新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「ある」の多重性

2022-01-08 12:16:24 | 悟得びと語り

「ある」には、

そのモノ自体がある。
そのモノがある場所・状態にある。


例えば、犬が吠えている。
これは、ある特定の「犬」が、
「吠えている」状態にある。

「犬」という言葉・概念は「ある」。
しかし「犬」という事実は「ない」。
それでも、「犬という言葉がある」という事実が「ある」。

犬は「ある」が、犬は存在し「ない」…と言える。

これは、論理と事実の区別と連関であろう…
「ある」と「ない」はコインの裏表。

「ある」を見れば「ない」は見えない。
「ない」を見れば「ある」は見えない。

「ない」が「ない」なら…コインはないから「ある」もない。
それでも…「コインがない」状態がある。


私の存在があるから、世界がある。
私がいなくなっても、私のいない世界はある。

全ては、あると同時にない。
全ては、無限定・無条件なら「ある」モノ。
しかし、限定・条件しだいでは「ない」モノ。

ある視点なら「ある」モノでも…
別の視点なら「ない」モノになる。

俯瞰してみれば「ある」。
俯瞰してみても「ない」。
それでも、更なる「俯瞰」なら「あり得る」。


ここに、コメントを寄越す「お宅」は、たぶん「お宅の視点・観点・俯瞰」から「ない」との否定である。
それは「お宅は」には、お宅の「視点・観点・俯瞰」が全てで正しい…と信じ切っているからのだろう。

「全ては疑いうる」とは、
己の信じるモノも「疑いうるなら、
己の信じないモノも「疑いうる」であろう。

「現象論・構造論・本質論」から、

個々の「本質」はまちまち。
全ての「本質」は一つである。

個々の構造はまちまち。
全ての構造は一つである。

個々の現象はまちまち。
全ては一つの現象として現れている。


一つ一つもあれば、まとめて一つもある。



普通でない人の普通は、普通の人にとっては普通ではない。
普通の人の普通は、普通でない人にとっては普通である。

異常者の異常は、正常者の正常。
正常者の異常は、異常者の正常。


これは、条件・状況しだい…であるが…








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 続々・私からお宅へのコメント | トップ | 続・続・続お宅コメントへの... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

悟得びと語り」カテゴリの最新記事