ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
岩神沼で、獅子くん、いつものポーズです。
沼から見た、今朝の赤城山です。
少し霞んでいるけど、逆さ赤城もでています。
沼の右上に田んぼがあります。
沼より高い所にある田んぼです
「指定種子採取ほ」の掲示があります。
ここは山上の瀬戸です。
どうして瀬戸かな?
瀬戸物の破片がいっぱい出たという瀬戸が、旧銅山街道沿いにはありますけど。
高縄の摩崖仏を横目に、奥の沼を目指します。
かわいい子猫とママがいます
あ、獅子くんはハンター本能満開です
獅子くん、ママ猫は怖いよ
ママ猫は子猫を逃して、自分も去りました。
ハンター本能満足の獅子くんです
上野国山上に住んでいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)が編纂したという『念仏往生伝』には、赤堀で念仏往生を遂げた人が2人でてきます。
第廿八 同国赤堀紀内男
盛年之比。以博奕成業。而建長元年閏十二月或時戌剋許。僧二人出来告云。汝近日可生極楽。早遂出家也。件僧経一夜。至其朝不知行方。其後出家。俄痢病更発。兼以十余日 。前両僧又来。毎夜教訓之至。同月廿二日。所住西方墻等悉破去。遙向西方天逝去了。
第廿九 同国同所懸入道
自在俗之時。常高声念仏。至老年遂以出家。至建長三年五月廿四日。仏来告云。来六月二日辰時可往生云々。仍廿五日樹市中。告諸人云。来月二日可往生 。諸人来結縁云々。人々不信之。或人至其期。相尋之処。至其門辺。聞有火急之声。即是彼最後念仏也。看病云。只今沐浴潔斎。着紙衣袈裟。端座向西。火急念仏。五十余遍。即臨終了。智阿弥陀□止見之語之。
(『日本思想体系 7 往生伝・法華験記』1974岩波書店)
前者は、若い頃博打打ちだったけれど、念仏往生した人の話です。
後者は、ずーと信心深く、老年になって出家、仏のお告げを受けて、市中に立って、「私は来月二日に往生します。みなさん来て、結縁してください。」と云って、往生していった人です。
毒嶋城からの帰り、磯沼に出ました。
赤堀の念仏往生譚(ねんぶつおうじょうたん)が何処の話かわかりませんけど、毒嶋の近くということで、ちょっと散策です
沼の周りを、現在地からほぼ赤い線で左回りに散策です。
網が張ってあります。
鯉か何かいるのでしょうか?
振り向いて堤の上には、弁財天です。
その向こうには、小さな円墳が、ポツンと寂しそうです
隣は、天幕城趾のあかぼり蓮園です。
堀切跡が蓮園になってます。
沼の畔には管理用のボートでしょうか?
アオサギが1羽舞い降りてきましたけど、シャッターチャンスを逃してしまいました
でも、よく見るといます
ボートの向こうに水面に影を映しています
出口です。
桜の季節には、網も気にならない花の名所なのでしょう。
ここから駐車場まで道路を歩きます。
駐車場に不思議な建造物があります。
周辺の景色に馴染むように工夫されたデザインのトイレです。
近くにある十二所古墳、まだ行った事がありません。
行ってみましょう
駐車スペースが見つからなくて、ちょっとうろうろ。
橋の名は、十二所橋です。
大正用水にかかる十二所橋です。
橋のたもとにちょっと駐車して、いざ古墳へ。
前方後円墳だったんですか
未発掘なんですね。
赤城山がよく見えます
天幕城もよく見えます
長い間歴史を見つめてきたんですね。
おつかれさま
元博徒で念仏往生した人は、たぶんもっと街中に住んでましたね
市中に立って往生を触れた人も、市中にいたはずです
赤堀には、市場町の地名があります
今度はそちらを歩いてみましょう