この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

魔王。

2005-10-28 00:30:53 | 読書
伊坂幸太郎著、『魔王』読了。

イラク戦争におけるアメリカ兵の死者が二千人を超えたそうです。
恐ろしい話ですよね。
恐ろしいといっても別にアメリカ兵の身を案じているっていうわけではありません。
他国に侵略戦争を仕掛けたアメリカ軍の兵士が何人死のうとも、冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、そんなこと、知ったこっちゃありません。
恐ろしいというのは、この戦争で何人のイラク人が殺されたのかということを考えたときのことです。
完全武装のアメリカ兵の死者が二千人を超えたというのであれば、当然二千人ということはないでしょう。
一説によるとこの戦争で殺されたイラク人は十万人を越えるとのこと、もしそれが本当であればその十万人の中に、一体どれぐらいのテロリストがいたというのでしょう。
アメリカは、というかブッシュ大統領はその十万人が全員テロリストだったというつもりなのでしょうか。

日本はこのイラク戦争に、自衛隊を後方支援活動に参加させるという形で参戦しています。
いや、あれはあくまで支援活動なのだから参戦ではない、という理屈をこねる人もいるかもしれませんが、本来アメリカ軍が担う活動を肩代わりをして、それによってより多くのアメリカ兵が前線に向かったのですから、参戦でしかありえない、そう思います。
今後、イラクに平穏が訪れたとして、十万人の犠牲を礎としたそれにどれほどの価値があるのでしょうね。
すくなくともそれを平和とはいえないでしょう。
だとすれば平和とは人が誰もいなくなった木も緑もない砂漠のような状態ということになるのではありませんか?

一方小泉首相がさる十月十七日、靖国神社に参拝をしました。
靖国参拝自体の是非を問うつもりはありません。
政治的な兼ね合いっていうのもあるでしょうし、宗教観というのもあるでしょうから。
ただ、小泉首相が靖国参拝の理由として、恒久平和が云々と述べていたのには、何か釈然としないものを感じました。
イラクに自衛隊を派兵しときながら、どの口で平和について語るというのか、疑問に思えて仕方ありませんでした。
この人には平和について語って欲しくない、そう思いました。

『魔王』を読んで、そんな取り止めのないことを考えてしまいました。
コメント (2)
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