この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

映画『ポテチ』、監督の思いは伝わってくるものの…。

2012-05-14 22:41:52 | 新作映画
 伊坂幸太郎原作、中村義洋監督、濱田岳主演、『ポテチ』、5/12、中洲大洋劇場にて鑑賞。2012年18本目。


 歌手の長淵剛は東日本大震災から一か月後、自衛隊松島基地を慰問する前に自らに問いかけたそうだ。
 こんな非常時に歌を歌ってる場合か、と。
 そして自らに答えた。
 それでも自分には歌しかない、と。
 彼は松島基地で慰問ライブを開き、自衛隊員を始め、多くの人に勇気を与えた。

 被災地の人たちを励ますのに、どんな方法があるだろう?
 もちろん直接的に募金やボランティアという手段もあるだろうけれど、歌手であればその歌で、お笑い芸人であれば笑いで、スポーツ選手であれば自らのプレイで励ましたい、そう思うのはごく自然なことだろう。
 そして映画監督である中村義洋はこう思った。
 映画を作って、被災地の人たちを励ましたい。
 その思いは、68分という上映時間中、ひしひしとスクリーンから伝わってきた。
 そういった意味ではこの作品は成功している。

 ただし、純粋に一本の映画として観るとかなり、、、きびしいものがある。
 伊坂幸太郎と中村義洋のタッグは(主演の濱田岳と音楽の斉藤和義を加えればカルテットだが)、『アヒルと鴨のコインロッカー』、『フィッシュ・ストーリー』、『ゴールデン・スランバー』に続いてこれで4本目であるけれど、はっきりいって本作が一番出来が悪い。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』を観たときは、よく伊坂幸太郎の作品の世界観を映像化したものだなと感心した。
 『フィッシュ・ストーリー』もよくあの短い原作を一本の映画に仕上げたものだな、と感心した。
 『ゴールデン・スランバー』は逆にあのむやみに長い原作をよくコンパクトにまとめたものだな、と感心した。
 『ポテチ』は、被災地の人たちを励ましたい、という思いこそ伝わってくるものの、作品的にはこれといって感心するところがなかった。
 例えばブラット・ピットが主演した『マネー・ボール』の試合のシーンはとても映画の撮影とは思えなかったのに比べ、『ポテチ』の試合のシーンは映画の撮影としか思えないぐらい不自然だった。
 観ていて悲しくなるぐらいだった。
 ぶっちゃけ本作を何の予備知識もない人が観に行ったら、なぜタイトルが「ポテチ」なのかすらわからないだろう。
 
 本作がなぜお粗末な出来になったのか、理由はいくつも推測できる。
 予算的、期間的、その他いろいろな問題があったのだろう。
 しかし、やはりだからといってつまらない映画を作っていい理由にはならないと思う。

 この『ポテチ』だけで、これまでの3本の感動を否定しようとは思わない。
 もし伊坂X中村コラボの第5作が製作されるとしたら間違いなく観に行くだろう。
 けれど、その第5作は、出来る限りの予算と、十分な準備期間を抑えた上で製作して欲しいと切に願わずにはいられない。


 お気に入り度は★、お薦め度は★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント
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