出ましたけど、ひめちゃんはヘトヘトです

ヘトヘトひめちゃんの向こうに、かすかに榛名山が見えます。

早く帰って、朝ご飯にしましょう

 

 

 

上野国山上にいたという行仙上人の著『念仏往生伝』第27話に、「上野国淵名庄波志江市小中次太郎母」があります。

 

第廿七 上野国淵名庄波志江市小中次太郎母

年八十二。建長六年(甲寅)春往生。兼十七日。高声念仏不懈。最後臨終。端座合掌。金色光明。遙自四方。徹葦墻二重而照。又人々見紫雲瑞 。莫不稱美。

(『日本思想体系7 往生伝 法華記』 岩波書店1974 より)

 

淵名庄波志江(ふちなのしょうはしえ)とは、現在伊勢崎市です。

ヒロイン(?)波志江市小中次太郎母の面影を求めて、波志江に行ってみよう

とりあえず、波志江沼に行ってみます。

付近は何度も通っていますけど、寄るのは初めてです。

下沼の南駐車場から、散策開始です。

波志江沼は上沼と下沼があって、上沼の上(北)は赤堀しょうぶ園です。

赤堀しょうぶ園は女堀の跡と言われています。

藤姓足利氏が赤城南麓に用水を引こうとして失敗したと言われていますね。

でもこうみると、一応は水源を考えて計画されたのですね。

 

沼のほとりに、「波志江沼の歴史」があります。

その昔、下沼の東は小高い松山で、その山の西側一帯は谷地でした。滾々(こんこん)と湧き出て尽きる事を知らない泉が七ヵ所あり、これをせき止め沼を作ったのが波志江沼です。

波志江沼が、いつごろ築造されたかは不明ですが、波志江という地名の歴史は古く、神奈川県立金沢文庫に所蔵される『念仏往生伝』の中に、「上野国淵名荘波志江ノ市小中次太郎の母、年八十二歳、建長六年(1254)に往生、云々」という記述があり、その頃、この地域に市が立っていたことが知られます。沼は、淵名荘の支配者が築造したとも考えられます。

 

わー、「波志江ノ市小中次太郎の母」だって

まさか、彼女の名を目にするとは思ってませんでした。

彼女が生きた時代は約770年前です。

でも、彼女が生きた土地の面影を求めて、沼畔を散策しましょう

 

下沼に架かるあの橋を渡ってみましょう

向こうに見える山は赤城山です。

あの山の麓・山上に、行仙上人がいたのです

 

橋の上からは、赤城山がきれいに見えます

 

反対側(南側)には、さっきの説明板だと、弁天島です。

現在の島は、公園化に伴って、再構築されたとありました。

わー、何かいる

烏ではなさそうです。

祠もありそうです。

 

渡りきってから橋の名前を確認です。

「はしえふれあいはし」です。

 

今回は北半分を歩きます。

 

沼の畔をあるくと、広場があって、個性的な遊具がいろいろあります。

これはなんとなく童話の世界というイメージです。

こんな表示もあります。

気を付けましょう。

 

おや、シラサギかな?

沼の北方は蓮とか葦の類いが群生しています。

 

西側に回り込みます。

歩いています

今は水位が低いのですね。

人間だけでなく、野鳥にとっても、憩いの場であるようです。

 

そのまま沼畔を下ります。

 

おや、石宮様がいっぱいです

薬師如来様もあります。

失礼します。

かなり古いお方のようで、お姿がわかりません

でも、『念仏往生伝』波志江の老女に思いを馳せながら、合掌

 

 

来て良かった波志江沼でした

おや、こんな表示も

ということは、犬の散歩OKですね

そのうち、タバサちゃんも一緒に、又来ましょう

 

 

コメント
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