この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

議論をするということ。

2018-10-06 21:11:43 | 戯言
 以前、ある小説についての考察記事を書いたとき、次のようなコメントがついたことがあります。

「相手を言い負かして楽しいですか?」

 お答えしましょう、楽しいです。いや、嬉しいと言った方がいいかな。
 自分が正しいと思うことを主張して、考えの違う人と議論になり、自分の主張の方が正しいと証明されたら、そりゃ嬉しいに決まっています。

 でも相手を言い負かしたら嬉しい、なんてことを言ったら大概非難されるんですけどね。
 性格が歪んでますねとか何とか言われて。

 そうなのかな?
 論破することに悦びを見い出すのって人としておかしいんですかね?

 自分は議論することをスポーツ的なものとして捉えています。
 自らのロジックに隙がないように細心の注意を払い、相手のロジックに隙や破綻がないか見極め、あればそこを徹底的に攻める。
 真剣勝負ですよ。
 野球の試合に勝ったら嬉しいように、議論に勝てば当然嬉しいです。

 でも議論に負けたからといって「キーッ、悔しー」ってことにはならないです。
 大切なのは勝ち負けではなく、議論をすることでより真理に近づくことだと思っています。

 でも、日本人の一部の人たちは、いや、多くは、と言ってもいいですが、議論をすることをただの罵り合いだと思っていて、それ自体忌み嫌っているように思えます。
 たぶんそれは学校教育の中で議論の時間が設けられていないことと無関係ではないでしょう。
 
 けれど自分に言わせれば議論することは決して罵り合うことではないですし、重箱の隅のつつき合いでもない、増して相手の人格を否定することでもない。

 自分は議論をする際、常に気をつけていることがあって、ロジックに隙がないように注意を払うことは当然として、そういったこととは別に、まず相手に対して敬意を忘れないこと、次に感情的にならないようにすること、そして出来ればユーモアを忘れないこと、その三つです。
 まぁ言うは易し行うは何とやら、ですけどね。

 最近は議論をすることもほぼなくなりましたが、議論をすることがあればこの三ヶ条は忘れないようにしたいと思っています。
コメント
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