黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

ひめちゃんと獅子丸の晩秋の蕨沢川源流探訪

2020-11-17 15:33:33 | 群馬県・旧勢多郡

昨夜は、獅子丸が落ち着きませんでした

発情中のミーナちゃんが恋しくて、大騒ぎです

あまりのうるささに、おとうさんに一喝されて、明け方まで静かにしていました。

獅子くん、おとうさん子なんだね

夜が明けるとまた大騒ぎ

ミーナちゃんに会わないように気をつけながら、ひめちゃんとのお散歩になりました

 

 

堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

獅子くんちょっと不満で、いつものポーズはありません。

今朝は、カモの姿もありません。

逆さ赤城がきれいですけど、ちょっと寂しい

 

高縄の摩崖仏を横目に、蕨沢川源流の沼に行きます。

道標があるので、かつては幹線道路だったのです。

今時は珍しい真っ赤に紅葉する紅葉があります。

ここを直進すると、関の摩崖仏です。

 

左に折れて、蕨沢川源流の沼に行きます。

まず東の新沼(しんぬま)です。

サギさんいるかな?

残念ながら、カモが数羽居ただけでした。

黄色い銀杏が、静かに水面に影を落としています

 

いつもはここから帰路につくのですけど、今朝は西の童沢(どうざわ)沼も確認です。

 

沼の反対側に、一級河川蕨沢川の表示です。

蕨沢川は、ここから流れ出しているのです。

こちらもサギさんの姿はなく、カモさんが数羽です。

晩秋の山里の風景です

赤城山とのコラボ、いいですね

 

振り返ると、流れ出したばかりの蕨沢川です。

最初はかなり蛇行しています。

ひめちゃんと獅子丸は、右に見える森の向こうに回り込みます。

 

蕨沢川最初の橋、久留美田(くるみだ)橋です。

この橋を渡って川沿いに帰ります。

 

橋を渡ってすぐ、草いっぱいの時には見付けられない、隠れた石宮があります。

おや、今朝は猫がいます。

足場は悪いし、ハンター獅子丸が気づくとやっかいです

でも、猫はじっと気を消して動きません。

獅子丸は気がつきません。

そーっと彼女(?)は、姿を消しました

 

一番右は秋葉山、真ん中は愛宕山、左は確認できていませんでした。

天神様だと、蕨沢川の元の名・天神川とおおいに関係がありそうなんですけど

 

足場に気を付けながら、左の石宮を確認です。

水神宮でした

もう少しジロジロ見たいけれど、犬連れのこと、あまり無理はできません。

朱が残ってます。

蕨沢川(天神川)は、氾濫したことがあるのでしょう。

川が暴れないようにと、祈りのこもったお宮なのです

 

よい子で付き合ったから、ご褒美ちょうだいね

 

恋する獅子くん、恋しいミーナちゃんを忘れて、機嫌良くお散歩できました

昇る朝日の中を、ひめちゃんと帰ります

 

 

 

 

 

 

 

 

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白柴タバサちゃんの桃井塚探訪記

2020-11-15 20:00:41 | 群馬県・旧勢多郡

タバサねーちゃんの古い画像を探していたら、2008年の幼い画像があります。

ということは、タバサねーちゃんは、12歳になったのです。

生まれた年の夏、2ヶ月くらいのタバサねーちゃんです。

タバサの一緒に生まれたきょうだいは、小太郎とねねです。

ねねは不慮の事故で逝ってしまいました

弟か妹を是非ほしいということで、ひめちゃんたちが生まれてきました。

小太郎、元気かな

 

 

タバサねーちゃんは、先日、久々にお出掛けしました

村内の桃井塚(ももいづか)です。

昔行った時は、草だらけだったと思いますけど、草刈りしてあるとの情報があったのです。

久しぶりのお出掛けです

確かに草刈りしてあります

 

むむ、見たことないものがある

あったっけ?

裏にいっぱい文字があります

桃井塚

桃井次郎存命ノ時家臣遺言我何国討死スルトモ遺骨ハ北山善昌之洞可納云 此故山下葬石塔有

平成元年 文化財保護協会新川支部建立

 

文化財保護協会って?

出典は、善昌寺の応仁記ですって

桃井次郎が生前に家臣に遺言したんですね。

「討ち死にしたら遺骨は北山の善昌寺の洞穴に納めよ。だから山下に葬むり石塔があるのだ。」

 

辞世の歌かな?

桃の井の花と水とを北山の寺に手向けて無為に至らん

 

説明板もあります。

「桃井次郎尚常が、新田義貞の首を持って、新川善昌寺の船田入道善昌に渡し、ここで腹を切った」ということですね

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんには、理解できない話です。

でも、新里の人は普通に、「新田義貞は善昌寺にいかってんだ(埋葬されているんだ)」と言います。

 

これが、その腹切り石ですって

古墳の石に見えます

あたちには、つまらないわ

 

灯籠があります

桃井宮?

桐生市HPによると「文政7年(1824)、二ノ宮村(前橋市二宮町)小松屋庸助」と刻まれているとあります。

お宮があったと言うことになります。

あたち、興味湧かないわ

 

奥に墓石があります。

ここは、本来は古墳でその後、墓地になったのかも知れません。

石は再利用して。

 

この桃井塚については、『上野国志』に記述がありません

善昌寺の「応仁記」についても、記述がありません

 

世良田の毛呂権蔵(もろごんぞう)は、上野の史跡や神社仏閣を訪ね歩いて、安永3年(1774)に、『上野国志』を著しました。

山上の常広寺にもやって来て、竜骨と対面し「竜骨伝記」を写していきました

だから、焼けてしまっても復元ができたのです

 

善昌寺については、常広寺よりずっと少ない量の記録です。

そして、

新川村にあり。天台宗長楽寺の末寺なり。太平山妙珠院と云。俗に義貞の家老船田入道善昌が建つと云。明拠なし。~(中略)~寺僧の云へるは船田入道、此処に隠居せり、即ここに死去せしと。然れども太平記に船田入道は、建武二年正月十六日、京都の戦に細川卿律師定禅が為に討る。此処に依って見れば無稽の語なり。

「船田善昌が隠居していたはずはない。」と言います。

 

実は、毛呂権蔵は世良田の、船田善昌館跡に住んでいたのです

いまでも、毛呂邸には、船田善昌館跡のポールが立ってます

 

新田ロマンかな、桃井ロマンかな?

 

タバちゃん、またお出掛けしようね

 

 

 

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獅子丸な日々11(実家に帰って1年半です)

2020-11-14 14:57:37 | 獅子丸な日々

ひめちゃんちでは、今柿が食べ頃です。

でももうあとは、ちょっと高い所すぎて、人間には届きません。

あとは鳥さんたちのご馳走かな?

 

 

もうじき獅子丸が実家に帰って、1年半になります。

 

小次郎パパが、高齢とは言えまだ一応リーダーのようです。

というか、人間が立てています。

獅子丸も直接対決は避けています。

微妙な父子関係の他は、みんなとうまくやっています

元気いっぱいの最近の画像をまとめてみました。

 

時には、鏑木川の支流・沢田川を渡って、武井沼まで行きます。

瞳のきれいな獅子くんです

 

 

蕨沢川そばの豚舎で、猫軍団に見つめられて

ハンターに変身できない獅子くんです。

猫軍団と別れた途端に、ハンターに変身です

桐生市マスコットキャラクター・キノピーと。

あんまり、似合わないかな?

 

 

立ち上がる動作が得意な獅子くんです

 

 

堀之内を北に出て、岩神沼によく行きます。

最近は鳥がいることは少ないです。

 

 

獅子くんは、お散歩に出る時、ぬいぐるみを持っていこうとします。

この行動は獅子くんだけします

どうしてかわかりません。

 

 

晩秋の風景、ワラロールと柴犬と赤城山です

 

 

時には西に出て、タバサねーちゃんと、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

満面の笑みの獅子くんとタバサねーちゃんです

 

 

いつもは、ひめちゃんと堀之内を北に出ます。

 

 

時々、東の牧場の方にも行きます。

ここにはヤギの親子も暮らしています。

ヤギさん、おはよう

ちょっとだけ、ご挨拶

ヤギパパだけ、鎖でつながれています。

 

帰り道、サマンサ坂で、ひめちゃんと二人仲良く首を突っ込んでいます。

でも、用心用心

いつかは、リードを引っ張ったら、彼の口には鳥のシッポがわずかにありました

取り上げることは不可能でした

鳥を丸呑みする子です

 

帰り道、旧長安寺跡を通ります。

向こうに、「ワラロールのその後」が積んであります。

ワラロールをビニールで覆って保存するようです。

ワラロールを静かに見つめる獅子くんです。

ここは、葛塚城の鬼門です。

 

獅子丸は、今日も元気に葛塚村を歩きます

 

 

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蜜柑の実る勝山神社

2020-11-12 20:42:10 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、小次郎パパと諏訪神社の向こうへ行こうとしました。

あれえ、怖い

向こうから、黄色い帽子の集団がやって来たのです。

寒くなってお散歩時間が少し遅くなったので、遭遇確率が上がったようです

 

急遽、天神田(字天神の田んぼ)の方に避難です。

 

パパの後ろには、ワラロールです。

牛さんたちの冬のご飯です

今では、サイロを必要としません。

ワラロールが出現した最初の日は、ひめちゃんは「不審物じゃあ」と吠えました。

まもなく反応しなくなりました。

 

もう大丈夫かな?

ちょっと心配

ひめちゃんは、本当に子供が苦手です

 

今日だけのワラロールの世界です。

少し南に下ると、こちらは、これからワラロールになるようです。

飼料用米の表示があります。

何か交付金が出るようです。

榛名山が見えます

 

もう大丈夫、ひめちゃんも落ち着きました

 

天神田から、都合でケンくんちにのそばを通りました。

ケンくん、ひめちゃんに気づいて、出てきてくれました

ごめんね

パパが一緒です。

パパは年甲斐もなく、ケンくんに猛烈にライバル意識を持ってます。

ひめちゃんも、まだ恋の季節ではないのでしょう。

見つめ合って、別れました

 

 

 

11月5日、例幣使街道の右赤城の謎が解けて、忠治茶屋で焼きまんじゅうを買って帰ります。

忠治茶屋の少し東に、広瀬川を渡って北に行く道があります。

境町の武士橋ではなく、豊東橋で広瀬川を渡ります。

橋のたもとから赤城山がよく見えます

 

橋を渡りきって間もなく、神社が出現します。

駐車場の脇には、何本もの蜜柑(みかん)の木があります

こんなに蜜柑の木がある神社は初めてです

 

正面の鳥居の方から参拝です

村社勝山神社とあります。

ここは伊勢崎市境保泉(ほずみ)町です。

二の鳥居の額は、勝山大明神です。

銅の鳥居かな?

 

とにかく、拝殿で参拝です。

うわあ、龍がいます

生き生きとした、今にも躍り出てきそうな龍です

 

ちょっと中の方も失礼します。

わあ、天井絵です

後で検索すると、島村の金井烏洲(かないうじゅう)の作品だということです。

隙間からカメラにやっと映ってくれた絵なので、全体はわかりませんけど、鳥の絵が多いような気がします

金井烏洲は、前小屋天神で行われた書画会で、渡辺崋山と会いましたね。

 

拝殿の右にも、龍がいます

中を失礼します。

何様かわかりません。

 

社殿の後ろです。

 

天手長男神社って?

うーん、何様かな?

 

拝殿の左側にも、龍です

本殿は、まったくうかがえません

 

龍の隣に、不思議なものがあります。

江戸時代後期の名工・弥勒寺音次郎が嘉永五年に収めたと伝えられている。

 

木で組み立てられた灯籠なのですね

 

みやま文庫『佐波伊勢崎史帖』に、

常陸笠間笠間稲荷神社は、彫刻の妙をもって国指定重要文化財になっている。それはあまりに本殿に施された彫刻が美しいからであるが、その彫刻をしたのが弥勒寺音八である。名を幸孝といい、音八と称し、南松軒梅雪と号した。父音二郎は宮大工としていくつものりっぱな仕事をやって有名であり、また彫刻の名手でもあった。

父の音次郞さんも、彫刻の名手だったんですね。

龍はみんな、音次郞作かな?

 

現在の灯籠は、石です。

 

鳥居の傍らに、古い灯籠が並んでいます。

木組みの灯籠が乗りそうなのもあります。

古い灯籠の向こうに、蜜柑がたくさんなってます

何本もの木に、たわわに実ってました

もしかしたら正月の初詣で参拝者に振る舞うのかもしれませんね

 

 

 

 

 

 

 

 

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俳諧冥利の生涯・栗庵似鳩の墓

2020-11-11 21:36:54 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、北の方にお散歩です。

今朝の赤城山は吹雪いているかな?

獅子丸がどうしても岩神沼の方に行くと進路を譲りません。

実はミーナちゃんが派恋の季節まっただ中で、ミーナちゃんの足跡を辿りたいのです。

 

沼の方に向かいます。

あれえ、小学生の黄色い帽子の集団だ

急いで沼の方に待避です。

行っちゃって良かったけど、まだ油断大敵だよね。

ひめちゃんは、まだ用心しています。

かかっていた雲が風に流されて、赤城山はその姿を現しました。

今朝はカモさんの姿はありません。

ひめちゃんは、何か見付けたようです。

獅子丸は、ちょっと不満のようです。

ミーナちゃんは、今朝はここを通らなかったようです。

 

 

 

11月5日やっとたどり着いた右赤城のそばの道標から、道なりにある、俳諧師・栗庵似鳩(りつあんじきゅう)の墓を訪ねます

駐車スペースがないので、路上駐車です。

道の端の小さな墓地の一角にあります。

墓と説明板があります。

今でも生花が上がっているのですね

「雪仏 生まれた時の 顔に似よ」の文字は確認できませんでした

隣に栗庵似鳩翁碑があります。

栗庵の上州俳壇に登場の感動的な話は、書いてなさそうです。

 

彼の上州俳壇への、登場の話は、実に感動的なものでした

みやま文庫『佐波伊勢崎史帖』(しの木弘明、平成3年)によると、

栗庵似鳩は上州に正風を唱えた最後の俳諧宗匠であった。それほどに栗庵の力量はすぐれており、大きな指導力を持っていたのである。

明和九年十二月二十三日は雪空であった。大阪を食い詰めて江戸に来たが、江戸も食い詰めて行き場のなくなった似鳩は、とぼとぼと中仙道をたどった。戸田の渡しを越す比には小雪がちらついてきた。熊谷で道を折れると境町向かったが、もう一面の雪景色で、中瀬の渡しに利根川を越すときには足は雪に埋まり、夜の雪道である。境町から例幣使街道に出たが、それは長沼村の観音寺の俳人松谷を訪ねようとしたからである。ところが長沼の手前、上蓮沼にきたときあまりの寒さと空腹のために、雪の中に倒れてしまった。

もう雪の真夜中に人通りはなかった。倒れた乞食坊主の背中には雪が降り積もったのである。夜中にこれを見付けたのはこの村の高柳勘太夫で、乞食坊主を助け出すと、自分の家に連れて帰ったのである。

(中略)

似鳩は大阪の人、玉置氏、酒を愛して瓢堂と号した。小林一茶は同じ乞食坊主で、生涯を流浪のうちにあり、死ぬ年の正月には、丸焼けになって、放り出され、悲嘆の内に一生を終わったが、乞食坊主似鳩は高柳勘太夫という理解者があったために、俳諧冥利の生涯をおくったのである。

 

このくだりが、ズーッと記憶にありました

 

また、彼の最後も印象深いものでした

 

寛政九年十二月二十三日は雪の降る寒い日であった。この日隣村の弟子多賀谷思水の文木館に連句の興行があった。諸俳とともにあった似鳩は、好きな酒杯をかたわらに、終日呑んでは付け句していた。終わって夜中の雪道を帰ったが、途中足をすべらせて雪の中に倒れてしまった。その背中に雪が降り積もった。やがて村人に助け出されたが、その雪の上には似鳩の面があったのである。

 雪佛生まれしときの顔に似よ

この一句を辞世に栗庵三十年の幕を閉じたが、それは俳諧冥利に満ちた生涯であった。

 

雪の日に登場した栗庵似鳩は、また同じ雪の日に退場して行ったのです

忘れられない逸話でした

 

道の反対側からの地点からの栗庵似鳩の墓です。

不思議な事に、グーグルの地図でも車のナビでも、この反対側の地点を指します

 

 

 

 

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