この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

節操のない映画の見方。

2012-05-10 22:52:29 | 新作映画
 『タイタンの逆襲』のレビュー記事で、ぶっちゃけ『タイタンの戦い』と『インモータルズ』がごっちゃになって違いがわからない、というようなこと書いたら、そんな節操のない映画の見方をするものでない、と知人に叱られました(名指しで叱られたわけではないけど、あれはたぶん自分宛てのメッセージ)。

 え~~~、『タイタンの戦い』と『インモータルズ』がごっちゃになったら、節操のない映画の見方をしてるってことになるの???なるの、、、かな?

 まぁでも言わせてもらうと、ごっちゃになるにはごっちゃになるなりの理由があるのです。
 それはですね、はっきり言って、『タイタンの戦い』と『タイタンの逆襲』ではストーリー的な繋がりが弱い。
 そのことは両作品におけるアルゴスの王女アンドロメダの扱いを見ればわかります。

 『タイタンの戦い』において、彼女は海の怪物クラーケンの怒りを鎮めるための生贄になるのですが、主人公のペルセウスがクラーケンの首を取り、見事アンドロメダを救い出すのです。
 フツーに考えれば、ペルセウスとアンドロメダは結ばれる流れですよねぇ。
 少なくともアンドロメダの方は期待したはずです。
 自分のことを救ってくれた勇者が夫となり、国を治める王となってくれることを。
 が、ペルセウスはアンドロメダを選ばないんです。村娘であるイオを選んじゃう。
 
 ペルセウスはアンドロメダの何が気に入らなかったのか?
 乳臭いおぼこのアンドロメダの相手なんてしてられないと思ったのか、それとも王宮の窮屈な暮らしを厭うたのか。
 わかりません、、、誰かわかる人、教えて欲しいです。

 ま、ここではペルセウスがそういう男だったのだ、ということにしておきましょう。そういう男がどういう男なのかはよくわからんけど。

 そして『タイタンの戦い』から十年後という設定の『タイタンの逆襲』で、ペルセウスは巨人クロノスを打ち倒した後、アンドロメダに駆け寄ると、ぐわしっと彼女をきつく抱きしめるんです。
 観てるこっちとしては、はぁ???って感じですよ。
 作中、何かしらペルセウスがアンドロメダに対する想いを語る、もしくは露わにするようなシーンがあったっけ???
 
 これってあれですよね、高校時代に振った同級生が十年後、同窓会で再会したら自分好みのいい女になっていたので、同窓会をこっそり二人で抜け出して、ホテルにしけこむ、みたいなもんですよね?違います?
 ともかく、アンドロメダがペルセウスにとって都合のいい女、ということは間違っていないでしょう。

 主人公ペルセウスが、アンドロメダのことを、いつどの時点で愛するようになったかがわからないのですから、ストーリー的な繋がりが弱いと言われても仕方がないんじゃないですかね。
 第一作と第二作できちんとストーリーが繋がっていれば、同じくギリシャ神話を題材にした『インモータルズ』がイメージ的に絡む隙などなかっただろう、と自分は思いますよ。

 さて、最近、メディアでやたら貞子の姿を見かけます。野球の始球式をしたり、渋谷の街に集団で現れたり。
 自分は久しぶりに見る貞子の姿に、あれ、俊雄はどこに行ったんだろう、って思いましたよ。
 そしてよくよく考えてから気づきました。
 それ、『呪怨』じゃん!!
 すいません、やっぱり自分の映画の見方は節操がなかったみたいです。
コメント (4)
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