この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

壮絶な人生を送った棋士を描いた凡作『聖の青春』。

2016-11-20 18:52:15 | 日常
 松山ケンイチ主演、森義隆監督、『聖の青春』、11/20、Tジョイ久留米にて鑑賞。2016年40本目。


 原作は未読です。
 ただ、原作は未読ながら、映画が、どのエピソードを映画に取り入れ、どのエピソードを映画から外すか、その取捨選択を完全に間違えているということはわかりました。
 何しろタイトルが『聖の“青春”』であるのに、その要素が一切ないですからね。

 映画から受ける村山聖の人物像は、将棋の才能には恵まれているものの、幼少のころから患った病のために自堕落で、自暴自棄な生活を送り、自らの命を縮めてしまった、そんな印象を受けます。村山聖が極めて共感しづらい人物として描かれています。
 おそらく、原作ではそうではないのでしょう。いや、そうではないというか、そういう行動を取るに至った理由が丹念に書かれているのでしょう。
 しかし、映画では村山の行動を表面的に追いかけるだけなので、彼の行動がただ破天荒なだけにしか思えないのです。

 長大な原作を二時間の映画にまとめるのに、エピソードの取捨選択が必要なのは当然です。そして村山聖に関するエピソードの中で一番有名なのが、天才羽生善治と互角以上の戦いを繰り広げたことです。
 しかしそのエピソードにハイライトを当て過ぎるのはどうか、と思いますね。観客を呼ぶために羽生のネームバリューを利用するのは必然かもしれませんが、結果作品は何が言いたいのかよくわからない、ぼんやりとした凡作となってしまった、と思います。

 何が言いたいのかよくわからないというのは演出面でも言え、時折唐突に、白鳥が飛ぶシーンや食堂で働いているおばさんのカットが挿入され、自分は観ていて非常に混乱してしまいました。
 全然ストーリーに関係ないあの白鳥は何かの比喩?隠喩?森監督に会うことがあれば是非伺ってみたいですね。
 古本屋の女の子とのエピソードも完全に要らない、作品のノイズにしかなっていないと思いました。

 役者に対しては特に文句はありません。村山聖を演じるために20キロ増量して撮影に臨んだ松山ケンイチはすごいとすら思います。
 ただ、作品を宣伝する際、役者がコレコレこういう肉体改造をしたということが全面に押し出されるような映画は、それしか見所のない、ダメ映画だといってよいでしょう。

 この秋は期せずして、主人公が余命幾許もない作品が同時に公開されていて、自分はその中で宮沢りえ主演の『湯が沸くほどの熱い愛』と本作しか観ていませんが、『湯が~』があっという間の上映時間だったのに比べ、本作は「あとどれぐらいで終わるんだろう?」と何度か時間を確かめずにはいられませんでした。一言で言えば鑑賞中、腹が減ったなぁと思ったんですよね。傑作であれば空腹など気にならないことは言うまでもありません。

 映画は残念でしたが、原作は傑作らしいので今度読んでみようかと思います。


 お気に入り度は★☆、お薦め度は★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする