ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼を過ぎて高縄の摩崖仏の裏を通って帰りました。
石の向こう、覆い屋の下が、高縄の摩崖仏です。
今朝は少し早めの出発だったので、まだヘトヘトではありません
あれ、季節外れの藤が咲いています
ここにあるたくさんの石造物も、そのうちにゆっくりご対面したいと思っているのですけど。
このそばに先日までキツネノカミソリが咲いていました。
かなりの悪条件の中、頑張って咲いていました
今朝は跡形もありません
桑の大木をくぐって帰ります。
むこうの田んぼは、葛塚城堀切の続きです。
高台に登って帰ります。
雀除けが目立ってきました
シイの木公園に行くときに、気になった神社にも寄って行きます。
駐車場がはっきり分かりませんでしたけど、とりあえず神社の後ろの空き地に駐車です。
脇道から入っていくと、まず目に付いたのが「波志江の屋台」の説明板です。
この地域は台地上にあり、水利に恵まれない土地柄で、壮麗な雨乞祭礼を子なったので「雨乞屋台」の別名がある。
ええ、ここは雨乞いをしなければならないほど、水に困った土地ですか
だって、さほど離れていない波志江沼のあたりは、滾々と湧き出て尽きる事を知らない七つの泉があったというのに
鳥居から入り直しです。
村社愛宕神社(あたごじんじゃ)とあります。
右の狛犬です。
左の狛犬です。
ふっくらめの穏やかな狛犬です
神楽殿が見えます。
すっきりときれいな拝殿です
開け放たれているのがいいですね
参拝の作法が、ちゃんと指示されています。
2礼2拍1礼で、参拝です。
拝殿脇に、愛宕神社社殿造営祈念碑があります。
「大正2年秋に金蔵寺と土地交換して移転した」とあります。
そういえば、『上野国郡村誌』佐位郡波志江邨には、「村ノ西方ニアリ」とあります。
でも、木々はうっそうとして鎮守の森の雰囲気です。
その後ろの宝塔には、注連縄があります。
古い社額も保存されています。
宝塔には何か刻んでありそうですけど、わかりません。
宝塔は、中世の石造物です。
平安時代後期からみられ、鎌倉時代中期から後期にかけて急速に普及したということです。
あれ、もしかしたら?
もしかするかも?
この日一番の、『念仏往生伝』上野国淵名庄波志江市小中次太郎母の面影でした