黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

布須島尼の面影を求めて(お久しぶりの毒島城)

2020-08-21 17:01:12 | 群馬県・中毛

獅子丸は時折、「どうしても東の牧場の方に行くんだ」と、譲らないことがあります。

今朝も、しかりでした。

獅子丸に牽かれて、ヤギさんに逢いに行きました。

おはよう

ママも一緒です。

獅子丸は、おはようのご挨拶です

ひめちゃんは、全く反応しません。

鏑木川にかかる山神橋をわたると、ヤギパパがいます

今朝はいやに道ばたにいます

獅子丸は大興奮です

バイバイ、今日は直進して帰るよ

サマンサ坂を上って帰ります

おや、田んぼにカイトが

その向こうには、昔ながらのキラキラテープが出現です。

今朝も、赤城山はその姿をはっきりとは現していません。

暑くならないうちに帰ろうね

 

 

上野国山上の行仙上人が編集したと言われる『念仏往生伝』第三十話に、「同所布須島尼」があります。

同所とは、前からの続きで、赤堀(旧佐波郡赤堀村、現伊勢崎市赤堀町)と思われます。

だいいち、「布須島」って、どう読むんだろう?

ふとひらめきました。

「ぶすじまだ

赤堀の毒島、毒嶋城、そうだ久しぶりに行ってみよう

グーグル検索だと、山上から8km、車で13分です。

 

記憶を辿りながら、細い道を通ってやっと到着です。

あれ、説明板が新しくなってる

以前来た時は、かなり薄れた文字でした。

ここには大蛇伝説があったのですね。

三浦河内守謙庭が毒島城を攻めた時、この沼には大蛇が住んでおり、なかなか攻められずにいた。そこで三浦河内守謙庭は七つの石臼で毒を作り沼に投げ入れたため、大蛇はいたたまれず西に脱出し、城はたちまち落ちたという。

 

『上野国郡村誌』の佐位郡今井村史跡に、毒島城墟があります。

村ノ西北ニアリ、東西四町南北二町五拾間、四面高岡ニシテ中央ニ凹處七八段アリ、古ハ其周回沼ナリシト云、城主不詳、土俗ノ口碑ニ在昔此城寇ノ為攻ラル、池深クシテ抜ケズ、毒ヲ池水ニ投シテ之ヲ滅ス、因テ毒嶋ノ名アリ、其毒ヲ搗(つき)シ石臼今西北ノ松林中ニアリト云フ

少し違う話のようです。

 

いずれにせよ、石臼で突いて毒を作ったのです。

トリカブトの根を石臼で突いたのかな?

 

中心の小高い本郭に上ります。

腰郭のあとは、農地になってます。

道が舗装されています

本郭も農地として利用されているようです。

前は、西に下りる道があった様な気がします。

 

まあ、無理をせずに退却しましょう

見晴らしの良い時代もあったのでしょう。

沼の跡は田んぼになっています。

 

説明板の所から、西を望みます。

あそこは、あの家形埴輪がでた赤堀茶臼山古墳です

帆立貝式古墳の後円部です。

 

西側を廻って帰ります。

やっぱり道があります

農業用かな?

左手の森の中(城の北西)に、毒を突いた石臼があるのかな?

 

突き当たりを右折して帰ります。

毒嶋城を裏から見て帰ります

沼の中に浮かんだ城ですね

見ようによっては、穏やかな風景にもみえます。

この付近に、他に「ぶすじま」の地名はないようです

このあたりに、「布須島尼」がいたかもしれません。

鎌倉時代中期に念仏往生を遂げた「布須島尼」と毒嶋城、不可解なコラボです

 

 

 

コメント
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