ミクシィの某コミュで「自殺は悪いことなのか?」というトピックが立てられていたので、それに対し、こちらで解答したいと思います。
まぁ二、三行で答えられることじゃないからね。
あくまで私見なので、そういう考え方もあるんだな、ぐらいに読み流してもらえたら幸いです。
男性一名と女性一名が乗っていたエレベーターが事故を起こし、最上階から地下まで落下、乗っていた一人が死亡しました。
死亡したのは男性、女性、どちらでしょう?
これがなぞなぞであれば、生き残ったのは男性、理由はたまたまついていたから、になるんでしょうけれど、これがなぞなぞでなくても、乗っていた男性はさかなくん、女性は北斗晶だった、というような特別な条件が追加されない限り、生き残ったのは男性だった、とほとんどの人は考えるんじゃないでしょうか。
平均的に女性の体は男性の体に比べて脆いといえると思います。
言い換えれば、女性は男性に比べて死に易い。
また、犯罪の被害者の多くは女性です。
性犯罪は百パーセントそうですし(違うのかな?)、ニュースで耳にするひったくり事件や強盗事件も被害者は圧倒的に女性が多いような気がします。
ひったくり事件の被害者が二十代の屈強な男性だった、という話はちょっと聞いたことがないです。
他にも女性は女性であるという理由だけで、男性に生まれていれば気にせずに済んだことをいろいろと心配して生きていかなければなりません。
男女平等が叫ばれて久しいですが、まだまだ社会は男性に有利であるといってよいでしょう。
つまり、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている。
女性は男性に比べ死に易く、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている。
このことはフェミニストであれ、非フェミニストであれ、認めるところではないでしょうか。
にもかかわらず、女性の平均寿命は男性のそれより六歳以上も長い(平成二十二年度で6.75年)。
これはもう圧倒的に女性の方が長生きだ、といってよいでしょう。
これほどの平均寿命の差がなぜ生まれるのか、、、少しばかり考えて、答えにたどり着きました。
この男女の平均寿命の差は男女の喫煙率の差によってもたらされているのではないか。
ちなみに、2009年の男性の喫煙率は38.9%、女性の喫煙率は11.9%なのですが、この男女間の喫煙率の差27%がそのまま6.75年という寿命の差につながっている、と自分は考えます(いや、喫煙率の差と平均寿命の差に因果関係はない、と仰る方は、どうぞ遠慮なく、男女間になぜこれほど平均寿命に差があるのか、その理由を明示してください。)。
さて、先ほど、女性は男性に比べ死に易く、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている、と述べました。
つまり、本来は男性の方が女性よりも寿命は長いはずなんです(断っておきますが、寿命が長いのだから男性は女性よりも優れているのだ、などと論じるつもりはありません。所詮寿命の長さも背の高さや膂力といった特性の一つにすぎない。)。
本来女性よりも長いはずの寿命が現実には六歳近く差がつけられているのですから、もし、喫煙行為によって寿命が短くなるのであれば、その年数はおよそ十年近いと言えます。
すなわち、喫煙とは、自らの命を十年縮める、緩慢にして確実な自殺なのです。
十年命を縮める、という言い方は直截的すぎるので、健康に害をもたらすかもしれないと曖昧な物言いにしても構いませんが、いずれにしても喫煙が寿命を縮める可能性を考慮することなく煙草を吸い続けるのははっきりいって馬鹿である、といってよいでしょう。
また、その可能性を充分考慮してもなお煙草は止められないという人も、やはり馬鹿だ、といってよいでしょう。
どのように理由であれ、十年命を縮めてまで、煙草を吸う理由にはならないと思うからです。
散々喫煙者を馬鹿呼ばわりしてしまいましたが、しかし、だからといって喫煙者に煙草を止めろ、という気にはなれないのです。
十年命を縮めてまで煙草を吸う理由なんて世の中にはないと思う一方で、生きていくのって本当につらいですからね。そして人間は弱い。
それが自殺(行為)だとわかっていても、自分自身では止められなくて仕方がない、と思うのです。
喫煙に絡めて書いてみましたが、それが自分の自殺に対する考えです。
愚かなことだとは分かっていても、自分自身では止められなくて仕方がない。それが自殺。
もう少し自殺について書いてみます。
よく、残された人のことを考えたら自殺なんて出来ない、っていうじゃないですか。
自分はこのフレーズを目にするたびにつらくなります。
まず、残された人のことを考えられるような精神状態にあるなら自殺なんてしないと思うし、それよりも、残された人のために自殺をしてはいけないというのであれば、天涯孤独で友だちが一人もいない奴は自殺したって構わない、ってことになるじゃないですか。それがつらい。
仮に自殺が絶対悪だとしても、残された人のことを考えたら、なんていう言い方は絶対して欲しくないです。
それから、たまに自殺が絶対悪だと主張する人がいます。自殺は単純にしてはいけないことなのだと声高に主張する様は見ていてとても勇気づけられます。
しかし同時に不安に思うのです。
この人たちはその言葉を主張するには資格がいる、ということがわかっているのだろうかと。
例えば、「殺人はいけないことだ」という言葉は百パーセント正しいといってよいかと思いますが、連続殺人鬼がその言葉を口にしたら、お前が言うなよ、と誰もが思うでしょう。
自殺はしてはいけない、という言葉は百パーセント正しいのかもしれません。
しかし、自殺はしてはいけない、でもあなたに救いの手を差し伸べるつもりは一切ない、というのでは、そりゃ何だよ、といいたくなるのです。
自殺をしてはいけないという言葉は、それなりの覚悟、それなりの決意、それなりの勇気があって初めて口にしてよいものだと思います。
最後に、これから自殺しようとしている人へ(いないとは思うけどね)。
散々述べてきたとおり、自分は自殺をしてはいけないものだとは考えていません。
あなたの中であなたが死ぬ理由はそれなりに重いものなのでしょう。
あなたのことをそれほど知らない赤の他人がそれを簡単に否定していいとは思わない。
ただ、一つ言わせてもらうと、あなたは楽観主義者ですね。
なぜなら、死んだらすべてが自分の思うままになる、と思って死ぬのだろうから。
自分は自殺自体は否定しないけれど、死んだらすべてが思いのままになる、とは考えられない。
生きている間何もかもが思うままにならなかったのであれば、死んだってそれは同じじゃないの?
もし来世は極楽だと考えているのであれば、それは違う。死んだら虚無になると思っているならやはりそれも違うと思う。
そんな美味しい話はないよね。
それでも、いや、死んだらすべてが思うままになるんだ、というのであれば、是非その根拠を教えて欲しい。どうかケチケチせずに。
その根拠が納得できるものであることを切に願う。
まぁ二、三行で答えられることじゃないからね。
あくまで私見なので、そういう考え方もあるんだな、ぐらいに読み流してもらえたら幸いです。
男性一名と女性一名が乗っていたエレベーターが事故を起こし、最上階から地下まで落下、乗っていた一人が死亡しました。
死亡したのは男性、女性、どちらでしょう?
これがなぞなぞであれば、生き残ったのは男性、理由はたまたまついていたから、になるんでしょうけれど、これがなぞなぞでなくても、乗っていた男性はさかなくん、女性は北斗晶だった、というような特別な条件が追加されない限り、生き残ったのは男性だった、とほとんどの人は考えるんじゃないでしょうか。
平均的に女性の体は男性の体に比べて脆いといえると思います。
言い換えれば、女性は男性に比べて死に易い。
また、犯罪の被害者の多くは女性です。
性犯罪は百パーセントそうですし(違うのかな?)、ニュースで耳にするひったくり事件や強盗事件も被害者は圧倒的に女性が多いような気がします。
ひったくり事件の被害者が二十代の屈強な男性だった、という話はちょっと聞いたことがないです。
他にも女性は女性であるという理由だけで、男性に生まれていれば気にせずに済んだことをいろいろと心配して生きていかなければなりません。
男女平等が叫ばれて久しいですが、まだまだ社会は男性に有利であるといってよいでしょう。
つまり、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている。
女性は男性に比べ死に易く、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている。
このことはフェミニストであれ、非フェミニストであれ、認めるところではないでしょうか。
にもかかわらず、女性の平均寿命は男性のそれより六歳以上も長い(平成二十二年度で6.75年)。
これはもう圧倒的に女性の方が長生きだ、といってよいでしょう。
これほどの平均寿命の差がなぜ生まれるのか、、、少しばかり考えて、答えにたどり着きました。
この男女の平均寿命の差は男女の喫煙率の差によってもたらされているのではないか。
ちなみに、2009年の男性の喫煙率は38.9%、女性の喫煙率は11.9%なのですが、この男女間の喫煙率の差27%がそのまま6.75年という寿命の差につながっている、と自分は考えます(いや、喫煙率の差と平均寿命の差に因果関係はない、と仰る方は、どうぞ遠慮なく、男女間になぜこれほど平均寿命に差があるのか、その理由を明示してください。)。
さて、先ほど、女性は男性に比べ死に易く、社会は男性に比べ女性が生きにくく出来ている、と述べました。
つまり、本来は男性の方が女性よりも寿命は長いはずなんです(断っておきますが、寿命が長いのだから男性は女性よりも優れているのだ、などと論じるつもりはありません。所詮寿命の長さも背の高さや膂力といった特性の一つにすぎない。)。
本来女性よりも長いはずの寿命が現実には六歳近く差がつけられているのですから、もし、喫煙行為によって寿命が短くなるのであれば、その年数はおよそ十年近いと言えます。
すなわち、喫煙とは、自らの命を十年縮める、緩慢にして確実な自殺なのです。
十年命を縮める、という言い方は直截的すぎるので、健康に害をもたらすかもしれないと曖昧な物言いにしても構いませんが、いずれにしても喫煙が寿命を縮める可能性を考慮することなく煙草を吸い続けるのははっきりいって馬鹿である、といってよいでしょう。
また、その可能性を充分考慮してもなお煙草は止められないという人も、やはり馬鹿だ、といってよいでしょう。
どのように理由であれ、十年命を縮めてまで、煙草を吸う理由にはならないと思うからです。
散々喫煙者を馬鹿呼ばわりしてしまいましたが、しかし、だからといって喫煙者に煙草を止めろ、という気にはなれないのです。
十年命を縮めてまで煙草を吸う理由なんて世の中にはないと思う一方で、生きていくのって本当につらいですからね。そして人間は弱い。
それが自殺(行為)だとわかっていても、自分自身では止められなくて仕方がない、と思うのです。
喫煙に絡めて書いてみましたが、それが自分の自殺に対する考えです。
愚かなことだとは分かっていても、自分自身では止められなくて仕方がない。それが自殺。
もう少し自殺について書いてみます。
よく、残された人のことを考えたら自殺なんて出来ない、っていうじゃないですか。
自分はこのフレーズを目にするたびにつらくなります。
まず、残された人のことを考えられるような精神状態にあるなら自殺なんてしないと思うし、それよりも、残された人のために自殺をしてはいけないというのであれば、天涯孤独で友だちが一人もいない奴は自殺したって構わない、ってことになるじゃないですか。それがつらい。
仮に自殺が絶対悪だとしても、残された人のことを考えたら、なんていう言い方は絶対して欲しくないです。
それから、たまに自殺が絶対悪だと主張する人がいます。自殺は単純にしてはいけないことなのだと声高に主張する様は見ていてとても勇気づけられます。
しかし同時に不安に思うのです。
この人たちはその言葉を主張するには資格がいる、ということがわかっているのだろうかと。
例えば、「殺人はいけないことだ」という言葉は百パーセント正しいといってよいかと思いますが、連続殺人鬼がその言葉を口にしたら、お前が言うなよ、と誰もが思うでしょう。
自殺はしてはいけない、という言葉は百パーセント正しいのかもしれません。
しかし、自殺はしてはいけない、でもあなたに救いの手を差し伸べるつもりは一切ない、というのでは、そりゃ何だよ、といいたくなるのです。
自殺をしてはいけないという言葉は、それなりの覚悟、それなりの決意、それなりの勇気があって初めて口にしてよいものだと思います。
最後に、これから自殺しようとしている人へ(いないとは思うけどね)。
散々述べてきたとおり、自分は自殺をしてはいけないものだとは考えていません。
あなたの中であなたが死ぬ理由はそれなりに重いものなのでしょう。
あなたのことをそれほど知らない赤の他人がそれを簡単に否定していいとは思わない。
ただ、一つ言わせてもらうと、あなたは楽観主義者ですね。
なぜなら、死んだらすべてが自分の思うままになる、と思って死ぬのだろうから。
自分は自殺自体は否定しないけれど、死んだらすべてが思いのままになる、とは考えられない。
生きている間何もかもが思うままにならなかったのであれば、死んだってそれは同じじゃないの?
もし来世は極楽だと考えているのであれば、それは違う。死んだら虚無になると思っているならやはりそれも違うと思う。
そんな美味しい話はないよね。
それでも、いや、死んだらすべてが思うままになるんだ、というのであれば、是非その根拠を教えて欲しい。どうかケチケチせずに。
その根拠が納得できるものであることを切に願う。