ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、お散歩してきました。
今朝は、田んぼを守るバットマンに初めて会いました。
ひめちゃんと獅子丸は、全く関心なしです
ひめちゃんの足下のマンホールの蓋、「やまかみ」とあります。
バットマン、関係ないよ
今朝も元気にお散歩できました
おうちに帰ると、ジャーマンアイリスが咲き始めています
二季咲きの品種だったんですね
雑草に負けずに咲いてくれてありがとう
愛宕神社・金蔵寺を過ぎて、波志江の信号を右折して、全東院を目指します。
少し行くと、左側に史跡の説明板があります。
急遽、路上駐車です。
新宿(あらじゅく)の変形板碑です。
本来の秩父産の緑泥片岩ではなく、安山岩を似せて作ったのです。
説明板の後ろに回ります。
足を踏み入れると、たくさんの石造物です。
道路の反対側には墓地もあるし、もしかしたらお寺があったかも。
板碑の横の方は、どなたでしょう?
朱の残る不動明王もおいでです。
天保4年(1833)の建立です。
約200年も頑張ってきたのです。
おつかれさま
この方はどなたでしょう?
石橋供養とあります。
りっぱな供養塔が立つのだから、大きな川に架かっていた橋が架け替えられたのでしょう。
ちょっと今の地図では、川はわかりません
後ろに疱瘡神(ほうそうがみ)が見えます。
疱瘡神は、疱瘡(天然痘)を疑神化した神で、本来は悪神です。
でも時には疱瘡は人間の悪い要素を体外に出す通過儀礼とし、疱瘡神はそれを助ける神とする信仰もあった(ウィキペディア)といいます。
祀ることで力をもらうのです。
疱瘡神を検索していると、『椿説弓張月』に、八丈島に流された源為朝が、八丈島から疱瘡神を追い出した話があることを知りました
そうすると、為朝大明神は、疱瘡を追い出してくれるのです
ありました、ありました、ひめちゃんの住む新里村にも
新里の南部・小林の大日堂といわれる所にありました。
訪問は去年の春です。
その時は、なぜここに、為朝大明神があるのかわかりませんでした。
疱瘡を撃退して欲しいという願いのこもった、為朝大明神だったのです